6.一年生秋

29

 ついてこいと言ってきたのは向こうなのに、講義室に入っていざ僕と顔を合わせた彼女は何を言うよりも先に小さく舌打ちをし、それを挨拶の代わりにした。彼女とこうして話すのはたぶん初めてだけど、彼女が何者かくらいは知っている。

「他の人ならともかく咲間さんのお呼び出しを受けることになるとはね、光栄だ」

 同じ学科の同級生、咲間響さん。左目を完全に隠す前髪が大きな特徴の一つだ。その小さい身体にも関わらず相手を物怖じさせる圧力を放つのは、両眼分の眼力が全部右目に集中しているからかもしれない。

 僕が少なからず驚いていることを、その言葉で伝えたつもりだった。

「……どうせ、色んな女にそう言ってるんだ」

 正直なところ、僕が発した言葉に対してここまでの拒絶的な反応を示してきた女の子は咲間さんが初めてだったと思う。僕の言い回しが下手なのかなんなのか、僕の言葉は僕の気持ちそのままの形で相手に伝わらないことも少なくない。それでも相手を不快な思いにさせたことは無かったと思っている。

「話したくないなら、呼び出さなければいい。君にそこまで言われる筋合いはないよ」

 にこりと笑って見せる。思い起こせばここ数年、僕は怒ることをしていない。それどころか、最後に怒った時のことが全く思い出せない。もしかしたら僕は、人生で一度も怒ったことが無いのかもしれないと、目の前の彼女そっちのけで考えてしまう。

 不機嫌なオーラは今にも僕に殴り掛かってきそうだった。穏やかじゃないな、僕は話を変える。

「ところで……最近どう? 左良井さんは」

 あれ≠ゥら左良井さんとの関わりはすっかり絶っていた。お互いがお互いを意識して避けているという感じだ。最近は左良井さんはと咲間さんが一緒に行動しているのをよく見かける。

「よく言うよ、『原因』のくせに」

 ため息混じりに咲間さんは呟く。穏やかじゃない。
 ……『原因』?

「いや、咲間さんが左良井さんからどんな話を聞いているか知らないけど――」

 勢いよくほとばしった言葉はそこまでだった。『原因』なんていう言葉がそもそも根源に見当たらない。でも、じゃあ、どうして僕らは離れてしまったのかを考えたら。

「『原因』なんてない。僕になにか不足しているものがあるのなら、確かに原因なのかもしれないけど」

 僕らはきっとお互いに特別な存在だった。特別という言い方が過度な表現なのだとしたら、お互いを補い合うような存在だったと言ってもいい。左良井さんは辛い過去を僕に隠さず話してくれた。

 左良井さんがたまに見せるうっすらとした笑顔が見れるなら、僕は彼女の隣にいてもいいとさえ思っていた。それは本当なんだ。

「合わなかった、それだけのことだろう」

 そう、どんなに僕が彼女を思っていても、どんなに彼女が僕を思っていてくれていても、左良井さんの求めるものがそこにないのなら、僕が変われないのなら、彼女の隣にいるのが僕である必要はない。

 むしろ、僕はいない方がいい。


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