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崩壊の足音

兄貴が命を落とす前日〜数日前の話。




「形兆くん、私も行く!」

「バカ言ってんじゃあねーよ」

馬鹿じゃあない。私は君よりもずっと大人だ。形兆くんみたいに家は買えないけど、知らない街に一人暮らすことくらい造作もないよ。
そう思って追いかけてきたこの平和な街は、なんというか、書き割りの背景みたいな、少しばかりニセモノじみた静けさをもって、私を出迎えた。ベッドタウンのせいなのだろうか、昼はひどく平和な街だ。退屈なほどに。

「…いい街だね」

「そうか」

形兆くんは何を考えているのか、この街に似合わないほど真剣な眼差しを青空に向けていた。彼は何を思って、この街に住むことを決めたのか、私は知らない。
流石に一緒に住むわけにいかないから、私は安普請のアパートを借りた。形兆くんの家からも駅からも遠くなくて、結構気に入っている。

*****

杜王町にある形兆くんの買ったという家はなかなかにボロくて、でも彼の几帳面な性格のおかげで生活空間は殺風景なまでに片付いていた。こと掃除に関しては私の出る幕は、ない。まぁ彼らが靴のまま家に上がる、なんとも破天荒な暮らしをしているせいもあるけれど。

「何しに来た」

「…ごはん、作りに来たよ」

今更のようなセリフを私は今日も告げる。これはまぁ言ってみれば虹村家に入る呪文のような言葉だ。
私の言葉を聞いた形兆くんは眉を寄せて嫌そうにしながらも「入れ」と招き入れてくれた。
彼の料理は決して下手ではないのだけれど、その几帳面すぎる性格は、「手際」という観点からすると少しばかり厄介なものなのだった。料理人みたいに毎日時間を掛けられるならいいのだろうけど、彼ら学生はなんだかんだで忙しい。その上彼は何かにつけてキチンとした美しさを求めるもんだから、専業主婦にでもならなければ毎日の家事はこなせないんじゃあないかと思う。私みたいな適当な女がちゃっちゃと作る夕飯がなければ、彼が24時間のうちに1日の家事を終えられる気がしない。…なんて、この家に上がる口実を今日も心の中で呟きながら、廊下を歩く。

「お邪魔しまーす。」

靴のまま台所に入るのは、正直何回やってもドキドキしてしまう。学校みたいに上履きでも置きたいくらいだ。きっと形兆くんは許してくれないだろうけれど。

「今日は何にしようね。…形兆くんは、食べたいものないの?」

「…甘口のカレー」

「それは億泰くんでしょう?」

エプロンの紐を結びつつそんな会話をする。形兆くんはいつも、億泰くんを優先する。それは食事のメニューも勿論で、だから私は、形兆くんの好物を知らない。
カレーが好き、と言われたらなんだか納得しそうだ、もしかして、本当に甘口カレーが食べたいのかもしれないな。なんて思ったら勝手に笑みが零れた。形兆くんのリクエスト通りカレーにしようと冷蔵庫から野菜を取り出し、ピーラーで皮を剥く。

「形兆くんは何が好きなの?」

「どうだっていいだろうそんなことは。」

「良くないよ。折角作るなら、形兆くんにも喜んで欲しいし」

「億泰が好きなもんは、おれだって嫌いじゃあねーさ」

でもカレーは辛口がいいんじゃあないの?と形兆くんの方を向けば、彼は少し考えて「辛口のカレーの味なんて、忘れちまったな」と言う。それを聞いて、胸がちくりと痛んだ。
誤魔化すように、皮をむき終えた人参を勢い良く半分に切る。ストン、と小気味良い音が、私の思考を遮ってくれた。

「よし、じゃあとびっきり辛いやつ作ろう!カレー!」

「やめろ。億泰が泣く」

「途中から鍋を分ければいいだけだよ。形兆くんのは辛くって、億泰くんのはいつもの甘口ね。」

私は16センチの片手鍋を棚から取り出し、カレーを作る予定の鍋の隣に置いた。形兆くんが泣くくらい辛いカレーにしよう。泣いて怒って、そのポーカーフェイスが歪んだらいい。

「ねぇ形兆くーん?」

「なんだ」

「形兆くんはさぁ、杜王町がきらいなの?」

「…いいや。嫌いなら来ないだろ」

じゃあどうして、そんなに難しい顔をしているの。
問い掛けようとしたけれど、なんだか言えなくて言葉を飲み込む。やっぱり辛いカレーでも食べさせて、気分転換してもらおう。

「…私もさぁ、甘口がいいんだよね、カレー」

「…どうした、急に。」

「んー?形兆くんに食べさせる、から〜いやつ、味見できないよ、ってハナシ。」

「不味いモン作りやがったら承知しねえぞ」

形兆くんは少しばかり笑って、なんで辛口なんて作ろうと思ったんだよ、と言った。
止めないところを見ると、やっぱり甘口では物足りないんだろうか。…それくらい、いつだって言えばいいのに。

「私が作ったご飯が不味かったことある?」

「随分な自信のようだが、あるぜ。」

「うそ!」

形兆くんは揶揄うような視線を向けて、唇の端を持ち上げた。ほんとに!?ごめんね!と慌てる私を興味深げに見つめている。
記憶を辿ってみても彼らが食事を残したことなんてないから、きっと無理して食べてくれていたんだろう。だとしたら本当に申し訳ない。

「…まぁ、最近はだいぶマシになったがな」

「それは…褒めてくれてんの?」

形兆くんは「まぁな」と、私の背を軽く叩いた。それだけのことがなんだかとても嬉しくって、意気揚々と声を上げる。

「じゃあッ、もっと頑張るから!」

だから、これからも私の料理を食べてね?なんて、恥ずかしい言葉を続けそうになってしまう。プロポーズみたいだ。…まぁ、形兆くんとなら結婚してもいいと思うんだけど。私がプロポーズなんてしたら彼は受けてくれるだろうか。

「そりゃあ楽しみだな」

頼むぜ、ななこ。なんて言われて、思わず頬が緩む。頼りにされるって、こんなに嬉しかったんだっけ。

*****

ご機嫌で作ったせいか、カレーはいつになく美味しくできたらしい。子供のようにはしゃぐ億泰くんを見ながら、私は安堵の笑みを零す。形兆くんの分、として作ったカレーは、どう見ても辛いから私は味見をしていない。億泰くんは果敢にも味見を試みたけれど、片手鍋の中に指を突っ込もうとして形兆くんにこっぴどく叱られたので未遂に終わった。

「うめーよォ〜!ほんっとななこさんはスゲーなァ〜!」

「…良かった。」

褒められて嬉しいはずなのに、形兆くんのカレーの方が気になって、適当な返事しか返せなかった。

「…形兆くん、どう?」

「…億泰には絶対に無理だろうな。」

ここにきても億泰くんのことか。美味しいと言わないのは美味しくなかったからかな、と形兆くんを見れば、彼はスプーンを運ぶのを躊躇っているようだった。

「…もしかして、辛い?」

「…あぁ、味がわかんねー程にな」

言いにくそうに視線を彷徨わせながらそう返す形兆くんは、相変わらずのポーカーフェイスだ。もっとこう、リアクションがあったら面白かったのに。
無理をさせてはいけないと皿を引くと、形兆くんはどうして持っていく、とでも言いたげな視線を向けた。

「…無理に食べなくても」
「無理なんかしてねぇ。」

いいから食わせろ、なんて凄まれてしまうと、手を離すしかない。形兆くんは再びスプーンを持つ。

「あ、ねぇ!甘口のカレーと混ぜたらどうかな?」

「んな格好悪ィことはしねーよ。」

カレーに格好いいも悪いもないだろうと思うんだけど、形兆くんの美学に口を出すのは野暮だよなと思って私は大人しく自分のカレーを食べることにする。

「兄貴はすげーよなァ〜」

億泰くんの羨望の眼差しを見たら、ちょっとだけ形兆くんの気持ちがわかる気がした。辛口くらいにしておけばよかったかな、なんて、山ほど入れたスパイスのことを思いつつ、心の中で形兆くんに謝った。

なんだかんだで形兆くんは、私が作った(多分)とんでもなく辛いカレーを完食した。お皿を流しに片付ける形兆くんの後を追いかける。億泰くんはまだテーブルにいるから、謝るなら今がチャンスだ。

「あの、形兆くん、」

「なんだ」

「…ごめんね?」

「何が」

カレー…辛すぎたよね、とおそるおそる声を出せば、形兆くんは私の顎を捕まえて上を向かせた。何事かと彼の瞳を覗けば、見る間に近付いて、そのまま視界が遮られる。

「…ッ!?」

唇が塞がれて反射的に目を閉じる。形兆くんは私の唇に舌を捩じ込んだ。あまりの出来事に何の反応も出来ず、されるまま口内を撫で回され、しばらく後に解放された。

「…不味くはねぇが…辛すぎだ。」

それで十分わかんだろ、と言われて、私は形兆くんの口付けの意図に気付く。確かにこれは、

「からい!やだ!!!形兆くんのバカ!!!」

「あんまり騒ぐと億泰にバレるだろう?」

そう言われたら急に恥ずかしくなって、慌てて蛇口を捻る。口を漱いでいるうちに形兆くんは立ち去ってしまって、入れ違いに食器を下げにきた億泰くんに「ななこさん何してんスかァ?」と言われて思わず水を吹き出した。もう、形兆くんのせいだ。

結局、形兆くんは甘口のカレーが好きだったのかも、カレーの辛さを伝えたいだけで私に口付けたのかも聞くことが出来ないまま、私は黙々と皿を洗っている。形兆くんは「テメェの食器洗いは見てるとイラつく」と、私が洗い物をしているところには寄り付かないから、ここにいる間は邪魔されずに考えることができた。考えたところで答えに辿り着けやしないのだけれど。

「ななこさん今日は随分遅くね?手伝うぜェ〜。」

「…あ、億泰くん」

呑気な顔で表れた億泰くんに聞くわけにも行かず、手伝ってくれることに感謝を述べるだけで終わった。億泰くんの隣にいても、考えるのは形兆くんのことばかりだ。心ここに在らずな私を心配して、億泰くんが問いかける。

「兄貴となんかあったのかァ?」

「んー…形兆くんに聞きたいことがあってさ」

「…聞きゃあいーだろーがよ。洗い物なら俺がやるから」

曖昧に返事を濁していると、億泰くんは「早く行かねーと兄貴出かけちまうかもしんねーぜ?」と言った。

「…出掛ける?こんな夜に?」

「んー…なんかよォ〜、最近たまにどっか行ってるみてーなんだよなァ〜」

不思議そうに首を傾げる億泰くん。
形兆くんは、何か意図があってこの街に来たんだろうか。あぁ、また疑問が増えてしまった。形兆くん、形兆くん。

「なぁ、ななこさんよォ…兄貴のこと好きなのか?」

「…えッ?」

急にそんなことを言われてびっくりする。億泰くんは照れ臭そうに「俺よォ、ななこさんが姉貴だったらいーなァって、思うんだよなァ…」と呟いて、すぐに視線を食器に戻した。

さっきキスされた、と言ったら億泰くんは驚くだろうか。考えても仕方ないのにさっきから形兆くんのことばかり考えている。好きだから、と言われたらそうなんだろう。色んなことを考えているうちに返事のタイミングを逃してしまったような気がして、私は億泰くんの問いには答えず、「行ってくるね、」とだけ返した。

水音を背に、形兆くんのところへ向かう。この家は隙間が多いせいか、割と遠くまで音が聞こえるんだな、と遠ざかる水音を聴きながら考える。
部屋のドアをすこしばかり開けると、やけに難しい顔で何か考えている様子の形兆くんが見えた。なんだか声を掛けられる様子じゃあなくて、思わず「明日でいいかな」と唇の中で呟く。また明日、私は夕食を作りにくるに違いないから。

真剣な顔も好きだな、なんてドアの隙間から彼を見ながら思う。明日のご飯は何がいい?形兆くんはどうしてこの街に来たの?さっきはどうしてキスしたの?
聞きたいことがたくさんだ。形兆くんのことで頭がいっぱいで、胸が苦しくてちょっぴり幸せ。明日も明後日も、こうやって私は悶々とするのだろうか。思いを伝えるきっかけなんて、日常からは見つけられないから。


20170228


萌えたらぜひ拍手を!


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bkm