▼ 04
「司、いる?お前いつまで片付けして…」
光の差し込む方向、扉の前に立っていたのは幸か不幸か――いや、幸だな。他の奴に見られたら完全にアウトだ――九条だった。
「え…司、と…先生…?」
「あ、徹平。なんだ来ちゃったのか」
「は…?え、何…?」
市之宮が目を開けて後ろを振り返る。…お前、さては九条がここに来ることわかっててこんな真似を。さっき中から鍵をかけることができるって言ってたのは嘘か。よくもそんな舐めきった真似をしてくれたな。
「…九条、とりあえずそこ閉めろ」
「あ…うん…」
まだうまく状況を飲み込めていないらしい九条にそう声をかけると、奴は素直に扉を閉めた。再度暗闇が戻ってくる。
「…」
「…」
「…」
訪れる沈黙。いい加減この手の縄を解いてほしい。未だ市之宮は俺の腕の中である。
「おい、市之宮。これ」
「あぁ、忘れてました」
「早く解け」
「解いた瞬間俺のこと殴ったりしません?」
「しねぇよ。いいからさっさとしろ」
市之宮が俺の手から縄を外した。全くどこから仕入れてきたこんなもの。ようやく解放された手首をさすってみるが、ちっとも痛みを感じない。お前のその無駄に完成度の高い縛り技術は何なんだ。
「…ふ、二人で、何してたんだよ」
不意に九条が呟いた。
「二人でしかできないこと、かなぁ」
先に答えを返したのは市之宮だった。変な言い方をするのはやめてほしい。
「二人にしか、できないこと…!?」
九条の白い顔がサッと青褪めたのが暗闇でもわかる。
「なんだよ、なんで司がそんな…」
「徹平。俺、先生に一目惚れしたんだ」
「へ…?」
「ごめん。徹平の気持ちは知ってるけど、譲れない」
「だ、駄目だ!」
声がでけーよ馬鹿。自然と眉間に皺が寄った。
「俺の方がセンセーのこと好きなんだから、いくら司でも、駄目だ」
「人の気持ちの大きさなんて本人にしかわからないんだから、比べられないよ」
「う…でも」
「付き合ってるわけじゃないんでしょ?だったら俺と徹平は同じ土俵の上ってことだ」
…俺の気持ちは無視か。勝手に人を無視して青臭い青春に浸るな糞餓鬼ども。
「ど、土俵…?相撲…?」
そしてこいつはやっぱり救い様のないアホだ。知らず知らずのうちに大きな溜息が出る。
「溜息つくな!!」
そうしたら九条の怒りの矛先がこちらに向いてしまった。
「つか先生、なんで司の前なのに猫被ってねーんだよ!」
どうしてお前に咎められねばならない。そんなの俺の勝手だ。
「必要がなくなったから」
「なんだそれ…っ!意味わかんねぇ!」
それはお前の頭が悪いからだ。
「司のこと抱きしめて、え、えろいことしてたんじゃねーだろうな!?」
「するか。こいつが人のこと縛って無理矢理くっついてきてただけで、抱きしめてた覚えはない。俺は被害者だ」
でも先生、と今度は市之宮が口を開いた。
「さっき俺が舌入れたとき、ちょっと応えようとしてくれましたよね」
「余計口を挟むな殺すぞ」
話がややこしくなるから黙ってろ。
あれは条件反射みたいなもので、別に深い意味はない。
「は…?まさか司、先生とちゅーしたのかよ…?」
「うん。したよ」
市之宮の一言に、ぴしりと九条が固まる。
そして。
「…っ」
突如物凄い勢いで倉庫の扉を開け、走り去ってしまった。
「おい…!」
慌ててその後を追いかける。久しぶりに明るいところに出たせいで一瞬目が眩むが、すぐに慣れるだろう。それよりも今はあの馬鹿に追いつく方が先だ。このまま逃しておいたら何をしでかすか想像するだに恐ろしい。
――なんだあいつは。急に怒ったり急に走り出したり、意味がわからないのは手前の方だろ。
あぁくそ、無駄に足速いんだよあのクソガキ。その無駄な身体能力をほんの一部でいいから頭に回せ。
「九条!」
走り回る教師と生徒という異色の光景のせいで周りの注目をどんどん集めている気がする。
あいつがどんな失態を犯すかということも心配だが、こんな風に必死で走っている姿を大勢に見られるのもまずい。
「藤城先生と九条くんがなにやら揉めていた」なんて噂が広まるような、そんな面倒なことはあってはならない。
「…九条!止まれ!」
後ろからそう声をかけた瞬間、九条の動きがぴたりと止まった。俺の言うことを反射的に聞いてしまうところを見る限り、今までの「躾」は上手くいっているらしい。
「そのまま動かないで、そこにいなさい」
走っていた足を緩め、ゆっくりと近づいて行く。九条は大人しくその場に突っ立ったままだ。やっと追いついた、と腕を掴んで振り向かせると。
「…」
「…っくそ、離せ、いやだ…っ!!」
――なんで泣いてんだ、こいつ。
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