ななこが知人から恋人になって、俺を呼ぶ声が「ミスタ」から「グイード」になって。
一緒に暮らしているんじゃないかってくらいに部屋に彼女の姿が馴染んだ今頃になって、すげー考えたくないことに、気付いてしまった。
「ねぇグイード、キスしてもいい?」
「なんだよ。珍しく甘えてんじゃねーの。」
今俺の腕の中にいるコイツは、恋人じゃなくて、本当はassassinoなんじゃあないかって。
啄むような口付けを繰り返していると、ねだるように首筋に腕を回してくる。
その気になれば今だって、簡単に絞め殺すことができるだろう。だって彼女はスタンド使いなのだから。
それでも、何事もなく口付けを繰り返し、愛を囁き情愛を交わすのだ。それが嘘だなんて考えたくない。
「グイード、愛してる。」
「グラッツェ、ななこ。俺も愛してるぜ。」
この言葉がもし嘘だとしたら、俺はどうするだろうか。
情事の後の微睡みの中、ななこがぽつりと呟いた。
「…私に殺されるか、私を殺すか…どっちかしなきゃいけなかったら…グイードは、どっちにする?」
「…どっちもお断りだな。」
柔らかな髪に指を絡ませる。いつになく静かな、海底のように重い夜。
「そしたら私、別の人に殺されちゃうの。うんと苦しめられて。」
髪を撫でていた手に、白くて細い指が絡まる。指先はそのまま這って、俺の手首を掴んだ。
「…ななこ。」
「…だから私は、グイードに殺されたい。」
視線が真っ直ぐぶつかる。
「…やっぱり、俺を殺すつもりで近づいたのか。」
考えたくなくて、目を逸らしていたこと。
それが事実だったと、知らされる。
『彼女から』『言葉で』知らされたことは、果たして幸せなことなのか。
「…最初は殺すつもりだったんだけど、愛しちゃうなんて…暗殺者失格ね。」
そう言って、頬に口付け。
グラスを割ってしまった子供みたいに、どこか他人事みたいな照れ笑いを浮かべるななこは、本当に暗殺者なのか疑わしいほど普通の女の子だった。
「…どこの組織だ?」
聞きたくない。こんな話より、どこに旅行に行くかとか、子供は何人欲しいかとか、そういう話がいいのに。
「私、フリーランスなの。だから…残念だけど、雇い主のことは知らない。…ごめんなさい。」
「だったら、俺と逃げよう。」
叶わないことは二人ともよく分かっているけれど、縋りたい甘い言葉。
逃げたって逃げられるもんじゃない。それでも、その甘い言葉に酔えたらどれだけ幸福か。
「…そういうわけにはいかないでしょう?パッショーネにはグイードが必要。」
両手で頬を挟んで、ななこは幼子に言い聞かせるように優しく言った。
言葉の裏側には、自分は不要なのだという自嘲が透ける。
「…俺には、お前が必要なんだ。」
「…ねぇグイード。人魚姫、知ってる?」
俺の言葉を聞かなかったことにして、ななこは淡々と話す。
「…王子様を殺せなくて、泡になっちゃう話。」
「…あぁ。」
自分と重ねてでもいるんだろうか。
生憎俺は、人魚姫に出てくる王子ほどオメデタくはない。
「人魚姫は王子様に気付いてもらえないまま泡になっちゃうけど、私は、グイードに愛されたまま、グイードの手で死ねるから。
…すごく、幸せだと思う。」
頬を包んだ両手を寄せて、そっと口付けられる。合わせられる唇がまだ暖かいことに、心の底から安堵する。
「…馬鹿なこと言うなよ。」
思いの外乾いた声が出て、自分でも驚く。
いつの間にか微睡みは去り、やけにハッキリした意識の中、冷たい思考の自分がいた。
「『一緒に逃げよう』よりは、馬鹿じゃないと思うの。」
そう言って笑うななこは、泡沫のように儚く見えた。きっと彼女は、人魚姫より美しい。
「…俺は、殺したくない。」
殺されたくもねーけど。と続けると、ななこはいつもみたいに「グイードはワガママさんね。」と笑った。
「ね、お願いがあるの。」
「聞きたくねーけど、聞いてやるよ。…聞くだけ、な。」
腕の中の小さな身体をぎゅっと抱き締める。
何一つ、本当の望みは叶わないのだ。
彼女の言葉は、真意ではない。
「…グイードが、…ちゃんと殺して。」
「…そりゃちっとばかし悪趣味すぎんだろ。」
髪をそっと撫でる。ピストルズだって、ななこを殺したくなんかはないだろう。
クッキーやらケーキやら、リクエストすればなんだって作ってくれる可愛い女なのに。
「…他人に…酷い目に遭わされて殺されるくらいなら、グイードに殺されたいな。…ダメなら、諦めるよ。」
そう言って笑うななこ。殺したくないけれど、俺が殺すのがきっと、最善なんだろうと思う。
以前にボスージョルノとした会話を思い出す。
「ミスタらしくない。さっさと片付けるべきです。」
「…でもよぉ…」
「ギャングである時点で、仕方のないことです。…できないなら、僕がやりましょうか。貴方に死なれては、僕が困るので。」
「…いや、いい。やっぱり自分でなんとかしなきゃダメだよな。」
そうは言ったものの、何も思いつかないままの日々。傍目には幸せな日常だったし、実際幸せだった。暗殺者だという疑念を圧し殺しながらも。
あの時から、分かっていた。
自分が殺されるか、ななこを殺すか。
それしか道は無いのだと。
だったら、辛いほうを俺が担うべきだ。
彼女は、せめて人魚姫より幸せに。
「愛してる、ななこ。」
抱き締める腕から『覚悟』が伝わったのか、ななこは幸せそうに笑って言った。
「私も、あいしてる。」
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bkm