聞きたい、聞けない
「茜さん、その…なんで、引き受けたの…?」
その日の放課後、沙織はまたしても居残りで作業をしていた。しかしきのうと違うところは、その沙織の斜め後ろの席では茜も仕事をしているということだ。
「…別に。悪い?」
「いや、そうじゃないけど…」
相変わらずな茜に、沙織は溜息を呑みくだした。本当は別のことーーーそう、あのとき窓を割って飛び込んできたもの(結局はボールだったのだが)について、聞きたかったのだ。
(あのとき、外には誰もいなかったわ)
沙織たちの教室は窓側が運動場に面しているが、あの時間は授業中であり、体育をしているクラスもなかったので、運動場には誰もいなかったはずなのだ。
(それに…)
あのボールの飛び方は明らかにおかしかった。運動場からいくら強くボールを投げたとしても、あんな風にガラスを割ってなお地面と平行に飛び続けさせるには、窓と同じ目線のところからボールを飛ばさないと不可能なはずだ。しかし、沙織たちの教室は二階である。いくら離れて飛ばしたとしても、あんな風に一直線には飛ぶはずがない。
おまけに、ボールは美弥の手前でいきなり速度を落とし、地面へと落ちた。
(それに、そのあとの会話と行動よね…)
『茜……私を殺す気?』
『…別に。あなたがこんなことで死ぬとも思ってないし』
美弥は、あのとき何の迷いもなく茜に話しかけたのだ。
(状況的に考えて、ボールの犯人が茜さんだったと考えるのが自然だわ。でも、そんなの物理的にありえないじゃない。茜さんは教室にいたんだもの…)
「ねえ」
思考を中断させられるように声をかけられる。その声の主は意外にも茜だ。なんせ部屋には沙織と彼女しかいないのだから。それにしても、茜のほうからこうして話しかけてくるのは、かなり珍しかった。
「何考えてるのか知らないけど、早くやること終わらせて帰った方がいいんじゃない?またおばさんに心配されるよ」
「え…ああ、うん、そうだね、ありがとう。…あ、茜さんはもう終わったの?」
「あと少し。あなたよりは進んでると思うけど」
どうやら相当考え込んでしまっていたようだ。スタートしたときの仕事量は、確か茜のほうが相当多かったはずだ。
急がなければ、と沙織が書類へと向き合ったそのとき。
「それから…聞きたいことあるなら、はっきり聞けば?」
背後からかけられた意外な言葉に、沙織は思わず声も出さずに振り向き、茜をまじまじと見つめる。
漆黒の瞳が、沙織を映していた。だがそこには、やはり何の感情も見当たらない。親切で言ってくれているのか、はたまた挙動不振な沙織にいらいらしているのか、それすらもわからなかった。
「茜、さんは…」
聞きたいことならいっぱいある。
今朝の神社の話。授業中のボールのこと。ボールの一件後、黒田やクラスメイトたちが一言もそのことについて言及しなかったのはなぜなのか。
この学校に来て、いや、茜と出会って数日しか経っていないのに、ここにはーーーこの少女には、謎が多すぎた。
「えっと…」
でも、聞けない。聞いたら、何かがそこで終わってしまいそうな気がするのだ。茜との、この微妙な関係でさえ、漠然とだけれど、もう築けなくなる気がする。
茜はそんな沙織を急かすでもなく、ただじっと見つめていた。数秒後、沙織がやっと口を開こうとした、そのとき。
ガシャン!
(…え?)
まさに昼間のデジャヴが起こった。
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