▼ 05
――やっぱり、似合わないな。
目の前で揺れる黒い髪。もうあの馬鹿みたいな色をした頭を目印にすることはできない。だからどうということもないが、九条という存在自体に金髪というイメージが刷り込まれているせいか、こうして近くで眺めて見るとやはりまだ違和感が拭いきれない。
「なっ、なっ、なに…なんだよ…っ」
まじまじと観察していると、九条は視線を忙しなく彷徨わせながら焦りだした。別になにも、と返事をする。
「なにもないなら見んな!!」
「俺の勝手だ」
「見んな!減る!」
「何が減るんだよ」
「俺の寿命が!」
「は?」
「だって今俺すげー心臓鳴ってるし…っ!!」
心臓が一生のうち何度鼓動を刻むかは最初から決まっている、という話は俺もどこかで聞いたことがある。そのことを言っているのだと分かって少しおかしくなった。アホだ。別に寿命なんてどうだっていいだろうに。
「うひぁっ」
薄い胸に手のひらをつけてみると、確かに速くなっている鼓動の音が服の上からでも伝わってくる。
「まじで馬鹿みたいに鳴ってる」
「だ、だから言っただろっ!つーか、いきなり触ん…な、ぁっ」
「なんで?」
少し手の位置を動かし、シャツ越しに胸の突起に掠めさせた。ぴくりと九条の身体が揺れる。
「俺にこういうこと、されたかったんだろ」
「ちが…っ、俺は、そんな…」
「違わねーよ」
「ふ、ぁっ!!」
指で挟み込んでぎゅうと強く引っ張ってやると、さらに大きな声が上がった。こいつのこういう声を聞くのも久しぶりかもしれない、と考えながら手を止める。そういえば、我侭を言ったのはこいつの方なのに、俺がわざわざこいつのしたいことをしてやる義理は何一つないはずだ。
「せ、せんせ…?」
「触れば」
「え」
「触りたいなら、勝手に触れよ。見ててやるから」
二人きりになりたい。触られたい。そう言ったのはお前であって、俺じゃない。
「む、むり。できない」
「知るか。いいからやれ」
九条はしばしの間でもだとかだってだとか歯切れ悪く呟いていたが、俺が本当に何もしないことを悟ったのか、意を決したようにこちらを見た。
「…怒らねぇ?」
「別に。好きにすれば」
「じゃ、じゃあ…」
ガシリと肩を掴まれる。
「何、この手は」
「…目、閉じろよ」
「…最初はキスからって?お前本当気持ち悪いな」
「う、うるせぇ!」
いいから黙って目つぶれ、と騒ぎ出す。これ以上うるさくされるのも面倒だったので、俺は素直に瞼を下ろした。
「…」
「…」
柔らかい感触が唇に触れる。キスというよりは、口と口をただ接触させているだけの行為だった。何も感じないし、色気もへったくれもない。下手くそだ。変にテクニックなど持たれても気持ち悪いけど。
唇に触れていたそれが離されてから瞳を開ければ、九条は真っ赤な顔をしてふんと鼻息を吐いた。
「ちゅ、ちゅーした!」
「は?」
「してやったからな!」
「どこがだ。ただ口と口をくっつけただけだろ。こんなのキスでも何でもねぇ」
「俺にとってはそうなの!」
「あっそ」
「へへ…先生とちゅーした!」
堪え切れないとばかりに口元にニヤニヤとした笑みを浮かべる九条。鬱陶しい反応だ。
「何がそんなに嬉しいんだよ」
「だって先生怒んないし、なんか今日優しいし、嬉しいに決まってるだろ」
「別に優しくなんかしてない」
「ちょーやさしい!」
「おい」
飛びつくようにして抱き着かれ、座っていた机が音を立てて揺れる。勝手にすればとは言ったが、恋人のようにベタベタとくっついていいとは言ってない。こいつ、勘違いしてないか。
「離せ」
「なんでだよ。いいって言ったじゃん」
「限度ってものを考えろ」
「…だって」
また「だって」だ。今日はやけに食い下がる。
「俺、ちゃんと宿題やってきたのに。アンタの隣にいたいから」
「…」
夏休みに電話で話をしたことを指しているのだろう。俺と一緒にいたいなら、その金髪頭をどうにかしろ。目立って目立って仕方ない。それが俺の課した「宿題」だ。
「新学期始まってアンタに会うのすげー楽しみにしてたのに、なんか全然そんな感じじゃねーし、司がいるからって猫被って上辺だけの会話しかしてくんねーし」
「それは仕方ないだろう」
確かに市之宮に対しては、こんな時期に転校してくるんじゃねーよと内心思った。決して嫉妬だとかそういう意味合いではなく、純粋に面倒だからだ。
まぁ高校二年生の二学期というのは転校してくる側としては学校に馴染むことができる余地のある、最後の時期なのかもしれない。これが三年生なら話は別だ。
「お前、市之宮と幼馴染みなんじゃないのか。こんなこと知られたら困るのはお前だろ」
「困んない」
「困れよ」
「司は多分、俺がアンタのこと好きって言っても受け入れてくれるし」
「言ったら殺すからな」
「言わねーよんなこと。ばれたらまずいっていうのは、俺も分かってる」
いや、お前は分かってない。仮に分かっていたとしても、その理解は俺の半分にも満たない程度のものでしかないだろう。
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