「ななこさーん、ちーっス!」
玄関先で呑気な声が響いてぎょっとする。目の前のテレビからは大雪に見舞われるでしょう、なんてアナウンサーの声が聞こえているというのに。
「…ねえ仗助くん、この雪積もるってよ?」
帰ったほうがいいんじゃない、と言ったのは優しさのつもりだったんだけれど。
「…この寒い中せっかく来たコイビトにそんな酷いこと言うんスかアンタ…」
捨てられた犬みたいな顔でそう言われてしまっては、帰すのがまるで人でなしのような気がして、私は彼を部屋に招き入れる羽目になる。
部屋の窓からはちらつき始めた雪が見える。少しでも部屋を温めようと、私は立ち上がったついでとばかりに部屋のカーテンを閉めた。
「はー…やっぱコタツあったけーな…」
彼は遠慮もなく私の座っていた所に陣取る。くそ、一番あったかい場所を、なんて思いながら私は彼の斜め向かいに腰掛けた。あったかいなと一息ついて顔を上げれば、大きな身体を押し込むようにしてコタツにあたる仗助くんが置いてあったミカンを断りもなく剥いている。手がまだ赤いから、もしかしたら冷たいのかもしれない。
「…剥いてあげるから、手ぇあっためたら?」
「マジ?…じゃあついでに食べさせてよ。」
甘え上手な仗助くんは、私が断るよりも早く「ななこさんやさしーよなー」とニコニコ笑った。そうやって逃げ道を塞ぐのが彼の遣り口だとわかっていても、負けてしまう。
好きになった方が負けとはよく言ったもんだなと思いながら、私は仗助くんの厚ぼったい唇にミカンを一房押し付けた。
「…帰れなくなっちゃったらどうすんの。」
先程カーテンを閉める前に見た空は、積もる予報の通り、止みそうにない大粒の雪を落としていた。二重ガラスの向こうはきっとひどく寒いだろう。
「やだなー、だから来たんスよ。」
あっけらかんと笑う彼に思わず言葉を失う。「今夜は帰りたくない」なんて可愛らしい台詞ならまだしも、物理的に帰宅困難な状況を狙ってくるなんてタチが悪いことこの上ない。
「…おうちの人、心配するよ?」
「連絡してあるし、俺はななこさんが一人でいる方が心配っス。」
明日の雪掻き手伝うからいいだろォ?なんて魅力的な台詞を吐いて仗助くんはコタツの中にある私の足を擽るように撫でた。
「…や、」
慌てて足を引っ込めると、彼は楽しそうに笑って私の太腿に指先を這わせる。
「…みかん、もいっこちょーだい?」
何にもしてませんみたいな顔で笑っているくせに、手は明確な意図を持って私の肌を這う。
「…だめ。」
「ケチ。」
ミカンを手放して太腿を撫でる彼の手を払い落とせば、すっかり温まったらしい手が目の前のミカンを攫っていく。
「ななこさんも食う?甘いぜ。」
「そもそも私のミカンなんだけど。」
不満の声を上げると、仗助くんはケチくさいこと言うなよなー、なんて笑って私の唇にミカンを一瞬だけ押し当てた。ぷにっとした感触に思わず仗助くんの唇を見ると、彼は悪い笑みを浮かべながら私の唇に押し当てたミカンを口の中に放り込んだ。
「ななこさんと間接キスー。」
「…なにそれ。」
「…ななこさんもさぁ、思ったでしょ。俺の唇見てるもんね?」
ニヤニヤと図星を指されて、思わず赤面した。仗助くんの目は「俺とキスしたいでしょ?」とでも言いたげに挑発的な光を湛えている。これで怯んでしまったら、彼の思うツボだ。
「…ばか。」
精一杯の虚勢を張ったつもりだったけれど、唇を震わせたのはなんとも力無い一言で。これじゃあキスしたいって言ってるようなもんだよなと思ったら尚更恥ずかしくなった。
「…そろそろ積もってきたし、頃合いっスかねぇ…」
仗助くんはよっこいせと立ち上がりミカンの皮をゴミ箱に捨てると、私の背中を抱え込むように座り直した。コタツと仗助くんに挟まれて身動きが取れない私は、彼の手によって無理やりに後ろを向かされる。
不満の声はミカンの香りの残った唇に飲み込まれた。
「…っん、…ぅ…!」
「…チコッとばっかし酷いことしても、今日は『帰れ』なんて言えませんよね?」
20160206
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bkm