▼ 06
だからその分、俺が余計に注意をする必要がある。だが恐ろしいことに、俺はどうやらこの餓鬼と一緒にいるとどうもその能天気な思考につられてしまうようなのだ。
今日だって、そうだ。
駄々を捏ねるこいつを突き放すことは簡単だった。うるさい黙れ俺の言うことを聞け。そう言って無理矢理押し通すことも不可能だったわけじゃない。
それなのに、現に今こうして言うことを聞かされているのは俺の方なのである。こんなの屈辱以外の何物でもない。どうして俺が。誰にぶつければいいかも分からない疑問が頭の中を支配する。
「分かってるなら、二度と我侭言うな」
「いひゃい!」
手加減なしで頬を抓ると、九条の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていった。余程痛いらしいので、その不細工な面に免じてすぐに手を離してやる。
「いくら幼馴染でも油断するな。信用はしてもいい。だが信用する度合いを間違えたら、後々辛いのはお前なんだぞ」
仲良しだから何でも話し合える。何でも理解してもらえる。そんなものは子どもの戯言だ。友達ごっこがしたけりゃよそでやれ。
近しい人だからこそ、自分との距離を測り間違えてはいけない。人と人との繋がりは、存外簡単に壊れてしまうものだ。そしてまだ幼いこいつらは、きっとそのとき深く傷つくのだろう。
別に俺の見てないところで傷つくのは構わない。傷付きたきゃ勝手に傷付けばいい。だが、こいつの傷つく理由に俺の存在が絡むのだけは勘弁してほしいと思う。そんなの後味が悪くてかなわない。
「市之宮と俺、どっちが大事かよく考えろ」
「…へ?」
言ってから気がついた。
――これでは、市之宮と自分を天秤にかけろと迫っているようだ。
「…どっちが大事か考えろっていうのは、市之宮との友情を壊してまで俺と一緒にいたいわけじゃねぇだろっていう意味で、別に俺と市之宮のどっちかを選べって言ってるわけじゃないからな」
あぁ、クソ。なんだか言い訳じみた口調になってしまった。違うのに。
どうも最近口が滑るというか、自分の中にあるものと実際に口にする言葉に微妙なずれが生じている気がする。仮にも国語の教師だというのに、なんたる様だ。舌打ちが飛び出す。
「おい、返事くらいし…」
ずっと黙ったままの九条に半ば八つ当たりのように問おうとすると、何故か再びキスされた。
「…」
「…」
「…へへ…うっ」
ドス、と腹を軽く殴る。
「いってぇ!!手加減くらいしろよ!!」
「誰が勝手にしていいって?」
「いや、やっぱセンセー優しいなってすげぇ嬉しくなって…」
「あぁ?俺の話ちゃんと聞こえてんのか?」
「聞こえてるっつーの。俺のこと心配してくれてんだろ」
「違う。一般論を踏まえた上での忠告だ」
「難しい言葉使うな。いっぱんろんとか知らねーし」
「…」
馬鹿が。いい加減その貧困すぎる語彙をどうにかしろ。呆れた目を向ける俺に、九条は屈託なく笑って見せた。
「ちゃんと分かってるよ。先生」
「…あっそ」
「ありがとな」
「黙れ」
礼を言われるようなことはしていない。
「さっき先生は教師に向いてねぇって言ったけど…あれ取り消す。先生は先生だ」
「うるさい。偉そうな口利くな」
「俺、先生が先生で良かったって思うよ」
「うるさいって、言ってるだろ」
うるさい。黙れ。喋るな。
そんなことお前に言われる筋合いはない。お前みたいなクソガキに、分かった風な口をきかれるのが俺は嫌いなんだ。
「すげー好き」
「…」
「先生が好…っん」
後頭部を引っ掴んで無理矢理口を塞ぐ。これ以上余計な言葉を発することが出来ないように、深く深く口付けた。
「んぁ…ふ、ぅ…んん!」
九条は力の入らない手で必死に縋り付いてくる。回された指先が、口内の愛撫に合わせて時折ぴくりと背中を叩いた。反応する場所を執拗に舌で嬲る。
「は、ぁっ、せ…んんっ、せん、せぇ…」
くちゅりと舌の絡む音がした。うまく息継ぎできないらしく、苦しそうに開いた口の端から唾液が零れ落ちていく。その感覚にすら快楽を見出したのか、腕の中の身体がぶるりと震えた。
「あ…あっ、は、ぅ…ン、んっ、んっ…せ、んせ…っ」
「…何、うるせぇんだけど」
少し唇を離してみると、九条は掠れた声で呟いた。
「先生、もっと、して」
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