DOG | ナノ


▼ 02

目的地には予定通りの時間に到着した。平日の午前中とはいえ、客は予想よりも数がいる。

「大人一枚と高校生一枚」

すげぇだの早く入りたいだのと目を輝かせながらはしゃいでいる九条を後目に、受付で入場チケットの購入を済ませる。

「おい、チケット」
「あ、えっと、いくらだっけ」
「アホ」
「いたっ」

財布を取り出そうとする奴の頭を一発叩いてやると、いつもの如く間抜けな声があがった。

「俺はそんな甲斐性なしじゃねぇ」
「は…?かいしょ…なに?」
「いいから黙って奢られとけ」
「でも」
「こういうのは男が出すって相場が決まってるんだよ」
「?俺も男だけど…」

そうじゃなくて、そういう意味じゃなくて。

「…俺とお前なら、相対的に俺の方が男だろ」
「はぁ?何それ?男らしさってことかよ」
「いやそうじゃなくて、男役っつうか…あー…やっぱりいい。説明したくない」

どうせいずれわかることなら、わざわざ今時間を割いて説明してやる必要なんてない。口を閉ざした俺に、九条はむっと口を尖らせる。

「言いかけて止めるってそれ一番気になるパターンだからな!」

うるせぇ。可愛くない顔はやめろ。

「いいから行くぞ」

無視して足を進めれば、文句を言いつつも後ろからちゃんとついてきた。少し早足になっていたのが見えたので、仕方なく歩調を緩めてやる。

多分、こいつは俺のこんな気遣いには気づきもしないんだろう。気付かなくていい。それでいい。

「涼しい!」

購入した券を入場口に立っていたスタッフに見せ、館内に入る。空調がよく効いており、既に気温が上がり始めていた外とは違ってかなり涼しかった。

「先生、何から見る?何が見たい?俺やっぱ大水槽が見たい!」
「お前の好きにすればいい」
「こっちからだって!うお暗っ!すげぇ!」

順路と書かれた通路まで駆けていき、早く早くとこちらを振り返る九条。全く何をそんなにはしゃいでいるんだ。時間はたっぷりあるし、魚は逃げない。そんなに急いだって変わらないだろうに。

「うわっ」

通路に入ると徐々に照明は暗くなっていき、辺りは水槽から漏れる淡い青の光だけになる。そのせいか、九条が早速躓いた。そのまま前に倒れそうになるので、慌てて腕を掴んで引き上げる。

「ちょっとは落ち着けこのクソガキ」
「ご、ごめん…ありがと」

こんな場所で派手に転ばれたら俺まで恥をかくだろうが。

「…ほら」
「え?」
「えじゃねぇよ。手、貸せ」

答えが返ってくる前に奪い取るようにして手を握った。これまでも何度かこの手を引いて歩いたことはあったけれど、そのときと今じゃ全く状況が違うことを、こいつはちゃんとわかっているのだろうか。

「せ、せんせ、手…」
「うるせぇ。ちょろちょろすんな。目障りだ。迷子になってもらっちゃ困るんだよ」

言い訳じみた口調になってしまうのはこの際もういい。実際、言い訳だった。言い訳だと気付いていてあえて口に出したのだ。

「でもここ、周り人いるけど…」
「誰も自分たち以外の奴のことなんて気にしてねぇよ。ここにいる人が見てるのは水槽の中だけだ」
「そうかな」
「そうだ。外に出たときに離せばいい」

そっか、と九条が言う。そして俺の手をきつく握り返してきた。

「俺がセンセーの手すげぇ好きなんだって知ってた?」
「知らないしどうでもいい」
「指が長くってさ、チョークで黒板に字書いてるときとか、ちょっと筋張ってて」
「本気で気持ち悪いからやめろ。俺の手の話はいい。魚見ろ」
「うん」

ふと隣を見れば爛々と輝いている瞳と視線が合い、気まずいようなばつが悪いような気持ちにさせられる。ふいとすぐに目を逸らした。

「こっち見んな」
「なんでだよ…あっ、先生ほら!見て!クラゲ!」

俺の胸中など推し量るなんて当然できないであろう九条は、ぐいぐいと手を引っ張って歩いて行く。館内の導入部分、とでもいったところか。そこには熱帯魚や比較的小さな海生生物の入った水槽が並んでいた。

その中の一つにクラゲの水槽があった。紫や青、赤といったライトに照らされて揺蕩うその姿に興味を引かれたらしい。

「すげぇ。色が変わる」
「ライトのせいだろ」
「きれいだな。俺もクラゲ飼いたい」
「…クラゲって飼えるのか?」
「わかんねぇけど、こんくらい小さかったら飼えそうじゃね。クラゲって何食べるんだろ」
「プランクトンだろ」
「それってペットショップとかで売ってんのかな」
「クラゲを家で飼育できるとしたら勿論売ってるだろうな」
「後で調べよっと」

九条はじっとひたすらクラゲの水槽に視線を注いでいる。他の水槽には目もくれない。それほど面白いものかこれが、と後ろから同じように覗きこんでみたが、やはりその良さはいまいち理解できない。

「俺は、飼うとしたらクラゲよりもっと賢そうな動物がいい」

ただ見ているだけじゃつまらない、と思うのは俺に情緒を解す能力がないからだろうか。いや、そうじゃない。国語の教師として、「情緒」や「趣」と言った言葉には特別敬意をはらっているはずだ。

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