億泰とプラネタリウムを見る話。
『おおいぬ座のシリウスは、太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星で、地球からの距離はおよそ8光年。』
淡々と紡がれる言葉は、低く落ち着いた音。
目の前にはキラキラと輝く光。
すっ、と周りの光が消えて、一つの明かりだけが目の前に残る。暗がりに慣れた目は、その一つをひどく大きく捉えた。
『今私たちが見ている光は、8年前ものです。』
ナレーションは私たちを眠りに誘うかのように、ゆっくりと耳をくすぐる。
『8年前のあなたは、何をしていましたかーーー?』
どきり、と心臓が鳴り、思わず右にいるはずの億泰に視線を向けたけれど、小さな明かりしかない室内に、彼の表情を見つけることはできなかった。探るように手を動かすと、見知った大きな手の温もりに辿り着く。
そっと触れた手は、いつにも増して暖かかった。
*****
プラネタリウムに行きたい、と言ったのは私だ。S市の駅からバスで20分の距離にある天文台。結構遠くね!?と騒ぐ億泰に上目遣いでお願いすれば、いとも簡単にその願いは叶う。
「俺、星とかわかんねーしよー、寝ちまうかもしんねーぜェ!?」
「大丈夫だよ、寝たら起こしてあげるから!」
そんな会話をしたのがほんの二時間ほど前。触れた手がびくりと跳ねたのをみると、彼はどうやら眠ってはいないらしい。
暖かい手をそのままぎゅうと握ろうとしたのに、急に逃げられて戸惑う。そっと声を掛けようとした刹那、その手はくるりと返され、私の指を絡め取った。「恋人繋ぎ」になったことにひどく安堵して、彼の手を再度握り直す。
8年前、私たちは小学生だ。今でも子供みたいな億泰は、一体どんな子供だったのかと思いを巡らせる。彼が杜王に来たのは高校に上がるときらしいから、私は彼の子供時代のことを知らない。
*****
「意外に面白かったなー!」
明るくなった館内に、繋いだままの手が少し恥ずかしい。けれど離すつもりはなくて、空いている手で鞄を掴んだ。
「8年前、って、億泰は何してた?」
「……んー…忘れちまったなァ。」
曖昧に笑う億泰の様子に引っかかるものを感じたけれど、行こうぜと腕を引かれて疑問を口に出すタイミングを逸した。
「…で、どこ行く?」
「駅前に戻ってお茶しようか。私、億泰の話聞きたい。」
「おー、俺もななこの8年前、聞きてえなァ。」
私たちは手を繋いだまま暖かな室内を出る。
夕暮れの風で爪先から冷えていくのを感じながら、帰りのバスを待った。
「…億泰、寝なかったね。」
「星とかわかんねーって思ったけど、ああやって見せられるとキレーで分かりやすいんだなァ。」
「…何がわかったの?」
意地悪く聞いてみれば、彼は困ったように視線を泳がせた。
「…おおいぬ座とか、全然犬っぽくねーの。」
ぽつりとそう零されて思わず吹き出すと、億泰は笑うなよ、と頬を膨らませた。
「わかるわかる!昔の人ってすごいよねー。」
星を繋ぐという発想が、もうすごい。私たちには星よりも繋がなきゃいけないものが沢山あって、もしかしたら星を繋いでいた何もない時代の人たちの方が幸せなんじゃないかって考えたことがある。
「…そういえば俺、星なんてちゃんと見たことねーなー。」
「子供の時とか、眺めたりしなかった?」
それこそ8年前の頃だと思う。両親に連れられたキャンプで、目の前の満天の星が恐ろしい程に見えた思い出が、私のプラネタリウム好きに繋がっているんだろうな、なんて。
「…覚えてねーなぁ…」
また歯切れの悪い返事だ。馬鹿正直な彼のこの反応が、気になってしまうのは当然のことだと思う。
バスに乗って駅前に戻る間、私は億泰の子供の頃に思いを巡らせた。何か聞かれたくないのだろうかと思うけれど、全く想像がつかない以上、聞く以外に私のこのモヤモヤを解決する術はない。
*****
「ホットココア二つ。」
「…なんでわかんだよ。」
着座するなり店員さんに言えば、億泰はくすぐったそうな笑顔を向ける。不良みたいな形をして、甘党なところが好きだ。
「だって、いつもじゃん。」
「そうだけどよォー、」
ケーキなんていらない程に甘いココアを片手に、おしゃべりをする。学校帰りのドゥ・マゴも好きだけど、見知らぬカフェもいいな、なんて。
「…素敵なお店だね。」
「…そーだなァ。お、あれ美味そう。」
隣の席のお姉さんたちがつついているパフェに視線を向けながら億泰が言うから、食べる?と聞けば「次にしようぜ。」なんて。
また来たいと思ってくれているのが嬉しくて、力強く頷いた。
「…楽しかった?」
「おう。ななこは色々知ってんなー。」
無意識なんだろうけど、彼は私を喜ばせるのが上手いと思う。億泰が笑ってくれるから、私も色々一緒に行きたいなって思えるんだよ。とは恥ずかしくて言えないのだけど。
「…子供の時、それこそ今日言ってた8年くらい前にさ、キャンプに行ったことがあって。」
私が星空に興味を持ったきっかけを話すと、彼はふんふんと頷いて、こちらに身を乗り出した。
「そんなにずっと好きなんて、すげーなぁ。」
「…割と一途なんだよ。」
だから億泰のことも、きっとずっと好きだと思う。そんなことやっぱり言えないから、せめてもの視線を送ったけれど、彼のキラキラした瞳は、私の心なんて知らずに星みたいに変わらぬ輝きで私を見ている。
ココアが届いたところで、私は心の中に燻っていた疑問を投げかけた。
「8年前の億泰って、どんな?」
「…んー…ホントあんま覚えてねーんだわ、悪ィ。」
俺、馬鹿だからよォ。と笑う億泰は、やっぱりどこか変だった。
「そっか。私は結構覚えてるよ。」
「それ聞かせろよ!すげー聞きたい!」
普段通りのテンションに戻った彼を見て、あぁやっぱり聞いちゃダメだったのかな、と思いながら、私は自分の覚えている「8年前のこと」を彼に話した。
流行ったこととか、テレビの話なんかは億泰も知っているはずなのに、彼はまるで初めて聞く話みたいに目を輝かせるから、心の中で燻る違和感は消えなくて、少しだけ不安になった。
*****
「もう暗いなァー。ななこ、寒くねェか?」
「…うん、…星がキレイだねえ…」
杜王の駅に着く頃には、辺りはすっかり暗かった。空を見上げながら歩いていると、足元の段差に躓いた。よろけた私を片手で容易に受け止めた億泰は、危ねーヤツ、と言って少しばかり頬を赤くしながら私の手を握ってくれた。きっとプラネタリウムの時と同じ顔をしているんだろう。
「…なぁななこ、今日見たシリウスって、どれかわかるか?」
「ん?…アレ。あの一番明るいやつ。」
繋いでいない方の手で空を指差すと、億泰は白い息を吐きながら少し屈んで私の腕に高さを合わせ、指し示す方を見た。
「アレか!あの明るいの!」
初めて星を見た子供のようにはしゃぎながら、じゃあ冬の三角ってのはどれだ?なんて尋ねてくる。あちこち指し示す度に彼は大袈裟に驚き、すげーな!と賞賛を零した。
「…今度はさ、星を見に行こうか。」
「おう!」
その返事で、会話が途切れる。
珍しく黙り込んだ億泰に視線を向けると、彼はこれまた珍しく真面目な顔で、まるで白い息を吐かずに会話しようとする子供みたいにそっと言葉を紡いだ。
「…8年も前のことは覚えてねーけど、…8年後、今日のことは覚えてっから。」
繋いだ手に力を込められて、寒いはずの身体が一気に熱くなる。
「今日の光が届くまで、一緒にいたいな。」
そう呟いた息は白く、闇に溶けて消えた。
20160221
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bkm