自分と付き合ってるのに岸辺と仲良くしちゃう夢主にやきもきする仗助
※岸辺の扱いが酷いので注意!
ななこさんは、可愛い。
それは恋人の欲目が多分に含まれるものだってわかってはいるけれど、だからこそどうしたって心配になってしまうのは当然のことで。どんな仕事をして、どんな顔で笑って、俺のいない間に何をしているかな、なんて不毛な考えが頭を過る。春休みともなればそれは顕著で、俺は彼女に頼み込んでもらった合鍵で、アパートで待つことがしょっちゅうだ。
「…おかえりなさい。」
「来てたんだ?ごめんね遅くなって。」
連絡くれればいいのに、と笑って彼女は靴を脱ぐ。玄関先で柔らかな色のスプリングコートごと抱き締めると、上着が脱げないよ、と可愛らしい声が俺の胸を揺らした。
「…仗助くん、着替えくらいさせて。」
「…脱がしてやろうか?」
「ダーメ。明日も仕事なの。」
春休みなのは俺だけで、ななこさんは仕事だ。わかっちゃいるけど、俺はこの春の陽気に当てられてしまっているから。
「…俺は休みだもん、いーじゃん。」
「うわ、それはムカつく。」
彼女は大人だから、なんだかんだ言って俺のワガママを聞いてくれる。それをわかっているから、俺もあんまり無茶は言えない。
腕を緩めて身体を離しながら春色のコートをするりと脱がせると、ななこさんはありがとうと可愛らしく笑った。
「…飯、俺が作ってもいい?」
「ありがと。仗助くんのごはん美味しいもんね!」
甘やかしてんだか甘やかされてんだかわかんない、柔らかな春の夕暮れ。
食事を作る俺の耳に、電話のコール音が届いた。すぐに音は止まり話し声に変わったから、きっとななこさんが出たのだろう。俺は申し訳ないと思いつつ包丁を操るペースを落とし、耳をそばだてる。
「…うん、…ん、いいよ。」
誰と電話をしているんだろう、やけに楽しそうな声が聞こえてきた。砕けた口調であるところを見ると友人だろうか、うるさいなぁ、などと言いながらくすくすと笑っている。そういえば彼女が電話をしているなんて初めてだ。俺といるときは、掛かってきても出ないでくれるから。
「それじゃ、露伴も原稿頑張って。」
最後の一言に、頭を殴られたような衝撃が走る。電話の相手はあの漫画家で、しかもななこさんは「露伴」と呼んだ。楽しそうに、笑って。
「…っ痛って…ぇ…」
指先の痛みで我に返って手元を見れば、うっかり指先を切ってしまったらしい。慌てて傷を見れば、真っ赤な血が次々と溢れ、俺は慌てて傷口を押さえた。
ぎゅう、と指先を押さえる手に力がこもる。なんでななこさんは露伴なんかと。今まで俺といるときに掛かってきた電話もあいつからだったんだろうか。もしかして、出なかったのは何か疚しい理由があるんじゃないだろうか。嫌な想像が頭を過って、痛いのは指先なのか心なのかわからない。
「…仗助くん、何か手伝おっか…って、どした?」
「あー、ちこっと切っちまって…」
「え、大丈夫!?」
貸して、と手を取られ、傷口を確認したななこさんは慌てて蛇口を捻り、俺の手を取って流水に晒した。そうして心配そうに「大丈夫?」と上目遣いでこちらを向く。その顔を、露伴にも見せたんだろうか。曇る俺の表情に気付いたななこさんは、おいで、とそっと腕を引きソファに座らせた。救急箱を持ってきて、テキパキと手当てしてくれる。優しい手はいつもと変わらないはずなのに、不安になる。俺の気持ちなんて露ほども知らないななこさんは、「私が作るから待ってて」と言い残してキッチンに向かった。残された俺は彼女に何か聞くこともできず、ただ悶々と指先だか心だかわかんない痛みを抱えるしかできなかった。
*****
親御さんが心配するからもう帰りなさい、とやんわりと背中を押されたのがほんの10分前。さよならのキスをした唇を噛みながら家路を辿る。アンタは寂しくねーのかよ、と呟いてみたところで聞かせたい相手はいない。ななこさんは大人だから、こんな気持ちになったりしないのだろうか。春になったとはいえ、まだ寒い。学校が休みでも、ななこさんは休みじゃあない。
「…はぁ。」
溜息に色がつく季節は終わった。桜が咲いて、そうして少しばかり大人になったところで、俺が彼女に並べる日はまだまだ先だ。
夜風がほんのりと冷たく、俺の心を吹き抜ける。あの電話はなんだったのだろう。露伴と、何の話をしていたんだろう。どうしたってわからないのにさっきからそんなことばかりぐるぐると考えている。こんなんじゃあダメだと気分転換に寄ったコンビニで、不意に声を掛けられた。
「…よぉスカタン。随分シケた顔だな。」
「…げェ、露伴。」
目の前に現れたのは今一番見たくない顔。相変わらず季節感のない突飛な格好のそいつは、俺を嘲笑うように言葉を続けた。
「なんだ、珍しいじゃあないかこんなところで。」
「そーいうアンタはなんでいるんだよ。」
睨めつける視線を意にも介さないで、露伴は唇の端を持ち上げた。
「取材の帰りさ。…まさかこんなところでクソッタレに会うとは思わなかったけどな。」
「それはお互い様っスね。」
そのまま立ち去ろうとしたのに、この漫画家は何を思ったのか彼女の名前を口に出した。俺の足が止まるのを見て、楽しげに笑う。
「…ななこさんは、俺と付き合ってますから。」
「…へぇ、それは初耳だなァ。」
案外そう思っているのはお前だけなんじゃあないか?なんて言葉が心に突き刺さる。俺が余程酷い表情をしたのだろう、目の前の漫画家は心底楽しくてたまらないといった風に声を上げて笑った。
「アンタこそ、随分ななこさんと仲良しみたいっスね。」
「…まぁ、な。ななこはぼくにゾッコンだから。」
勝ち誇ったように笑う露伴は「今の君の顔、スケッチしてやりたいくらいだぜ」と言い残して去っていった。気分転換だったはずなのに、来た時よりずっと重い足取りで家路につく。
彼女に聞けば、笑ってそんなことないよと否定されるのかもしれない。けれどもし、もしも露伴の言う通り、俺が二番目で(むしろアイツの言う通り恋人だと思ってるのは俺だけだとか)、ななこさんが露伴を好きだとしたら。そう思うと携帯のキーを打つ気力なんてなく、俺はただ目を閉じてひたすらに眠りの世界に誘われるのを待った。
*****
まんじりともせず一夜を過ごした俺は、当然のことながらどうしようもなく怠い朝を迎える。カーテンを開けてみたものの、朝日が傷付いた心に滲みる。休みなのが救いかもしれないけれど、学校があれば康一に相談でも出来ただろうか。けれども辛すぎて声に出すことすら憚られる。
「…おーい、じょーすけくーん!」
そう、ななこさんは俺を「仗助くん」と呼ぶんだ、露伴のことは呼び捨てにしていたのに。露伴だって、確かにあの時「ななこ」と言った。
「じょーすけくんってばー!」
「…へ、ななこさん?」
窓の下、いるはずのない時間にいるはずのない彼女がいる。夢でも見ているのかと目をこすれば、おりてきてよぅ、と少し間抜けでなんとも可愛らしい呼び声。
「…どーしたんスか、会社は?」
「サボった!…あのさぁ、昨日、露伴がごめんね?」
ななこさんの唇から零れた名前に心がズキリと痛んだ。やっぱり彼女は「露伴」と呼ぶ。
「…露伴と、恋人…なんスか…?」
聞きたくないはずなのに、問わずにはいられなかった。俺の消え入りそうな言葉を聞いた彼女は、慌てて首を振る。
「違うよ、私の恋人は仗助くんでしょう?」
「…でも、露伴が…ッ、」
彼女は困ったように頭を掻き、口の中で小さく「くっそ、あの売れっ子漫画家め。」と毒付いた。単語はむしろ褒め言葉な気がするけれど、彼女が本当に忌々しげに言うもんだから、少しばかり気持ちが楽になる。
「…えーっと、それをね?気にしてると思って会社を休んで来たわけですよ。」
あ、でも君が納得次第仕事に行くから出来れば手早く納得してね!と彼女は捲し立て、とりあえずお家に入れてと勝手に玄関に上がり込む。
「…どういうこと…ッん!」
玄関の戸を閉めた所で腕を引かれて口付けられる。これ俺は誤魔化されてるんかな、なんて未だ怖い考えが拭えなくって、彼女を抱き返すことができない。
「…私が好きなのは、仗助くんだけだよ。」
ほんのりと頬を染めながら、胸元にぎゅうと抱き着くななこさんはやっぱり可愛い。
「…だけど、なんで露伴と…」
「えーっと、実家がさぁ、岸辺邸の隣なんだよね。」
ほら、と差し出されたのは免許証。アパートの住所ではないそこは、確かにアイツの家と同じ町名だ。
「…露伴は、ななこさんはゾッコンだって。」
「それはねぇ、残念だけど漫画にゾッコンなんだ。作者はもっと残念だからどうでもいいんだけどさぁ。」
仗助くんはあんまり漫画とか知らないし、まさか露伴と知り合いだなんて思わなかったから言わなかったんだよね、と彼女は続ける。
「じゃあ、電話は。」
「…露伴が友達いないから、たまに掛かってくるんだよね…」
「俺といる時に出ないのは…?」
「仗助くんに限らず、人といる時のマナーでしょう?」
ななこさんは不安そうな俺を宥めるように一つずつ説明してくれる。時折バカだねぇ、なんて笑いながら。
「俺と付き合ってるの、黙ってたのは…?」
「えー、だってあんな男に知られたら面倒じゃない?」
仕事場に取材だーって乗り込んで来そうだったからわざわざ駅の向こうに部屋借りたんだよ、恋人なんて言ったら何されるかわかんないじゃん!と彼女は言い、俺はスケッチブックとカメラを片手に大騒ぎする露伴が容易に想像出来て思わず笑ってしまう。ななこさんはそれを見て「ね?」としたり顔で微笑んだ。
「…ほんっとーに、信じていいんスか。」
「うん。なんなら、露伴の前でキスしてもいいよ。」
すごいやだけど。とななこさんが言うから、俺はやっと安心して、彼女を抱き締めた。
「…心配させんなよ…」
「…そんなに好いてくれて嬉しいって、言ったら、怒る?」
ななこさんは可愛らしく小首を傾げてこちらを見上げる。そこで初めて俺は自分の勘違いに赤面した。
「…怒るっス。…「仗助」って呼んでくんなきゃあ、許さねーっスよ。」
「…じゃあ、すぐに許して貰えそうだね。仗助。」
くすりと笑って、彼女は俺に口付けた。
そうして、会社に行かなくちゃと俺の腕から抜け出す。玄関を開けようとする彼女の背中に、最後の問いを投げかけた。
「なんで露伴は「露伴」なんスか?」
ファンなら「先生」と呼んでも良さそうだ(康一だって、露伴先生と呼んでいることだし)。そう思って聞いてみれば、彼女の答えは至極簡単なものだった。
「…え?あんな漫画だけのダメ男、露伴で十分でしょ!」
いってきます!と駈け出す彼女の背を見ながら、俺は「確かにあんな野郎、露伴でジューブンっスよね」と呟いた。
20160407