ビン底メガネ。よく漫画やなんかでぐるぐると渦巻くメガネのキャラクターがいるけれど、あれはあながち嘘ではない。
レンズの厚みと屈折で、私のメガネを傾ければ確かに「あの」ぐるぐるが見えるのだから。
「…はぁ。」
メガネを外して教室をくるりと見渡す。
ぼんやりとまるで曇りガラスの向こう側みたいな景色。友達もいてそこそこ楽しい毎日だけれど、この可愛くも何ともない黒縁のメガネのせいで私の青春が少しばかり薄暗いものになっているのは間違いではないと思う。だってどう着飾ったところで残念なことに私の顔の印象はこのメガネになってしまうのだから。
目が良かったらお化粧したりがもっと楽しかったんだろうな、と思ったところで私の視界がクリアになったりはしないのだけれど。
「…ななこさんがメガネ外してるの、初めて見たな。」
頭上から降ってきた声に目を細めながら顔を上げれば、ぼんやりとした視界にも眩しいピンク色。
「か、きょういんくん…?」
「…当たり。」
慌ててメガネを掛けようとすると、彼は私の手からメガネをするりと奪い取る。
「すっごい分厚いレンズ!…よっぽど目が悪いんだね。」
貸してね、と彼は私の返事も聞かずにメガネを掛け、うわ、くらくらするよ!なんて女子みたいなリアクションをしている。そしてあろうことか「承太郎、掛けてみて!」と隣にいる空条くんに私のメガネを渡した。
途端に教室が色めき立つ。
私に視線が集まったわけではないのに、恥ずかしくて思わず顔を伏せた。あの空条くんが私のメガネを、なんて可愛らしい戸惑いではなく、目が悪いというコンプレックスを、あろう事か憧れの空条くんに抉られてしまったような気持ち。あぁもう泣きそう。花京院くんのバカ。
「花京院。」
嗜めるような声と共に、大きな手がそっと机にメガネを戻した。
「え?あぁ、ごめんごめん。…ななこさんも、ごめんね。」
さして悪びれない花京院くんの声が遠ざかっていく。私は目の前に置かれたメガネを手に取っていつもの位置に戻した。
色めき立ったってことはきっと、花京院くんが私のメガネを空条くんにも掛けたのだろう。俯かずに見れば良かったと思ったけれど、私の視力ではきっと見えなかったに違いない。
空条くんのメガネ姿、見たかったな。
*****
「…おい。」
「…え、…?…あ、はい!」
廊下を歩いていると、不意に声を掛けられた。慌てて振り向くとそこには大きな身体。メガネの淵より上に顔があって、思わずフレームを持ち上げながら見上げた。
「…空条、くん…。」
私が面食らっていると彼は困ったように帽子を下げ、ビビらすつもりはねえんだが…と小さく呟いた。辺りからは黄色い声が飛ぶ。それと、私への嫉妬の籠った視線も。
「いえ、あの、」
何を言っていいのかまったくわからない。おろおろする私に彼は「ちょっと付き合え。」と告げて歩き出す。状況が飲み込めないでいるのに空条くんはずんずんと先に歩いてしまって、私は置いて行かれないように小走りに彼の後を追った。
階段を登り、屋上に抜ける非常ドアの手前で空条くんはやっと立ち止まる。そうして私に向き直り、視線を落とした。
「さっきは悪かったな。」
花京院に悪気はねえんだ。と続く落ち着いた低い声。わざわざそれを言うためにここに、と驚く。さっきの廊下で十分じゃあないかと思ったけれど、他の女子生徒のあの視線に晒されないようにしてくれたんだろう。優しいな、空条くん。
「…ううん、大丈夫…。」
「大丈夫なようには見えなかったんだが、」
困ったような声は私を気遣ってくれているらしい。あの空条くんにそんな気遣いをさせるのが申し訳なくて、私は慌てて弁解した。
「いや、空条くんのメガネ姿、見たかったなぁって。」
えへへ、と曖昧に笑ってみせると、彼は「なら貸してみろ」と私にメガネを外すよう促した。
「え、でも、私目が悪くて見えないから…」
「なら見える位置で見ればいいだろう。」
うるせえ女どもも居ねえしな、と彼は私からメガネを奪って自分に掛け、私に顔を寄せた。え、何このご褒美。心臓に悪すぎる。
「空条くん!ちょ、近い近い!」
「見えたか?」
「見えたみえた!見えたから!」
清潭な顔立ちに黒縁のメガネ。どちらかと言えばワイルドな格好良さがメガネで理知的に引き締まる。ダメだよそんなの殺人的じゃん!
顔から火が出そうな私を揶揄うように見つめて、彼はゆっくりとメガネを外した。返して貰えると思って彼の手元に視線を落としたけれど、メガネは一向に戻って来ないし空条くんの顔も遠ざからない。
「…あの、ッ…」
耐え切れなくなって声を上げれば、彼は気付いたようで私から距離を取った。けれどメガネが戻ってくる様子はない。
「…空条くん?」
「…いや、花京院の言った通りだと思ってな。」
花京院くんは一体何を言ったというのだろう。ななこの弱点はメガネだよ!なら全くもってその通りだ。メガネのない私はこの階段ですら転げ落ちる自信がある。
「…メガネが弱点だよ、とか?」
「…やれやれだぜ。」
どうやらハズレらしい。彼は小さく笑って、私にそっと触れた。心臓が早鐘を打ち、思わず目を閉じる。指先が耳元を擽り、髪を耳の後ろに流す。そうして元のように、メガネを私の顔へと戻してくれた。
「不用意に外すんじゃねえぜ。」
そう言い残して、彼は悠々と階段を降りていった。残された私は、へにゃりと踊り場にしゃがみ込む。リノリウムの床が冷たいのは、私の身体が熱いせいだろうか。不用意に触るんじゃないぜ、と返してやりたかったな、なんて思ってもあんな状況では何も言えない。
「…花京院くん、何言ったのさ…」
私の呟きは誰もいない階段に虚しく響いた。
*****
「あ、承太郎!どこ行ってたの。」
「…お前が言うから確認してきた。」
「え?…あぁ、『ななこさんってメガネ外したら承太郎好みだよね』って?…で、どうだった!?」
「…やれやれだぜ。」
「あ、はぐらかすなよ承太郎ー!」
20160131
メガネ3太郎。(ネーミングが駄菓子)
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bkm