「ミスタ!今日何の日か知ってる?」
「えっ?…今日はサン・バレンティーノだろ?」
廊下で鉢合わせたミスタにそう問えば、彼は慌てて手に持った大きな紙袋を背中に隠した。
「うん、バレンタインってイタリア発祥なんでしょう?日本にもあるの。…でもさぁ、本場なのにチョコレート少ないね。」
イタリアのチョコレートを楽しみにしていたのに、お店に行っても日本のような賑やかなバレンタインフェアはやっていなくて少しばかり落胆したのが数日前。私は結局お気に入りのチョコレートを見つけられず、馴染みのケーキ屋さんでいつもより少しだけ豪華なチョコレートを買った。
「はァ!?チョコレート?…何言ってんだよななこ。バレンティーノっつったら薔薇だろうが。ホレ。」
そう言うとミスタは背に隠していた紙袋から抱えるほどの薔薇の花束を出した。
「うわ、なにこれすごい!真っ赤な薔薇の花束なんて初めて見た!」
まるで映画かドラマみたいだ。 抱きかかえると生花独特の芳香がした。むせ返る程の香りはまるで生きている主張のようだと思う。こんなにたくさんの薔薇、すごいね。と顔を上げた先には、呆れたような顔のミスタ。
「…チッ、ムードのねえ奴だなぁー…」
「うひゃ、ミスタ!?」
壁に片手を付いて、彼は私を閉じ込めた。
私の抱いた花束が、ミスタの胸にぶつかってがさりと音を立てる。こっち向けよ、なんてカッコつけた声が聞こえるから、私はその言葉に従って顔を上げた。茶化す気になれなかったのは、ミスタの声が思いの外真剣に聞こえたから。
「…花屋で一番綺麗な薔薇を買った。だがななこ、お前の美しさには遠く及ばねえぜ。」
照れもせずに言えるのは彼も立派なイタリアーノだってことで。普段のミスタからは想像もつかない台詞に思わず顔が赤くなる。
「…恥ず、かしいよ…」
「…フフン、惚れ直したか?」
満足げなミスタを見ていたら、照れているのが悔しくなってきた。私は唇を引き結んで、彼をしっかりと見る。
「…ッ!…日本のバレンタインとは違うのね!」
「…違うのか?」
私の態度に圧されたのか、彼はキョトンとした顔でこちらを見る。その顔は私がよく知ったいつものミスタで、こちらもいつもの調子を取り戻す。
「うん。全然。」
「へぇー。だけどよォ、ここはイタリアで俺はイタリアーノだ。」
私に調子を取り戻させまいとするように、ミスタはぐい、と顔を近づける。また気障な台詞を吐かれてはたまらないと私は逃げるように顔を伏せ、ぽつりと呟いた。
「郷に入っては郷に従え、ってやつね…」
ちらりと視線を上げたけれど、ミスタが近くてドキドキしてしまって。私は彼を見ることを諦めて、手元に視線を落とす。
「なんだよそれ。」
「日本のことわざ。自分がいる文化に合わせろって意味、かな。」
「ふぅん、…ジャッポーネらしーなぁ。」
ミスタに言われて、確かにそうだなと思う。空気を読めとか雰囲気で察しろとか、そういう話なんて、ここパッショーネでは無縁だ。主張しなければ誰も分かってくれない。…とそこまで考えて、ミスタにだって言わなきゃ伝わらないのかもしれないなと思い至る。
「…でも、折角準備したからさぁ…ミスタ、日本のバレンタインも体験してみない?」
「…あ、あぁ。別にいーけど。」
優しい恋人は私の事をきちんと考えてくれるし、イタリアーノらしく愛情たっぷりに接してくれる。愛情表現に乏しい私を、日本人だから仕方ないのか、なんて苦笑して許してくれる優しいミスタ。私がこんなに彼を好きだって、果たしてきちんと伝わっているんだろうか。
「ミスタ、」
「…なんだよ。」
私の改まった声にこちらを見るミスタの胸を押す。彼は私の行動を不思議そうに眺めながら、されるままに私から距離を取った。
友人同士がいるときくらいの距離になったところで私はバラの花束をそっと足元に置き、彼にチョコレートを差し出す。
「好きです。」
「…っ、サンキュ。」
幸せそうな顔をしたミスタが私の手を包み込むように掴み、そのまま引っ張った。チョコレートも私もミスタの胸に収まる。
「…日本ではさぁ、女性が男性に愛の告白をする日なんだよ。」
照れ隠しにそう言えば、ミスタは嬉しそうに私をぎゅうっと抱きしめた。
「いいじゃあねーか、日本式!なぁ、ななこ。もう一回!」
20160214 Felice San Valentino!
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bkm