タイトルの曲まんまの話。
悲恋なのでご注意。
泣くなよ、と言ってやりたいのに、慰めの言葉ひとつ出てこない。
彼女は俺に背を向けたまま窓に透ける月を指でつついて、曇った窓に水滴を集めている。窓を伝う水が、まるでななこさんの涙みたいだなんて。
小さく震える肩が俺の予想をより濃いものにさせるけど、こちらを向いてはくれないから、本当に正しいかどうかはわからない。
「…ななこさん。」
先ほどから何度呼んだか知れない名前を呼ぶ。相変わらず返事はない。
拒否されないのをいいことに、そっと近づいて髪に触れた。まるで俺はいないんじゃないかってくらい、彼女はひとりぼっちだ。
コンビニの帰り道、ななこさんちの窓辺に薄明かりが見えて、何の気なしにチャイムを鳴らした。なんの返事もないのにドアの鍵が掛かってないのが見えたから、悪いと思いつつも声を掛けながら中に入った。そうしたらまるで人形みたいに窓辺に座るななこさんがいて、俺は彼女に声を掛けた。けれど返事はなく、ななこさんがこちらに視線を向けることもなかった。その重々しい空気になにもできないまま、今に至る。
「出てって」でも「帰って」でも、俺に向けた一言があったら、こんなに息苦しくないんじゃあないだろうかと思う。
「…ななこさん。」
何度声をかけても返事はない。近付いて髪をそっと撫でてみても反応はなく、指先に伝わる熱はひどく薄かった。ガラス窓をなぞる細い指は、もうとっくに冷たくなっているに違いない。
彼女はガラスの向こうに誰を見ているんだろう。その涙で呼ぶ相手は、果たして俺の想像する人物と同じなのだろうか。
「……っ…」
俺の手を嫌がるように彼女は小さく首を振る。唇から噛み殺した嗚咽が少しだけ零れたけれど、やっぱり黙ったまんま。
「こっち向いて。」
肩を掴んで、ぐいとこちらに引っ張る。
涙を流し続けた目尻は、あかぎれが出来ちまいそうなくらい濡れて冷えていた。
「…や、だ…ッ…」
俯いて顔を見られないようにしようとするななこさん。背後を包む闇に背中を押されるようにして、俺は彼女の顎を押さえ込んで、無理やり口付ける。濡れた唇は冷たくて、少しだけ涙の味がした。
「…っん…!」
胸を強く押し返されたけれど、俺とななこさんじゃ力の差は歴然だ。逃げられないようにぎゅっときつく抱き締めると、彼女はしばらくもがいて、そのうち抵抗を諦めた。
「…目、開かなくていいから。」
俺じゃない誰かでいい。その涙の相手だと、思っていい。だから泣かないで。お願いだから、俺の大好きな笑顔で、笑ってくれよ。
こんなことしたって、どうしようもないって分かってる。けどだって、ななこさんが泣くから。
ぎゅうっと抱き締めて、何度もキスを贈った。固く引き結ばれていた唇が嗚咽で緩んだ隙に舌を差し込んで、口内を丹念に舐る。
上がった息がほんのりと白く見えるなんて、この部屋はどれだけ冷えているのか。
「…ッふ…ぁ、…っは、」
唇を離すと彼女は酸素を求めるように胸を大きく上下させ、濡れた瞳で俺を見つめた。
唇から薄っすらと立ち上る水蒸気が、息を吐くたび部屋に霧散する。
「…ななこさん…」
その視線に居た堪れなくなった俺は、彼女の顔が見えないように再び胸に抱き込んだ。
今度は抵抗らしい抵抗もなく、小さな身体は簡単に俺の腕の中に収まる。冷たく固まった背を、解すようにそっと撫でた。
「…っく…、…ッ…」
彼女は俺の胸にぎゅうと顔を押し付けて、どうやら泣いているらしかった。噛み殺しきれない嗚咽が漏れる。
抱きつく事は憚られるのか、握った拳は所在なく俺の胸に置かれている。身体を震わせて、彼女は静かに泣いていた。
「…ね、俺がいるから…」
俺じゃない誰かでいい、なんて嘘だった。
口付けの数だけ俺を見て欲しいと思いながら、ななこさんの前髪の向こうの滑らかな額に何度も唇を寄せる。
「…ど、して…」
小さく呟かれた言葉が俺を認識したものであることかに少しばかり安堵して、小さな嘘を返す。
「…そりゃあ、…ななこさんが泣いてるから。」
本当は多分、付け入ってしまいたいんだと思う。サイテーだよなぁと心の中で自嘲したところで、ななこさんの涙が乾くわけじゃあないけど。嘘でもほんの少しでも、彼女が俺を見てくれはしないかと願っている。
「…仗助くん…」
「一人で泣くより、いいと思いません?」
母親が小さな子供にするようにゆっくりと背中を撫でる。
ななこさんは困ったように視線を泳がせて、肩に籠っていた力を抜くように小さく吐息を零し、瞳を伏せた。抱き締めた身体が少しだけ重くなる。それは心が俺に向いた分だって思いたくて、回した腕に少しだけ力を込めた。
「…ありがと…」
その言葉には戸惑いしか含まれていなくて、思わず苦笑い。
何か少しだけでも、と思っているのは俺の独りよがりで、ななこさんは泣いていたってただ優しいだけだった。俺が彼女を欲しがってるのを、きっと知っているんだろう。
「…寒いからきっと、ダメなんスよ。」
温まったら、きっと、なんて希望が叶うことはないんだろうけど、それでも口にせずにはいられない。俺が彼女を温めたら、もしかして、なんてありもしない期待に心を鳴らさずにはいられない。
「仗助くんが、…あっためてくれるの?」
俺を見ない視線が、微塵の期待も含まない声音が、何よりも雄弁に語っているのに、ななこさんの言葉の方を信じたくなるのは、俺が馬鹿なだけだと思う。
返事もせずにもう一度、唇を重ねた。ななこさんは俺の舌に応えることも抵抗することもなく、ただされるままに身体を預けて、人形みたいに。
「…なぁ、俺じゃなくても…抵抗しないの?」
ぽろぽろと零れる涙を唇でそっと拭って、聞きたくもない問いを投げかける。ななこさんは小さく「…わかんない」と呟いた。
「俺なら絶対、アンタのこと泣かしたりしねーのに。」
小さな身体をぎゅうっと抱き締めながら言えば、彼女の肩が震えた。きっと、俺が恋慕の情を持って見つめていたのをななこさんは知っていたのだろう。
見ないふりをしていた彼女に、今このタイミングで告げるのはただのワガママだ。それでも、彼女が好きだと告げたくて仕方ない。
「…仗助くん、」
その唇が俺の名前を呼ぶだけで、ぎゅうと胸が締め付けられる。腕の中にいるななこさんは、何を考えているのだろうか。
「…都合良く、使ってくれたらいいんスよ。俺のこと。」
俺も、アンタも、苦しいんだから。どちらかが…アンタが少しでも楽になるなら、俺はそれが幸せだ。そのはずだ。
「…そんなこと…できないよ…」
小さな手が、俺の胸を力無く押し返す。わかりきっていたはずなのに、改めて拒絶されるとひどく胸が痛んだ。
「…俺、シタゴコロあるから。甘えてもらえたら、すげー嬉しいんスけど。」
むしろお願いしてもいい?なんて、努めていつもの調子で。
ななこさんはそんな俺を見てほんの少しだけ表情を和らげると「…なにそれ」と呟いた。
「…お願いっスよ。…ね?」
可愛い可愛い仗助くんのワガママ、聞いてくれよ。なんて笑えば、ななこさんは目にいっぱい涙を溜めて、俺の服を遠慮がちに握り締めた。
「…あ…りがと…」
「…それは俺のセリフっスよ。」
小さな身体を腕の中に閉じ込めて、鍵をかけるみたいにそっと旋毛にキスをした。
20161107
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bkm