「オイオイ、雨でも降るんじゃあねーの!?」
「台風来るの、億泰くんのせいかもね。」
「うるせーよお前ら!いーだろ別にッ!!」
放課後の教室に声が響く。
帰りのHRの時にこっそり読んでいた本が面白くてキリのいいところまで読んだら帰ろうと思っていた私は、文庫本から思わず顔を上げて声のする方を見た。
学校始まって以来の歴史的不毛の大地と言われている不良の虹村億泰くんが、本を読んでいる。
あまりに珍しい光景に、失礼だってことも忘れて思わず二度見した。
「あ、邪魔して悪ィなななこ。…おめーらは先に帰れよォ!俺はこれ読んだら帰るんだから!」
視線に気づいた億泰くんは、私の邪魔をしたと思ったのかこちらに謝罪の一言をくれて、それから東方くんと広瀬くんを追い立てるようにして教室から追い出して、再び机に戻ってきた。
「…ねぇ、何の本、読んで…る、の?」
私は億泰くんと話したことがないのだけど、クラスメイトに敬語も微妙かな、って気持ちと不良さんにタメ口きいたら怒られるかな、って気持ちが綯い交ぜになって尻窄みな感じで彼に問いかける。
億泰くんはびっくりしたように目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「…これ、ミヤザワナントカの、『注文の多い料理店』ってやつ。なんかよォ、美味しそうなタイトルだろ?」
なかなか億泰くんらしいチョイスだなぁと思う。児童文学だし読みやすいから、普段本を読まなくても読めるだろう。
「私も読んだことあるけど、面白いと思うよ。」
小学生の時だけど、なかなか怖い話だったなぁと思う。詳しくは覚えてないけど。
「…でもよォ、料理出てこねえんだよなー…どんぐりがナントカってよぉ。」
「それ、短編集だろうから多分違う話。…ちょっと貸してね。」
文庫本を受け取ると、ページをめくっていく。『注文の多い料理店』は最後の一編で、億泰くんが読んでいたのは『どんぐりと山猫』。これも面白いと思うけどな。
「なぁ、本って面白いか?」
「…うん、面白いよ?…はい、ここからがね、億泰くんが読みたかった話。」
ページを開いたまま本を渡すと、億泰くんは私の手をその大きな手で包み込んだ。
「あのよォ…やっぱ俺、本とか頭痛くなるっつーか…」
突然手を取られたのと億泰くんが言っていることが結び付かなくて戸惑っていると、彼はごめんな、と呟いて手を離した。
「…あの、ごめん…よくわかんないんだけど…」
「…あー…いや、ななこってよォ…いっつも本読んでるだろォ?…だからさァ、本読んだら…おめーと話できるかなぁって。」
恥ずかしそうにそう言われて驚く。
私と話したいって思ってくれていたなんて、どうして。
「…なんで…?」
「…あ、ごめんな。俺みたいな不良に言われたら怖いよな。」
きゅうん、と鳴き声が聞こえそうなほど表情を曇らせる億泰くんを見ると、なぜだか胸がざわついてしまう。確かに怖いイメージはあったけど、今話した限り、イイ人に違いない。手を掴まれたって全然怖くないし、不快でもなかった。彼の手は暖かくて優しくて、離されてもまだ温もりが残っている気がする。
「ううん、怖くなんかないよ…でも、なんで私なんかと話したいって…」
「…いっつも本読んでてよォ、頭もいいしかっけーなって…」
「…億泰くんの方がずーっとカッコいいと思うけど?」
カッコいいっていうなら、億泰くんの方がずっとそうだと思う。潔くて情に厚くて表情豊かで、まるで小説に出て来そうな魅力的なキャラクターだよな、とそこまで考えたところで、彼がえらく赤面していることに気付いた。
「…さんきゅ、俺…そんなかっこいいとか言われたことねーからァ、めちゃくちゃ嬉しーぜェ!!!」
満面の笑みでそう言われた瞬間、ズギュウウゥン!と、まるで撃ち抜かれたような衝撃。
心臓がドキドキ鳴って、顔に熱が篭っていくのがわかる。なにこれ、なにこれ。
「…あ、うん…」
億泰くんに聞こえてるんじゃないかってくらいのドキドキを鎮めたくてそっと深呼吸する。
「…なァ、ななこよー。この本の話、俺に教えてくれよ。」
「…読むんじゃないの?」
「俺やっぱさァ、本とか向いてねーわ。…それにななこと仲良くなれちまったらよ、本読む理由ねーし。」
あっけらかんとそう言ってのける彼の手は、開いたままだった文庫をそっと閉じた。
背表紙にバーコードが貼ってあるのを見て、図書室の本だと気付く。億泰くんに本を貸した図書委員はどれだけ驚いただろうかと考えたら、知らず笑みが零れた。
「…せっかくだから読めばいいのに。」
「なに笑ってんだよ、俺が本も読めねー馬鹿だからか?」
きょとんとしている彼に図書室でのことを聞いてみると、恥ずかしそうに「めちゃくちゃ驚かれたぜ」と教えてくれた。予想通りすぎて面白い。
「…一緒に返しに行こうか。そんで億泰くんの読めそうな本、また借りよう?」
宮沢賢治が読めないとなると、もういっそ絵本とかの方がいいんじゃないだろうか。
絵本を読む億泰くんを想像したらとんでもなく可愛い気がして、頬が緩んでしまう。
「…それはデートってことかァ?やった、俺初めてなんだよ、女子とデートとか!」
「…デート、なの…かな…」
無邪気に喜ばれてしまったけれど図書館デート(図書室だけど)なんて億泰くんにはおおよそ似合わないな、なんて思ってたら彼は私の言葉の意味を計りかねたのか爆弾発言をした。
「あれ、好きな奴と一緒に出掛けるのをデートって言うんじゃねえのか?」
「…え、」
それは、億泰くんが私を好きだっていう風に聞こえるんだけど。
「…え!?あ、ちがくて、いや、違くねーんだけど、ッ」
しまった、って顔で大慌ての億泰くんは、しばらく弁解の言葉を探した後、がしがしと頭を掻きながら恥ずかしそうにこちらを見た。
「俺が、好きだ、っつったら…メーワクか…?」
「…全然、そんなこと…ない…」
「マジで!?マジかよォーーー!嬉しーぜー!」
ありがとな!とかよろしくな!とか言われて、あれ、これって恋人になったってことかな…とやっと気付いたのだけれど、展開が急過ぎて全然実感が湧かない。
「…えーっと…」
「…とりあえず、一緒に帰ろーぜ。」
戸惑う私の手を、億泰くんの大きな手が包む。さっきの今で手を繋いで帰るとか、本当展開が早過ぎてどうしていいかわからない。
とりあえずわかっていることは、この手が優しくて暖かいってことで。
「億泰くん。」
「…なんだァ?」
「…手、あったかいね!」
それだけわかれば十分な気がした。
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bkm