「おかえんなさい。」
「ただいま」
東方さんちの仗助くんは、まるで忠犬だ。なにを待ってるのか知らないけれど、私が家に帰る頃、決まって玄関先にいる。
そうして通りかかる私に、ななこさんおかえんなさい、って声をかけてくれるんだ。
そう言われても別に私は東方家に帰るわけではなく、東方家から三軒先のアパートに暮らしているんだけど。最初は「こんにちは」だった気がするのに、いつから「おかえり」になったんだっけ。そんなことがふと気になって振り返ったら、仗助くんと目が合った。
「気を付けてな!」
ひらひらと手を振りながら、校門を背にした小学生みたいな笑顔を見せる仗助くん。家まではあと僅かなんだけど、などと思いつつも、彼に向かって「ありがと」と手を振り返した。
翌日もまたいつものように、仗助くんがいた。いつもと違ったのは、私が仗助くんの前で足を止めたこと。
「…ななこさん、おかえんなさい。」
「ただいま。」
ぴたり、と足を揃えて彼の前に立つ。仗助くんは私が立ち止まったことにいささか驚きつつも、可愛らしい笑顔で、どーしたんスか?と小首を傾げた。
「…仗助くんは、誰か待ってるの?」
私が帰る時、いつもいるよね。そう声を掛ければ、彼はにこりと笑って唇を開いた。
「そういうななこさんは、何の帰りなんスか?」
「私? 私は、バイトだよ。」
そう答えると、仗助くんは身を乗り出すようにして質問を重ねた。
「どこで?」
「…えーっと、カメユーデパートのケーキ屋さん。」
彼は私の言葉を聞いて、目をキラキラさせながらマジすか
と声を上げた。何をそんなに、と思ったのだけど、続く彼の言葉でその真意を知る。
「あそこってェ、めっちゃ可愛い制服っスよね!」
「…あー、うん。かわいいよね」
かくいう私もあの制服が目当てでバイトを始めたクチだ。あわよくばケーキが食べられるかな、って気持ちもあったけど、いざ叶ってみたらケーキへの欲は一週間ほどでなくなった。ケーキってやつは「特別な時」に食べるものなんだなと思う。美味しいけど、毎日沢山食べるものではない。
「俺、後で買いに行ってもいいっスか?」
そう言われて思わず吹き出すと、なんで笑うんスか、と仗助くんは頬を膨らませた。ケーキを買いに行くのに許可も何もないでしょ、と返せば彼は「それもそーっスね!」と笑った。きちんと挨拶してくれる謎の不良は、見た目とは裏腹に懐っこいのかもしれない。子供みたいな笑顔を見ながらそんなことを考えた。
「なんか、こんなに話すの初めてだね」
普段は挨拶だけで、会話らしい会話は初めてのような気がする。そう思って言葉を掛ければ、仗助くんはニコニコしながら勢い良く頷いた。
「俺、ななこさんとお話ししたくってェー…毎日待ってたんスよ?」
「またまたぁ、褒めてもなんにも出ないよ」
あっけらかんと笑うから、冗談だと思って軽く返すと、彼は少しばかりムッとした顔でこちらを見た。どうしてそこで機嫌を損ねるのかと驚いて仗助くんを見れば、やけに真剣な瞳が私を映す。
「さっきの質問。覚えてます?」
いくぶん低いトーンでそう問われる。誰か待ってるの、と聞いたことだろうかとおそるおそる返せば、彼は肯定の意を込めて首を縦に振った。
「……ななこさんを、待ってるんスよ」
アンタと喋りたくて、とそこまで言って言葉が止まる。視線を向ければ、彼はこちらまで照れてしまうほどに頬を赤くして、次の言葉を探していた。
「……なんか、口説かれてるみたいで恥ずかしいんだけど……」
ぽつりと呟くと、仗助くんは真っ赤になりながら、「みたいじゃあねーっスよ!」と語気を強めた。
「…え?」
口説かれてるみたい、で、みたいじゃあないってことは、それって…
「…俺のこと、どうっスか。」
追い討ちのようにそう言われて、思わず目を逸らす。突然こんな、私は彼をよく知らないのに。
「どう、って言われても…」
そりゃあ格好良いし背も高いなぁとは思うけど、と呟くと、仗助くんはまるでフリスビーを取ってきた犬みたいな顔で「じゃあ付き合ってください!」と笑った。
20161005