廻りはじめる
「あ……」
茜が珍しく、小さく声をあげた。割れた窓を見つめる横顔は無表情のまま、しかし少し戸惑っているようにも見える。
「あの、茜さんーーー」
沙織は恐る恐る声をかけた。しかし、彼女が沙織のほうへと顔を向けることはなかった。
「悪いけど今日はもう、帰ってくれない?」
口調は普段通りだったものの、弱々しく聞こえたのは気のせいなどではないだろう。
沙織はなぜかその声に抗えず、小さく頷くと無言で教室を飛び出した。
***
(状況的に考えると、あの窓と茜さんが何かしら関係しているのは間違いないわ。でも、漫画や小説じゃあるまいし…)
家に帰り、夕食を済ませたあとも沙織の頭を占めるのはそのことばかり。自室で宿題をしていても、全く集中することができない。
と、そのとき、引っ越してきてからは滅多に誰とも連絡を取ることがなかったケータイが突然自己主張を始めた。
「珍しいわね、誰かしら…って啓太…!?」
啓太とは、彼女の幼なじみであり、転校するまでは同じ中学へ通っていた友人でもある。転校前まではそこそこの仲であったが、転校後は一度と連絡を取ったことはなかった。もちろん沙織からかけようと思ったこともかけたいと思ったことも一度もなかったし、きっとそれは相手とて同じだったのだろう。それくらい親しくあって、親しくなかった。
「もしもし」
『あーもしもし、宇都野?俺だけど』
電話の向こうから聞こえてきたのは、小さな頃から比べれば随分と低くなった、しかし最近聞きなれていた黒田や真次郎に比べればまだ幾分か幼さの残る男の声だ。記憶にある限りどこかお調子者でムードメーカーのような存在であった彼の性格をそのまま映し出したような彼の声に、沙織は思わず笑みを浮かべた。
「啓太、久しぶりね」
『そうか?まだ転校してってからそこまで日数経ってねえだろ』
「そうかしら?なんだか色々あって、もう一年くらい経っている気がするわ。みんな、元気?」
『一年ってお前な…ああ、元気だよ、こっちはな。お前こそどうなんだよ、うまくやってるのか?』
「まあまあ、ね」
明るい彼の声を聞くと、ついさっきまでのゴタゴタがまるで嘘だったかのような気持ちになってくる。何より、楽しく話せる相手との電話にまでこちらの面倒ごとを持ち込みたくなくて、沙織は明るい声でそう答えた。
「で、どうしたの?わざわざ電話をしてくるなんて、何かあったんでしょう?用件が」
『そうなんだよ、実は俺さ、ちょっくらそっちに行くことになって』
思いがけない啓太の言葉に、沙織は目を見開く。
「ちょっと待って、そっちにってまさか…言っておくけど、私の学校は女子校よ?」
『ばーか、誰が転校するっつったんだよ、誰が。親戚の集まりだっての。で、その行き先がお前の居候先の近所っぽいんだけどさ、今回俺一人で行くの初めてなんだ。よければ案内してくれねえ?』
そういうことか、と沙織は頷いた。
だが、沙織とてこちらへ移ってきたばかりだ。あまりこちらのことは詳しくない。
恵理子おばさんに聞いて、わかる程度のところならいいのだけれどーーー。
そう思いつつ、もし知らない場所ならあらかじめ恵理子にでも道を教えてもらっておこうと言葉を紡いだ沙織は、それに対する彼の回答に目を見張ることとなった。
彼の行き先が、まさに結李の話していた神社だということにーーー。
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