ぐうううう、と間抜けな音が響く。
思わず音のした隣の席を見ると、ななこが真っ赤な顔で俺から目を逸らした。恥ずかしそうに縮こまって、腹を手で押さえている。
くすくすと笑い声が聞こえた。どうやら俺以外にも聞こえていたらしい。まぁあんだけすげえ音したら当然だよなァ。
教壇までその音は聞こえていないらしく、板書に夢中だった教師はクラスに拡がった失笑に何事かと振り向く。
「あー、悪ィ。俺腹減っちゃってさぁー。」
へらりと笑ってそう言えば、クラスメイトは「なんだ億泰か」と呆れ顔で笑った。隣の席のななこは安心したような気まずいような顔で俯いている。
「育ち盛りだからさー、腹が鳴るくらいフカコーリョクってやつだろ?気にすんなよォ。センセーも、邪魔してゴメンなァ。」
教師も状況を認識したらしく、朝飯はちゃんと食えよと言って授業を再開した。
*****
「…あのっ、億泰くん。」
帰り支度をした俺を、小さな声が呼び止める。振り向くとななこが恥ずかしそうに俺を見上げていた。
「…おう。」
そういえば初めて喋るな、と思ったらなんだか照れてしまう。だって女子に声掛けられるとか全然ないし。
ななこは真っ直ぐに俺を見て、ゆっくりと礼を述べた。
「…ありがと…あの、お礼を…」
「そんなの気にすんなよォ〜。余計なお世話じゃなくって良かったぜェ。」
腹が鳴るくらい別に恥ずかしくねえしな!と笑えば、ななこは慌てて立ち上がり唇に人差し指を当てた。
「しー!億泰くん!」
恥ずかしそうなその仕草がなんだかとても可愛くて、思わず吹き出す。
彼女はカバンを引っ掴むと、空いた手で俺の腕を引いて教室を出た。
小さい手の感触は初めてで、俺の意識は彼女に掴まれた腕に集中する。
「うわ、ちょ…っ!」
転びそうになりながら引き摺られるように昇降口に向かう。下駄箱の前でやっと、ななこは俺の腕を離した。それでもまだ、腕が熱い気がする。
「…ごめん。あの、…」
「いや、俺こそ悪ィ…」
なんだか気まずい。ななこは自分で引っ張っておきながら真っ赤になっているし、俺だってきっと赤い。
暫くの沈黙を破ったのはななこの方だった。
「今から、暇?」
「え?あぁ、おう。」
「…お礼、ドゥマゴでコーヒーとか…どうかな。」
『今から』『ドゥマゴで』『コーヒー』
単語が頭の中をぐるぐる回る。
え、それって俺とななこが一緒にってことか?まるでデートじゃあねェかと思ったけど、もし間違ってたらスゲー恥ずかしい。
「…ななこと?」
「うん。お礼にご馳走するよ。」
不安げに問えば、当然じゃない?みたいな顔で頷くななこ。
「まじで?」
「うん。」
え、マジで?俺と?お礼ってデートのことか?嬉しさが込み上げて、にやにやと頬が緩む。あ、でもななこはコーヒーって言ってたなァ。自慢じゃねェけど俺はコーヒーなんて苦くて飲めない。どうしたらいいんだよォ〜。
「…億泰くん?あの…もしかして、迷惑?」
考え込む俺を不安げに見上げながら、躊躇いがちに声を掛けるななこ。
いや待てってそんな顔すんなよォ、と慌てて弁解する。
「違くてさァ、ななことドゥマゴはすげえ嬉しいんだけどよォ、俺コーヒー苦くて飲めねぇし、カッコ悪ィかなぁって。」
兄貴みたいにブラックコーヒー飲んだらカッコいいだろうなって思ったところで、俺にはどうやっても無理だし、あぁだからモテねーのかなァなんて思って溜息を吐いたのと、ななこが安心したように溜息を吐いたのはほとんど同時だった。
「…かっこ悪くないよ。私もブラックは飲めないし。」
「ななこも甘党なのか?俺甘いもん好きでさァ、ドゥマゴのパフェはうンまいよなァ〜。」
ななこもブラックは飲めないと聞いて、ホッとする。俺みたいにパフェ食うのかなって思ったら、なんだか嬉しさが込み上げてくる。
「…じゃあ、パフェ食べよっか?ご馳走するよ。」
「…マジでいーのか?じゃあ早く行こうぜェ。」
急かすように手招きすれば、ななこは慌てて靴を履き隣に駆け寄ってくる。俺はあんま身長高くねぇけど、それでもななこの頭をしっかり見下ろせて、こいつ意外にちっちゃいんだなぁなんて思った。
隣を歩くななこはなんだかとても女の子で、あれ俺すげー状態なんじゃね?って思った。仗助に自慢してやりたい。
*****
向かい合って座って、目の前にはチョコレートパフェが二つ。これ完全にデートってやつじゃねぇのかな、俺が憧れてたシチュエーションじゃん。康一が由花子とやってたやつ。
「ホントに、ありがと。」
「しかしよォー、おめーみてぇなヤツでも腹は鳴るのな。」
アイドルはトイレ行かない、まで信じてるわけじゃあねーけど、なんつーか親近感?っつーの?
そう言うとななこはぽっと頬を染めて、「今日寝坊しちゃってね、ごはん食べられなかったの…」なんて言うもんだから、ますます親近感。
「…でも、親近感っていうなら私も…。」
「へ?」
ななこが俺に親近感沸くようなことあったかなァと首を傾げると、彼女はチョコレートパフェをつっつきながら可愛らしく笑った。
「…億泰くんは、もっと怖い人なのかと思ったけど、優しいし甘党だし、なんか全然怖くないね。」
「甘党はカンケーねーだろォ!」
そう返すとななこはくすくす笑いながら自分の唇の端をつついた。なんだかわかんなくてその仕草を凝視すると「ほっぺにクリーム付いてるよ」と言われたので慌てて拭う。
「…ね、なんで助けてくれたの。」
「そりゃあよォ…助けんだろ、フツー。」
なんでって言われても、ほっといたら泣いちまいそうだったし、なんか咄嗟に俺がって言っちまったんだよなぁ。
「すごく…カッコ良かった。」
「マジ!?うわ、すげー嬉しいぜェ!」
カッコいい、なんて初めてでスゲー嬉しい。
仗助が言われるのを羨ましがってた昨日までの俺に自慢してやりてーなァ。
ななこって可愛いしよー、なんかホント、あれくらいでこんないい思いしていいんかなァ、俺。
「…あの、」
「んー?」
「…ちょっと…恥ずかしい…」
頬を緩ませたままななこを見れば、彼女は頬を染めていて。
「あれ、俺今まで考えたこと全部口から出てた!?」
「……う、ん…」
真っ赤になって頷かれて、慌てて口を噤む。
俺ちょっと浮かれすぎじゃねーか。ななこだって俺なんかとこんなとこにいるの見られたら迷惑だろうなぁ…と、ふと我に返って申し訳なくなる。
「…ごめんな、こんなとこ見られて勘違いされたら嫌だよな…食ったら帰るか。」
そう、これは助けたお礼なんだよな。
別にデートとかじゃあねーし…と、浮かれた気持ちは急に萎んでいく。それを見たななこは、慌てて俺の手を取った。
「…嫌じゃない…から、また…一緒に来よう!」
思い切った様子のななこが真っ赤になりながら言った言葉を、頭の中で反芻する。
「…それ、マジ?」
掴まれた手を思わず握り返せば、ななこは恥ずかしそうに頷いた。
「…いい?」
「…もちろんだぜェ!…これがあれか、『腹減って地固まる』ってヤツ!」
そう言うと、ななこは思いっきり吹き出す。めっちゃ笑ってる。俺なんか変なこと言ったかな。
なんだかわかんねーけど、笑った顔も可愛いなァと思った。
20151018
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