DOG | ナノ


▼ 04

九条が視線を上げ、俺の顔を見た。

「それって、ヤキモ…」
「違う。変な勘違いすんな」

殺すぞ、と小さく呟く。この俺がヤキモチなんざくだらない感情を抱くわけがない。ふざけるなよ。自意識過剰も大概にしろ。

「用はそれだけか。いい加減離せ」
「あ、待っ…」
「さっさと言え。俺は忙しいんだ」
「…お、俺」
「何」
「俺、いい加減、アンタと二人になりたい…」

くい、と掴んだシャツを引かれた。羞恥のせいか、頬が赤く染まっている。

「…馬鹿か」

そんな顔して、周りに怪しまれたらどうするんだ。

「もうずっと、先生に触ってない…し、ちゅ、ちゅーだって、してもらってない」
「ちょっと待て。俺がいつもお前にそういうことをしてるみたいな言い方は止めろ」
「してるだろっ」
「してない」
「じゃあしろよ!!」
「無理」
「…司がいるから?」
「そうだ」
「別にあいつは関係ねーだろ!」
「関係なくても、駄目だ。お前には危機感が足りない。万が一怪しまれたらどうする」
「…」

万に一つの可能性だって潰しておかなければならない。俺とお前は、そういう危ない橋を渡っている。どうして分からないんだ。馬鹿か。馬鹿だからなのか。

頑なに手を離そうとしない九条。会話自体は聞こえていないはずだが、そろそろ市之宮にも他の生徒にも変な目で見られるかもしれない。無理矢理掴んで引きはがす。

「九条」
「…」
「俺の言うことを聞け。いいな?」
「…やだっつったら?」
「言えるもんなら言ってみろ」
「…」

――うぜぇ…なんだこのガキ…。

もし今、周りに誰もいなければ殴ってでも言うことを聞かせるのに。生憎人の目があるこの状況では、そんな暴挙にでることは不可能だ。社会的に死ぬ。俺が。

「…はー…」

零れ落ちた溜息に、びくりと細い肩が跳ねる。

――俺も大概、頭がおかしくなったもんだ。

「…5限、資料室に来い。絶対誰にも怪しまれないようにしろよ」
「えっ…」

耳元でそう告げ、振り返ることはせずにその場を去った。



一回、二回、一回と分けて、計四回のノック。いつもの合図を受け、音を立てないようにゆっくりと戸を開けた。

「来たか」
「うん」

周りに誰もいないことを確認し、九条を中に引き入れる。

「ちゃんとうまくやってきただろうな」
「多分、だいじょーぶ」
「まぁお前のすることに文句を言う教師なんていないだろうけど」

理事長の息子だから。

「念のためどうやって抜け出してきたか言ってみろ」
「えーと、家から電話が入ったからちょっと話してくるっつって抜けてきた。体調悪くて保健室ーとかも考えたけど、それだと利用者記録確認されるかなって思って」
「お前にしては珍しく気が利いてるじゃねぇか。それでいい」

手に持っていた資料を本棚に戻そうとすると、九条が尋ねてきた。

「何それ?」
「あぁ、これ。何年か前に教材として使ってたらしい国語便覧」
「そんなのまであるんだ、ここ」
「今お前らが使ってる奴も結構いいやつだけど、こっちの方が文学史は詳しいから次の授業でプリントにして配ろうかと思って」
「…先生ってさ、こういうとこ意外に熱心だよな」
「生意気な口を叩くな。意外じゃねーよ」

俺はいつも真面目に授業をやってるだろうが。

「だってその性格、ぜってー教師向きじゃねぇし。なんで先生が教師になったのか不思議だったんだよ」
「なんとなく」
「なんとなくって…」
「強いて言うなら、両親が公務員だから」
「えっ、そうなの」
「両親共々自分らの経験も相まって、堅実な職種に対する信仰みたいなのがあるわけ」

だからと言って、普通のサラリーマンが悪いとか稼げないとかそういう話ではない。だが安定というキーワードで引き合いに出されるのは、やはり公務員が第一だろう。

「一応長男だし、親を安心させるためにもお堅い職業に就くのも悪くねーかって」
「へぇ…」
「まぁここは私立学校だから、正確に言うと俺も公務員じゃないけど。問題を起こして首にならない限りは安定してるな」
「…」
「…何だ、その顔は」

ぱちぱちと目を瞬き、珍しいモノを見るかのような視線でこちらを見つめる九条。

「いや、アンタも家族のこととか考えたりするんだって思って…」
「お前はそんなに俺にぶっ殺されたいのか。そうか」
「ちがっ…いてぇ!そうやってすぐ人のこと殴るの止めろよ!本当に痛いんだぞ!?」
「痛くしてるんだから痛いのは当たり前だ」

今度こそその本を棚に戻し、俺は机の上に軽く腰をかけた。

「…で?」
「で…って」
「お望み通り、二人きりになってやったぞ」
「う…っ」

九条が顔を赤くしたまま口を引き結ぶ。自分から誘ったくせに、いざとなると恥ずかしいらしい。よく分からない。

「無理だっつってんのに我侭言いやがって。いい加減にしろよクソガキ」
「だ、だって、俺」
「言い訳なんざいらねぇ」

そんなものは求めていない。制服の襟を掴んで引き寄せる。

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