DOG | ナノ


▼ 03

「それってさ」

九条が突然後ろを振り向いた。

「俺のこと?」
「はぁ?」
「だって先生、俺のことよく犬って言うじゃん」
「お前、今俺が言ったことちゃんと聞いてたか?」

俺は「賢い動物」って言ったんだ。お前みたいな「馬鹿な人間」なんてお呼びじゃない。

「犬でもいーよ。俺、先生になら飼われても…ってぇ!」
「場所を考えてものを言えこの単細胞」
「叩くことねぇじゃん!いっつも俺のことばしばし殴ってさ!脳細胞死んだらどうすんだよ!」
「もう死んでるだろ。つーかうるせぇ」
「むぐっ」

いくら客が少ないとはいえ、水族館でぎゃあぎゃあ騒ぐような真似をすれば人目を引いてしまう。繋いでいない方の手でその口を覆うと、さすがの馬鹿もそのことに気がついたらしくすぐに大人しくなった。

「…今日はやけに聞き分けがいいな」
「…だって、先生とのデート、誰にも邪魔されたくないし…」

アホだ。その素直さを普段の生活にも発揮してくれれば苦労しないのに。

あまりにアホすぎて、「デート」という言葉を否定するのを忘れていたことには後で気がついたが、九条も気がついていないようだったので何も言わなかった。



昼食は施設内にあるフードコートで済ませることにした。水槽を見ながら食事できる、というレストランもあったが、当の九条が前者の方がいいと言うのでそれに従うことにしたのだ。

「こういう場所で一回食べてみたかったんだよ」

買ってきたホットドックとジュースを目の前にして、九条は爛々と目を輝かせている。どこででも食べられるようなメニューだ。さすがに高校生になってこういうもので喜べるのはこいつくらいだろう。

「あー…お前、無縁そうだな。ジャンクフードとかインスタント食品とか」
「レトルトのカレーは何回か食べたことある。結構うまかった」
「普段何食ってんだ。やっぱシェフとか家にいんのか」

ふとそんな疑問を口にした後、俺は九条についてそれほど多くを知らないということに気がついた。家がお金持ちだとか、父親が理事長だとか、そういうことは知っている。でもそれはほんのわずかな情報だ。

「いる。うち両親共働きでほとんどいねぇし」
「…なぁ」
「ん?」

口を開きかけて、迷った。なんと尋ねるべきか。

お前のことが知りたい…いやないな。気持ちが悪い。お前のことを教えろ…これも気持ちが悪い。

「…話せよ」
「は?」
「お前のこと、なんでもいいから話せ」

最終的に質問ではなく命令になったが、これが一番しっくりくる。

「何でもって…何」
「何でもは何でもだ。家族のこととか、学校のこととか、今までの人生の話とか」
「先生も話してくれるならいいよ」
「…わかった」

俺の話なんて聞いたって楽しくないだろうに、と言いかけて口を閉じた。その言葉はブーメランだ。俺が九条の話を何故聞きたいのかという核心に、今触れられては困る。

「んー…家族…だろ?」

九条はホットドックにかじりつきながら、考え込むような素振りを見せた。初めて見る表情だ。そんな顔もできるのかと内心驚く。やはり俺はまだ九条のことを何も知らないのかもしれない。

「上に社会人の兄ちゃんと大学生の姉ちゃんが一人ずついる」
「末っ子なのは知ってる。この間理事長も言ってたしな」
「いつ会ったんだよ」
「体育祭のとき」
「ふーん…」

なんだか気の乗らない返事だ。

「なんだ。父親が苦手なのか?」
「苦手、ってわけじゃねぇけど…普通に会話もするし」

九条が言葉を選んで話をしようとしているのがわかった。

どこの家庭でも両親や兄弟間の確執というものは大なり小なりあるものだ。高校生なんて多感な時期にもなると、その確執を世界でたった一人、自分だけの苦しみだと思うこともあるだろう。

もしもこいつがそんな風に感じているとしたら、俺は大人として、教師として、その途方もない苦しみを少しは昇華させてあげることくらいはしてやらねばならない。俺は心持ち居住まいを正して九条の言葉を待った。

「…家族の中で、役割ってあるじゃん」
「役割?」
「例えば…うーん…母親が子どもを怒ったら、父親が宥め役で、兄は怒られたその子を笑わせてやる役、みたいな」
「あぁ、わかった。そういう意味な」
「俺はさ、とにかく可愛がられるって役割なんだよ」

甘やかされて育ったんだろうなということはこいつを見ていればわかる。甘ったれて世間知らずの坊ちゃん。それは初めて会ったときから抱き続けている印象だ。

「兄ちゃんにはみんな厳しい。けどなんていうか、期待されてるっていうの?」
「まぁ、そうだな。お前のところは大きな家だから、やっぱり長男は期待されるだろ。その分重圧もあるだろうけど」
「うん。兄ちゃんはまじですげーと思う。成績も良かったし、何でもできるし。自慢の兄」

また一口、九条がホットドックにかぶりついた。

prev / next

[ topmokuji ]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -