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安息の地を失う

「…あのさぁ、俺やだっつったよなぁ?」

どすどす、と音がしそうな勢いで近付いてくる見知った学ラン。

「こんにちは?」

高い位置にあるその顔を見上げてわざとらしく微笑むと、彼は不機嫌そうに私の向かいの椅子に腰を下ろした。店員さんがビビって近づけないのが視界の端に見える。いいよ注文取らなくて。私は彼と仲良くお茶を飲む気分じゃない。

「…っス。」

不機嫌ですと言わんばかりにガタリと音を立てて着座するリーゼント。私は無視を決め込んで、指先に挟んだタバコを唇に咥える。
無言で思いっきり煙を吐き出すと、仗助くんは大袈裟に眉を顰めた。

「…君とお茶する気分じゃないから。」

君に寄り付かれないために吸ってるんだと言ったら、彼は怒るだろうか。私の心を乱す張本人は、何の気なしに懐に飛び込んでくるからタチが悪い。

「…何でそんなつれないこと言うんスかぁー。」

私の声のトーンが普段より随分低いことに驚いたのか、彼は一転して捨て犬みたいな顔をした。けれどここで甘い顔をしてはいけないと、私は学習済みだ。

「一人にしておいて。」

言っても聞いてはくれないのだろうけど、生憎相手をする余裕なんてない。無意識にタバコの端を噛んだらしく、フィルターが軋む感触が前歯に響いた。

「…ねぇななこさん、どーしたんスか?」

飼い主を心配する大型犬よろしく、仗助くんは上目遣いで私を見る。いくらだって慰めるし、話だって聞くぜ?とキラキラした瞳が語る。

「どうもしないよ。ほっといて。」

「心配なんスよォ。話くらい聞くぜー?…なんつーかさぁ、ななこさん危なっかしいだろ?」

君に言われたくない、と喉まで出掛かった言葉を煙と一緒に飲み込む。無視無視。
彼の優しさは、誰にでも。目の前に困った人がいたら、その凛々しい眉を下げて、優しい瞳で「どーしたんスかー?」と、その見た目からは想像もできない間の抜けた言葉を掛けるのが目の前の男だ。
それが毒になるなんて、彼は思ってもいない。

タバコを灰皿に押し付けて伝票を手に席を立つ。コーヒーは残っているけどこの際諦めよう。彼の隣に見知ったバカがもう一人居てくれればまだ良かったのに、なんて思いながら会計を済ませ店を出る。私の予想に反して彼は付いてこなかった。

タバコを吸う人間がいなくなった喫煙席で、彼がコーヒーを飲んだかは知らない。

*****

台無しだ。苦しい。会いたくない。
彼にとって私は「親戚の知人」「優しいお姉さん」。その程度の認識だって、わかってる。けれど私はその優しい瞳と温かい手に「勘違い」してしまったから。
一人の部屋に逃げ込んだって、先程の仗助くんの寂しげな瞳を思い出して胸が締め付けられてしまう。重症だ。恋煩い。名前の通り煩わしいことこの上ない。
幾つ離れているかなんて数えたくもないほどに、年が違う。思い出すのも苦労するほど昔に、私は彼の年を終えたはずなのに、どうして心奪われてしまったのか。考えたって答えは出ないくせに後悔ばかりが募って苦しい。
まだ陽は高いけれど酔って忘れてしまおうと、先程から料理用の日本酒を飲んでいる。テーブルワインでもあれば良かったのだけれど、生憎お酒は好きじゃない。料理酒はとんでもなく不味いけれど、胸のざわつきを酔いのせいにすることができればそれでいい。

ぴんぽん、とインターホンが鳴る。

宅配便か何かだろうと思って玄関に向かった私は、ドアの前に立つ仗助くんを見て、ふらふらと無防備にドアを開けてしまったことを後悔した。けれど何故。私は家を教えた覚えはないのに。

「…な、んで。」

ドアの隙間から吹き込む冷たい風に、背筋が凍る。私がドアを閉めようとするより早く、彼はドアの隙間にその大きな身体を捩じ込んだ。

「…承太郎さんに、教えてもらったっス。」

仗助くんは冷たい風を全身に纏っていた。この寒空の中歩いてきたのだろう、どうして。

「…帰って。」

「ひっでぇー、寒空の下歩いてきた仗助くんをまた放り出す気っスかアンタ!」

彼は靴を脱ぎ、お茶くらいいいだろー、と勝手に上がり込む。そうしてテーブルに置かれた料理酒とマグカップを見つけて私を振り返った。

「こんなもん飲むなよ。」

信じらんねー、マジどうしたのななこさん!と勢い良く肩を掴まれる。反射的に振り払うと、彼はひどく傷付いた顔をした。

「帰って、ホントにやめて…」

「なんで!聞くって言ってんじゃん!俺じゃダメ?…俺じゃ頼りない?」

「…仗助くんのせい!」

あぁこんなこと言いたくないのに。酔ってしまったのが仇になった。涙も言葉も止められない。見知った部屋が歪んでいく。

「…は、?…俺の…せい…?」

「仗助くんがやさしくするから!…優しくされると、辛い…ッ…」

帰って、今ならまだ何にもなかったことにできるから。そう言いたいけれど、唇は嗚咽を零すばかり。こんなの格好悪い、こんなの彼の望む「優しいお姉さん」じゃあない。子供じゃあないんだから、格好悪いことしないでよ、私。

「…なんで?…」

ぽつりと、迷子の子を慰めるような優しい声が降ってくる。仗助くんはその背を丸めて、宥めるように私と視線を合わせた。

「…なんで俺に優しくされるのが辛いんスか。」

ねえなんで、と彼は私を見つめる。視線から逃げるように顔を伏せて、ふるふると首を振った。酔った頭がくらりと揺れるから、このまま意識を失ってしまいたいと願った。

「ちゃんと言わないと俺、ななこさんが俺のこと好きかもって勘違いしちまうぜ?」

その言葉に耳を疑う。私の視界は見慣れたラグと私達の足元しか写していないから、彼がどんな顔をしているかは分からない。

「…ッ…、」

ゆっくりと顔を上げると、思っていたよりずっと近くに仗助くんの顔があって驚く。このまま上を向いたら、唇同士がくっついてしまいそう。

「…いいんスか。」

なにが、と問いかけようとした筈なのに、言葉は仗助くんの唇に飲み込まれた。ちゅ、と音を立てて離れる唇。

「…じょ、すけ…くん…?」

「俺、アンタだから優しくしてんスよ。…わかってます?」

「…うそ、…からかわないでよ…」

見つめる視線が痛いから、逃げ出したくて曖昧に笑いを零した。誤魔化すような私の態度が大層気に入らなかったらしい仗助くんは、私の肩を捕まえて声を荒げた。

「冗談でファーストキスなんかできっかよ!」

ぐい、と引き寄せられて広い胸に抱き込まれる。ぴったりとくっついた体温の向こうが、どくどくと煩く鳴っている。苦しい程に抱き締められて、上手く息が出来ない。

「…仗助くん…」

「…今すぐ、聞かせてくれよ…ななこさんの気持ち…」

切実な響きの低い声が、鼓膜を甘く震わす。
促されるままに私は顔を上げたけれど、私は本当にこの言葉を告げていいのだろうか。

「…好き。」

ダメだと思った筈なのに、酔いのせいか唇は勝手に言葉を零す。
言えなくて苦しかったはずなのに、言ってしまった今でも、胸の苦しさは一向に無くならなかった。それどころか余計に苦しくなった気さえする。仗助くんは幸せそうに微笑んで視線を下ろし、私が尚も苦しげにしているのを怪訝そうに見つめた。

「俺も好き。…ねぇ、両想いなんだから、幸せそうにすりゃあいいじゃん。」

「…うん…」

好きだけでどうにかなるような若さは、もうないんだなと思うと余計に胸が痛い。この可愛らしい少年の未来を、汚してしまうのではないかという不安と、罪悪感。

「…ななこさん、俺…すげー嬉しい。」

腕に力を込められて、また涙がじわりと滲むのがわかった。気付かれないように仗助くんの胸に顔を押し付けると、彼は嬉しそうに私をぎゅっと抱き締めた。



20160126


萌えたらぜひ拍手を!


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bkm