5.一年生夏

26

 うつむいていて彼女の表情が分からない。僕が今の自分の顔を鏡なしで見られないように。

「……」

 彼女の髪が僕の鼻先をかすめる。すりつけられる頬が、僕の胸に溶け込みそうだった。
 その最中僕は、絶望に打ちひしがれる。

(なんで……)

 彼女は今、僕のこれ以上ない側にいるというのに、僕の心は何も動かなかった。
 心音を高鳴らせて驚いたっていいだろう。飛び上がって喜んだっていいだろう。その細い身体を優しく抱きしめて、彼女の気持ちに応えたっていいだろう。

「左良井さん……」

 それなのに僕は、場にそぐうような適切な『対応』を考えようとしてしまう。そんなのは間違っている――頭では、分かっているけれど。

「……っ」

 気付けば、彼女は声を押し殺して泣いていた。彼女は先ほどよりもしっかりと、僕の頼りない胴体にすがりついた。……そう、『すがり』ついた。自分にはもう僕しかいないというように、それはもう必死で抱きついてきたんだ。

 ドクン、形なき僕の中の不安が、鼓動を理不尽に早める。これを彼女に聞かれたら――まずい。僕は、正直であることすら許されないのだろうか。……これは仕打ちだ。あまりにも酷すぎる。

「もういいの」

 彼女の声は普段の落ち着きを欠いて上ずっている。どうして彼女がこんな行動に出たのか、僕の混乱は僕の中で膨らむばかりだった。

「やっぱり私に幸せは似合わない」

 薄い肩に触れて初めて感じた、確かな左良井さんの温もりだった。


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