昔から考えるのが苦手で、ムズカシーことを考えると頭が痛くなる。っつっても、頭が痛いことなんてそうそう無かったのは、大抵のことは兄貴がなんとかしてくれてたのと、オレが元々なんも考えちゃあいなかったから。
今になってこんなに頭が痛いのは、兄貴がいなくなっていろんなことを考えなきゃあならなくなったからかもしんねーし、最近寝不足なせいかもしれない。原因を考えたところでこの頭痛が治るわけもなく、オレは諦めて机に突っ伏した。仗助たちが来たら助けてもらおう、なんて。
そうしている間に眠ってしまったのか、遠くで「なんだァ億泰は寝てんのか?」「僕たち先に帰るね」なんて声が聞こえた気がした。頭が痛えんだよ、と答えたつもりだったのに、気付けば辺りは静かなもんで、重い頭を持ち上げられないまま開いた視界には、誰もいない教室が映り込む。
「……ッいて、」
ゆっくりと頭を持ち上げたけれどやっぱりズキズキと頭の中が騒いでいて、思わず溜息。あーこれどうしたらいーんだよ、と絶望にも似た気持ちで再び机に突っ伏そうと思ったところで、「大丈夫?」なんて声がした。
「……あ?」
「……虹村くん、具合悪いの?」
心配そうな声は誰のものだろう。柔らかな音は痛む頭にゆっくりと染み込んだ。「頭痛くってよォ」と視線も向けずに返せば、「お薬、いる?」と救いの言葉が落とされた。
「おー……もらってもいいか?」
「うん、……はいこれ、……大丈夫?」
唸り声を上げながら起こした視界には、心配そうなななこの顔。なんで助けてくれんのかわかんねーけど、差し出された小さな錠剤を落とさないように手を伸ばす。
「悪ィ……サンキューな」
手の中に収まった小さなシートから白い粒をぷちりと押し出す。ななこは緩慢な動作で薬を取り出すオレを見て、ちゃんとお水で飲んだ方がいいよ、と目の前に中途半端な量のペットボトルを置いた。
「……これ、って」
飲みかけのペットボトルを見て、間接キスってやつじゃあねーか、と逡巡しちまったのはなんとも情けない話なんだけど、オレが手を伸ばさないのを見たななこはちょっぴり困った様子で声を上げた。
「あっ、もしかして気にする人だった? えっと、水道まで歩けそう?」
「……いや、大丈夫……っつーか、おめーはいいのかよ」
間接キスじゃあねーか、と情けない声を上げたオレに、ななこは「そんなこと気にするより、頭痛いの治す方が大事だよ」と柔らかな声で言って、ペットボトルのキャップを外し、オレに押し付けた。
嫌じゃあねーの、と喉元まで出掛かった台詞を、白い錠剤とぬるい液体で飲み下す。オレの喉元に注がれた視線がなんだか恥ずかしい。格好悪ィとこ見せちまったな、と思ったらこめかみがまたズキリと痛んだ。
「少ししたら効いてくると思うから」
「……悪ィ、ありがとな」
口元を乱暴に拭ってペットボトルを返せば、ななこは白い指先でキャップを閉めて、それをまたカバンにしまった。
薬を飲んだ、って事実だけで楽になった気がするんだからオレってほんと馬鹿なんだなァ、なんて考えが浮かんで、ちょっぴり余裕が生まれたんだと安堵する。そうしてしばらく大人しく呼吸だけしてたら、痛みは随分とマシになった。
「……なんで薬なんか持ってんだァ?」
お陰で助かったけど、コイツも頭痛えことあんのかな、って思ったらなんだか心配になって問いかける。ななこは困った顔で「女の子は割と持ってると思うよ」と言葉を濁した。
「よくわかんねーけどよォー、助かったぜ」
「……良かった。……帰れそう?」
頷いたらまた少し頭が痛んだけど、ちょっと気になる程度まで落ち着いた気がする。それにしたって仗助たちは帰っちまったのに、ななこは良く気付いたよなァ。
「……ん? そういや、なんで俺が具合悪いってわかったんだ?」
仗助と康一だって、オレが寝てると思ってそのまま帰ったのに、と言えば、ななこは顔を真っ赤にして慌てて「えっと、あの、」なんて無意味な言葉を唇からぼろぼろと落とした。
それからぎゅっと唇を引き結んで、大きく息を吸い込む。それを見ているとなんだかオレまで息を詰めてしまう。赤い頬から視線が外せない。
「……それ、は……私が、億泰くんのこと……見て……た、から……」
「……なんで、」
なんで見てんだよ、と、仗助たちにするみたいに茶化そうとしたのに、上手く言葉が出てこなかった。それはきっと、ななこが仗助にラブレターを渡す女子たちとおんなじ顔をしていたから。
「……なんで、って……言われても……」
赤い頬で俯くななこを見て、まさか、なんて胸が高鳴る。……いやぜってーそんなワケねーけど、でも、こんな状況じゃあ期待すんなっつー方が無理な話だ。
心臓がうるさくて息苦しくて、なんだかまた頭が痛くなりそうだ。 いやでも、頭が痛くなんなかったらななこに優しくされたりもしなかったワケで。っつーか、優しくっつーか、間接キ、ス、した、よな!?
「わっ、悪ィ……、ホント、薬ありがとな!」
思考が混乱して慌てたオレを見てななこはさらに頬を赤くして、「元気になったみたいで良かった」と勢い良く立ち上がった。
「……虹村くん、帰れそう?」
おうちまで送るよ、となんとも男前なセリフを吐いたななこは、当たり前みたいにオレのカバンを持った。
「いや、カバンくれー自分で持てっから」
「大丈夫だよ!」
「そーいうわけにはいかねーだろ!」
いくら具合が悪くったって女子に荷物なんか持たせらんねーよ、と言えば、ななこは真っ赤になって、しぶしぶ引き下がった。
「……気持ちだけ、もらっとく。サンキューな」
「……うん、」
「……途中まで、一緒に帰ろーぜェ」
「……うん」
そう言って立ち上がると、なんだか静かになっちまったななこは、恥ずかしそうに俯いてオレの隣に付いてきた。
「……そうだ、なんかお礼しねーとなァ」
会話の糸口を、と思ったらそんなことに気付いた。助けてもらったし、なんかねーかな、と軽い気持ちで言ったつもりだった。
「お礼、って、……こうやって一緒に帰れるだけで充分、」
ななこは言いながらみるみる真っ赤になって、言い終わる前に両手で顔を覆っちまった。声にならない声を上げる様はなんだか可愛いし、それってもしかして、って期待は高まるばかりで。
「……なァ、……いくらオレが馬鹿でもよォー、これは期待すんなっつー方が無理だと思うんだ、けど」
こんな窺うみたいなのカッコ悪ィなァと思いつつもそう零せば、ななこは顔を覆っていた手をちょっとだけ下ろして、俺を窺うみたいに視線を向けた。
「……期待、して、くれるの?」
「なっ、……なんの、だよ」
「……億泰くんが言ったんじゃあない……」
そう言うとななこはまた顔を覆ってしまった。いやもうこれ、脈アリなんてもんじゃあねーだろ、って、心臓がばくばくしてる。
けどここまできて勘違いでした、なんて話ももしかしたらあるのかもしんねーし(だってオレこんなん初めてだし)、なんつーか、どーしていいのかわかんねー。
「……と、にかくよォ、ありがとな!」
さっきから胸が騒がしいことばかりで、頭が痛いのなんてどっかに飛んでった。思い悩むことには違いないのかもしんねーけど、なんつーか、頭より胸の方が、痛くなりそうだった。
20180512
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bkm