杜王町には、スタンド使いがたくさんいる。当然、私たちSPW財団の人間も、ジョースター家のサポートやら調査やらのために一定数送り込まれている。私も例に漏れず、ここ杜王町に住むことになった。
「…長閑な町なのに。」
こんな町にスタンド使いが集まっていて、人間が殺されたり殺人鬼を追い詰めたりしていたなんて、俄かには信じがたい。
この町に来るにあたっての事前知識だと渡されたファイルを眺めながら、溜息をついた。
「…東方。…この子がジョースターさんの息子か…」
空条博士の叔父にあたる少年は、端整な顔立ちと、傍目にも良くわかるしっかりとした体躯で、ジョースターの血統を色濃く受け継いでいるように見える。これで成長途中というのだから恐ろしいな、なんて思いつつ、ページをめくる。
「…スタンド使いは引かれ合う、か。」
ページをめくると東方くん(と私が呼んでいいかはわからないけど)の友人達のことが書かれていて、私はその言葉は本当なんだなぁと嘆息した。ふと、とある文面に目を留める。
「…すとれい、キャット…?」
『猫草』と書かれている。ウナギとイヌならまだしも、猫と草は結婚できないだろ…なんて考えながら前後の文章を読めば、こちらもまた、衝撃的な記述。
「…DIOの影響により肉の芽が暴走、兄と共に救済を図るが、兄は死亡…」
現実感のない言葉が並び、まるで小説のプロットのように思える。私はそこに書かれている人物の名前を読み上げた。
虹村億泰。東方くんの同級生だというから、高校生のはずだ。この紙が正しければ、彼は今、肉の芽が暴走した父と、猫草というスタンド使い(猫?草?にスタンドが使えるのかは知らない)と暮らしているらしい。なんてヘビーな。高校生なんて親のありがたみも知らずに暴言を吐いたり家出してみたりするような年齢のはずなのに。
「スタンド使いって、随分ヘビーな人生なんですね…」
溜息混じりに言えば、隣の先輩に聞こえていたらしい。「まぁ、根本的に普通の人と違うからねぇ」なんて言葉が返ってきた。私も先輩も、サラリーマンだ。一般人だ。スタンド使いの大変さなんて想像もつかないけれど。
*****
けれど、高校生が一人で家事を賄う大変さなら容易に想像がつく。私は居ても立ってもいられず、仕事が終わるとすぐに会ったこともない億泰くんの家を目指して慣れない町を歩いた。
「…ここ、本当に人が住んでるの…?」
廃墟のような家の前には「立 禁止」の看板。不自然に閉まらない門の前で足を止めた。地図を見る限り、ここで間違いなさそうだ。
けれどインターホンもなく、人の気配もない。どうしたものかとオロオロしていたら、後ろから声を掛けられた。
「俺んちになんか用か…?」
「あ、虹村億泰くん!」
良かった、とホッとした視線を向けると億泰くんは「…てめぇ、誰だよ」とこちらを睨みつけた。そのまましばらく対峙していると、億泰くんは「スタンド使いじゃあねーのか」と怪訝そうな声を出した。
「…あ、えっと…はじめまして!SPW財団の者です!」
名乗っていなければただの不審者だし、警戒するのは当然だよなぁと、自分の間抜けさに苦笑する。億泰くんは「スピードワゴン…どっかで聞いたような…」なんてキョトンとしている。
「…空条承太郎さんの、所属団体です。」
「…あぁ!それだそれ!承太郎さんの!…で、その財団の人がなんの用だァ?」
空条博士の名前を聞くなり、パッと表情が明るくなる。先程までの鋭い視線はどこへやら、来客に興味津々な子供みたいにこちらを見つめている。
「…詳しく話すと長いんですけど、…端的に言えば、あなたの事を聞いて…気になってしまって。」
キョトンとした顔の億泰くんは、「なんだかよくわかんねェからよー、とりあえず上がるか?」と私を家に招き入れてくれた。さっきまであんなに警戒していたのに、簡単に家に上がらせてしまうことに驚く。
「…で、気になるって何が?」
弓と矢なら承太郎さんが持ってったぜ?と億泰くんは玄関を開けながら言う。そういえば、射抜いた人をスタンド使いにする矢を持っていたのは、彼の兄だったっけ。
「…家事とか、億泰くんがやってるの?」
「おう、そーだけど。…あ、散らかってて悪ィな。」
埃っぽいから気をつけろよ。と億泰くんは私にスリッパを寄越した。それから、「あいにく客間みてーなとこはねーから」と私をダイニングの椅子に座らせた。視界に入るキッチンは、綺麗とは言い難いけれどきちんと使われているようだった。彼が使っているのだろう。
「…毎日、大変じゃない?」
憐れむ気持ちはないのだけれど、と言い訳じみた言葉を足しつつ、私はここに来た経緯を話した。私の話を聞くにつれ、億泰くんは目をまあるくして。
「…SPW財団って、そんなことまで仕事なのかァ?」
驚いたように言うから、慌てて反論した。私の独断で思わず来てしまったから、バレたら怒られてしまうかもしれない。
「違うの!…私が勝手に気になっちゃって…」
「…そんな気になるようなことか?」
この広い家の家事全般を一人で担うのは、大変じゃあないのだろうか。不良じみた格好の億泰くんが家事をしているところなんて、正直想像できない。
「億泰くんが良ければなんだけど、家事とか、手伝うよ?」
「マジかよォー、アンタ優しいんだなァ…えーっと…」
そういえば財団の名前しか名乗っていなかったなと、改めて自分の名前を告げれば、億泰くんは屈託のない笑顔で、「ななこさんかァ、よろしくな!」と言った。こちらまで明るくなるようなその顔は、書類で見た苦労なんて微塵も感じさせなかった。
「…で、家事とか手伝ってくれるって…マジかよ?」
「うん、そのために来たからね。」
「いちおー聞くけどよォ…新手のスタンド使いとかじゃあねーよなァ?」
敵とか…なんて、少しばかり居心地悪そうにこちらを伺うもんだから、思わず吹き出した。もしそうだったとしても、敵です、なんて名乗りはしないだろうに。
「なんで笑うんだよ!」
「え、だって敵だったとしても『敵です』とは言わないよなって思って」
「…それもそっか。」
え、じゃあまさか…なんてまた警戒を滲ませる。なにこの子ホント可愛い。
私はポケットから名刺を取り出して彼に渡した。まぁ急に来られて信用しろっていうのも無理な話だろうけど、これで少しは信じてもらえるだろうか。
「…不安なら、空条博士に聞いてみてもいいよ?」
「空条…あぁ、承太郎さんか!…知ってんのか?」
そりゃあ、財団で彼を知らない人はいないだろう。有名人だもん、と言えば「目立つもんなァ、」なんてウンウン頷いている。
「…承太郎さんの知り合いなら安心だな!」
『承太郎さん』の名前であっさりと信用を獲得してしまった私は、空条博士はやっぱりすごいんだな…とひとりごちた。億泰くんはそれを聞き逃さなかったらしく、あの人はホントすげーよ!とスポーツ選手に憧れる少年のように、その格好良さを話し始める。もはや警戒などという言葉は忘れてしまったのだろう、旧知の友人のような口振りにこちらが驚いてしまう。
「…仲良しなんだね。」
「仲良いのはどっちかっつーと仗助の方だけどな、」
あ、仗助っつーのはよォ、と、友人の話が始まる。楽しげに話す姿は見ていて飽きないな、なんて思った。
「…あ、茶も出さねーで話し込んじまって悪ィ!」
ふと思い出したのか、そんなことを言ってバタバタとキッチンに向かう。手慣れた様子でインスタントコーヒーを淹れる彼に感心していると、彼はおもむろに砂糖を取り出し、自分のカップにたっぷりと放り込んだ。
「…ななこさんは?砂糖。」
「…私は大丈夫。ありがとう。」
いらない、の意味で言ったはずなのに、彼は何を思ったのか私のカップにも同じだけの砂糖を落とし、満面の笑みで問いかけた。
「…牛乳も入れるか?」
「…じゃあ、お願いします。」
苦笑しながらそう返すと、億泰くんはこれまたたっぷりの牛乳を注ぎ、カップを二つテーブルに置いた。
「ありがとう。」
かつてコーヒーだったはずのその飲み物は、想像していたよりずっと甘かった。思わず眉を寄せると、億泰くんは心配そうに「もしかして、マズかったか?」なんて。
「…ううん、美味しいよ。思ってたより甘かったからびっくりしただけ。」
意外に甘党なんだね、と言えば恥ずかしそうに「悪ィかよ」と返された。不良な見た目とは裏腹な可愛らしさに思わず頬が緩む。
「…そうだ。もし良ければ、ごはん作るけど…何が食べたい?」
おしゃべりが楽しくて忘れていたけれど、私がここに来た目的を果たさねば、と本題に入る。億泰くんは「ホントにいいのかよォ」と目を輝かせ、私が頷くのを見るや否や、飛び上がらんばかりに喜んだ。
「じゃあ、キッチンお借りします。」
「俺も手伝うぜ!」
一人で大丈夫だから休んでて、と言ったのだけれど、何がどこにあるかわかんねーだろ、と至極もっともな言葉を返され、二人で作ることになった。億泰くんは意外に手際が良くて、本当にこの子が一人で家事をしてるんだな…と溜息が出た。
「できたー!」
「すげー!美味そう!」
ななこさんすげーな!と幸せそうに笑っているけれど、億泰くんの方がよっぽどすごいと思う。出来上がった食事を並べて、そういえば、お父さんと猫ちゃん(猫草とはなんなのか正直なところ興味がある)はどうするのだろうかと問いかければ、彼は「なんで知ってんだ?」と目を丸くした。
「…え、資料に書いてあったから…」
書いてあったからと言って軽々しく口にしてしまったことを後悔する。たった今顔見知りになったばかりなのに、家庭の事を詳しく知られていたら嫌だろうな…と思ったところで、今更発言が消えるはずもなく。
「…ななこさんは何でも知ってんだなァ。」
思いもよらず感心するような言葉を返されて拍子抜けする。プライバシーとかあんまり気にしないんだろうか。
「…ごめん、嫌な気持ちにさせちゃったよね…」
「え?…俺バカだからよくわかんねーな…お陰で美味い飯食えるし、いーんじゃねーの?」
あっけらかんと笑う億泰くんは、すごいと思う。もう一度「ごめんね」と言ったら、「俺がいーんだからいーんだよ」と背中をぽんと叩かれた。
お父さんは別室だとかで、作った料理を持って億泰くんは部屋を出て行った。とすると、彼は毎日一人で食事をしているのだろうか。残された私は、ここで一人で食事をする億泰くんを思う。ころころと良く変わる表情の、意外におしゃべりな彼は、何を思いながらご飯を食べるんだろう。
「…待たせて悪ィ、飯にしよーぜ!」
軽やかな足取りで戻って来た億泰くんの声で、現実に引き戻される。彼は嬉しそうにテーブルに着き、いただきますと声を上げた。
「ンまあぁ〜い!」
ななこさん、料理上手なんだな!なんて、億泰くんと二人で作ったんだから私が褒められることじゃあないのに、彼は次々と賛辞を述べながら箸を動かした。食べたり喋ったりホント騒がしくて、高校生ってこんなんだったっけな、と自分の高校時代を思い返してみたけれど、よくわからなかった。
「…ごちそーさま!ホント美味かった!ありがとうな。」
私がやるよ、と言ったのだけれど、億泰くんはきちんと食器を流しに置いてくれた。助けになりたくて来たのに、彼の日常を邪魔してしまっただけだったのかもしれないと不安になる。私の表情に気付いたのか億泰くんが心配そうに覗き込んで来た。
「…ななこさん、どうした?」
「ん、いや…手伝うって言ったのに、結局邪魔しただけだったかなぁって…」
苦笑しながらそう言えば、億泰くんは急に真面目な顔になって、「あのよォ、」と真っ直ぐに私を見つめた。
「俺、…なんつーか、うまく言えねーけど…あんま大変だとか、気にしてもらったことねーから嬉しいし、…っつーか、アンタと食う飯はすげー美味かった。…だから、良ければ…また来てくんねーかな…」
最後の言葉に、やけに切実な響きが含まれていたような気がして、私は何度も頷いた。
助けに来たはずなのに、私の方が慰められてどうするんだ、と思う。
「…ありがと。じゃあお言葉に甘えて、明日もくるよ。何か食べたいものある?」
「そーだなァ、辛いもん以外ならなんでも食うけど…ハンバーグ…」
照れ臭そうに言うのは、子供みたいなメニューだからなんだろうか。まかせて!と拳を握れば、億泰くんは楽しみだなぁなんて頬を緩めた。
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bkm