静かに外堀を埋めてくるヤンデレ承太郎。
下駄箱を開けたら手紙が、なんて漫画の中だけだと思ってた。
「……ん?」
靴の上に乗せられた封筒を手に取ると、隣にいた友人が目ざとく見つけて覗き込んでくる。慌てて隠したのだけれど遅かったらしく、彼女はからかうみたいに笑って言った。
「なにななこ、ラブレター?」
「まっさかぁ」
軽く笑いつつも手元が気になって仕方ない。ラブレター、なんて未だかつてもらったことがないから、むしろ果たし状とかだったらどうしよう、なんて。
とりあえず封筒を裏表見たけれど、ななこさま、の文字以外なにもなかった。興味津々で覗き込む友人の視線を避けるみたいにカバンに封筒をしまって、帰ろうかと声を掛ける。
「なんだったか後で教えてね!」
「果たし状だったら一緒に呼び出されてよ?」
そんな軽口を叩きながら家に帰った。
部屋に着いてカバンを置き、改めて手紙を取り出す。差出人はあまりよく知らない名前の男の子。中身はなんていうか、ラブレターのようなもの。好きです、とは書かれていなかったけれど、気になっているので一度会って話してくれないか、みたいな内容だった。それを手紙で言われたところで私に返事の術はないじゃあないか、と思ったのだけれど、読み進めると最後に日時と場所の指定があった。まぁ顔もわからないし行ってもいいかな、なんて思いつつ、この少女漫画みたいな展開にドキドキが拭いきれない。
*****
指定された日時、めちゃくちゃ緊張しながら記されたカフェに向かったけれど、そこには誰もいなかった。安堵とも落胆ともつかない気持ちを抱えて店内を見回す。
手紙で指定された端の席には「Reserved」の札が置いてあるから、待っていれば来るのだろうか。そんな思いでコーヒーを注文したのだけれど、私の気持ちとは裏腹に、いくら待ってもその席に誰かが座ることはなかった。
「……からかわれたのかな」
すっかり冷めたコーヒーの最後の一口を飲み、溜息をつく。私の溜息に呼応するみたいに入り口のドアについた鈴がカラコロと鳴った。
「……よぉ、」
「……?」
低い声が頭上から降ってきた。振り仰げばそこには見知った学生服。私は思わず彼の名前を呼んだ。
「……空条くん」
「邪魔するぜ」
彼はそうすることが当然だとでも言うように私の向かいに腰掛けた。アンティークの椅子が彼の体躯にぎしりと鳴る。
「あの、私……人を、待って……」
「来れねぇとさ」
あっさりと言い放った言葉にぱちくりと瞬き。手紙の主は空条くんの知り合いなんだろうか。彼が懇意にしている友人、なんてものを私は知らないし、彼はどちらかといえば一匹狼のタイプだった気がする。どうして、と中途半端に零した言葉は、彼が店員さんを呼ぶ声に掻き消された。
注文を取ったウエイトレス(傍目にも浮き足立って見えるのはきっと空条くんのせいだろう)は、空条くんから二言三言話しかけられると予約席の札を片付けた。やっぱりあそこに来る予定だったのか、と妙な納得をしながら彼女がパントリーに戻る背を見送った。
そうして静かになった店内で、私たちの間にはなんとも気まずい空気が流れる。顔こそ知ってはいるが仲良くもなければ話したこともあまりないのだから当然だ。
「あの、……どうして」
「頼まれた」
私が質問し終わるよりも先に空条くんはそう言い放つ。彼はそれが私の質問への回答だと言わんばかりに、それきり口を噤んだ。
私の「どうして」はそうじゃあないんだけど、彼のいささか不機嫌そうな(よく知らないからもしかしたらこれが普通なのかもしれないけど)顔を見たらそれ以上何も言えず、カップを手に取った。唇を寄せようとしてそういえば空だったと気付いて気まずいままそっとカップを下ろす。
かちゃりと陶器が鳴って、それきり静かになった。
「……何だったんだ?」
「……え?」
話、と一つ零した空条くんは、また黙る。それは私が聞きたいくらいなんだけど、それを言うのはなんだか憚られた。呼び出されただけだから、と私が首を傾げると空条くんは溜息をひとつ。
「呼び出しといて来れねえんじゃあ、たいした話じゃあねーのかもな」
「……うん、」
言い捨てるみたいなその表現に、私が曖昧に頷くと、彼の口許が緩んだ気がした。
「……来られないなら、わ、たし、帰ろうかな……」
わざわざありがとう、と言いかけたところで、空条くんの所にコーヒーが運ばれてきた。
「……コーヒーくらい付き合えよ」
「……え、あ……うん……」
なんていうか、断れる雰囲気じゃなくて、私は上げ掛けた腰を下ろした。手持ち無沙汰な私はコーヒーを傾ける空条くんを眺める。
なんていうか、黙っていても絵になるし、みんなが騒ぐのがわかるなって思えた。これはもしかして、ものすごいことなのでは、と思うとなんだか落ち着かない。居心地悪そうな私とは裏腹に、空条くんは落ち着き払っている。
「空条くんって、もっと怖いのかと思った」
思わず零した言葉に、彼はふっと笑って「取って食ったりはしねーよ」と返した。
安心させようとしたのかそれとも冗談なのか、判断が付かずに曖昧に笑えば、空条くんは満足げにまたコーヒーを飲んだ。おかしな話かもしれないけど、それでなんだかちょっぴり安心した私は、ひとつふたつ学校の話なんかして、それを空条くんが相槌を打ちながら聞いて、なんていうか、そこそこ和やかに過ごせたと思う。
「……今日はわざわざありがとう」
「礼を言うのはこっちの方だぜ」
帰る頃にはすっかり打ち解けた「普通のクラスメイト」で、空条くんはとても自然に伝票を持って、「付き合わせた礼だ」と言って私が財布を出すのを制し、おまけに家まで送ってくれた。
「……また学校で」
「あぁ、それじゃあな」
ばいばい、なんて手を振って、なんだかよくわからないけど楽しかったなと思いながら部屋に戻る。空条くんと話すなんて意外だったけど普通に仲良く話せたし、たいしたことじゃあなかったんだろう、と気にしなかったのだけれど、翌日学校に行ってみれば、やっぱり大事件だったわけで。
*****
「昨日ジョジョが女の子と喫茶店にいたって本当!?」
朝学校に来たらそんな言葉が学校のあちこちを飛び交っていた。きゃんきゃんと騒ぐ声が聞こえるたび背筋が寒くなる思いだ。まだ相手が私であることはバレてないみたいだけど、空条くんに聞きに行く!と息巻いている女子たちを見ると時間の問題のような気がする。当の空条くんは、まだ登校してないみたい。大丈夫、バレるわけない、と心の中で何度も繰り返すけど、どうしたって落ち着かない。
「あっ、ジョジョ!」
その声を皮切りに、黄色い声が一箇所に集まり出す。少しして「やかましいッ!」と空条くんの声が聞こえた。震えた空気に黄色い声が止む。けれどそれは一瞬で、すぐに誰かの「昨日デートしたって本当?」って声が聞こえた。お茶したのは事実だけどデートじゃないし、これで誤解が解けるかしらって期待は、一瞬で覆った。
「……どうだかな」
叫び声だとか悲痛な声だとか、いろんな音が教室中で渦巻いた。聞きたくないはずなのに「相手は誰なの」なんて声を耳が拾って息が止まりそうになる。なんで否定しないの、と聞きたいけれど、この状態で空条くんに話しかけに行けるほどの度胸はない。
私の心中を知るよしもない空条くんは、その騒ぎをやかましいの一言で一蹴し、どっかりと自席に着いた。
みんなしばらく騒いでいたけど、チャイムが鳴って蜘蛛の子を散らすようにいなくなった、あちこちで囁かれる言葉が、私のことなんじゃあないかって気になって仕方ない(自意識過剰かもしれないけどきっと空条くんのことだし)。
息苦しさを感じながらどうにか授業を乗り切ってお昼、私は突然沢山の女子に取り囲まれた。
「……ちょっと来てくれる?」
わかるでしょ?と、強く光る瞳が物語っている。まっすぐに向けられているのがあまり良くない感情だってことが私にもすぐわかるくらい、彼女達の目は怖かった。
「……早く」
有無を言わさぬ様相の彼女達は、私を引き立てるみたいに校舎裏に連れ出した。絶望で竦む足を、それでも動かさなきゃあもっとひどいことになるかもしれない。
「ジョジョと付き合ってるの?」
「……いえ、……そんなことは……」
人気のない校舎裏、逃げ出せない尋問だ。まるでイジメみたいな状況でも、助けはない。
泣きそうになりながら必死に否定しても、火に油だった。とぼけたって無駄なんだから、と肩をどつかれたのを皮切りに、なんでアンタみたいなのが、とか、ブスのくせに、とか、次々とぶつけられる悪意。物理的な暴力よりもずっと怖くて瞳が潤めば、泣いたって無駄だとばかりに更に罵倒された。ジョジョは迷惑してるのよ、と言われたけれど、別に迷惑を掛けたつもりはない。空条くんだけじゃあなく、あなたたちにだって。
なんで私がこんな、と考えてみても、空条くんが悪いわけじゃあないし、誰がが助けてくれるわけでもない。ただ身を縮こめて、この悪意が去るのを待つことしかできなかった。
*****
「……二度とジョジョに近付かないでよね!」
そう吐き捨てて彼女達が去る頃には、私はすっかりぼろ雑巾のようになっていた。立ち上がることすら出来ず、遠くで鳴るチャイムをぼんやりと聞いていた。
何にもしてないのに、なんの事実もないのに。
私の言葉なんて何一つ聞いてはもらえなくて、悲しくて悔しくて痛くて、涙が止まらない。しゃがみ込んで泣き続けてどれくらい経ったのか、不意に聞こえた足音に身を竦める。
「……こんなところにいやがったのか」
「……くうじょう、くん……」
探してくれていたのだろうか、肩で息をする空条くんは大きな身体を屈めて私に近付き、すまなかった、と優しく呟いた。
「……空条くんが、悪いわけじゃあ……ない、よ……」
しゃくりあげながらそう返せば、大きな手がそっと私の髪に触れた。もう二度とこんなことはさせねえ、と告げた声はひどく優しくて、また涙が出た。
「……俺に、守らせちゃあくれねえか」
「…………な、んで……」
「……俺の責任だ、」
そんなことはない。空条くんは悪くないし、この手に縋るのは、彼の優しさを利用するみたいで気がひける。
でも、またあの悪意に囲まれて、この先生きていく勇気なんて、わたしにはない。
「……空条くん……」
どうしたらいいの、なんて彼に聞くのは間違っているのに、唇から言葉が勝手に溢れた。
「もう、大丈夫だ」
「……あ、りがと……」
差し出された大きな手を恐る恐る取れば、ぐい、と勢い良く引かれ、そのまま広い胸に抱きしめられる。驚いたけれど暖かでしっかりした身体になんだかひどく安心してしまって、私は迷子の子供みたいに声を上げて泣いた。空条くんは、慰めるでも迷惑がるでもなく私の髪を撫でて、何度も「大丈夫だ」と言った。
「……ごめん、なさい……もう、大丈夫……」
「……あぁ、」
しばらくして落ち着いた私がそう告げると、空条くんは柔らかく微笑んで、よかった、と返した。
「……巻き込んでごめんね」
「そりゃあこっちのセリフだぜ」
空条くんは、心なしか嬉しそうに見えた。どうしてだろう、と思ったけれど、何を問えばいいのかも分からない。
ただ、彼の迷惑でないといいな、と、思った。
20181028
prev next
bkm