「仗助ちゃん!」
「んー、どうしたんスかななこちゃん。」
幼馴染みの仗助ちゃんは5つ下で、小さい時からの仲良し。いわゆる弟分ってやつだ。
二次性徴を迎えたら、びっくりするほどおっきくなっちゃったけど、中身は優しくて可愛い仗助ちゃんのまんま。
「明日仕事休みなんだけど、一緒にごはん行かない?」
「明日?それとも今日っスか?」
「今日仕事終わってからがいいなー。朋子ママには言っておくからさ。何食べるか考えといて。」
「りょーかいっス。」
仕事がひと段落すると、大抵私は仗助ちゃんをごはんに誘う。今回はしんどいプロジェクトだった。マジ泣きそうだった。終わって一息つきたいけど、せっかく仕事が終わったのに会社の人とじゃあ嫌だし、友達にはこんなのわかってもらえない。
気兼ねなく話せて、少しくらいカッコ悪くても笑顔で受け止めてくれる仗助ちゃんの優しさに甘えてしまうけど、彼が私とごはんを食べてくれるのはあとどれくらいなんだろうか。考えるとちょっと寂しい。
彼女ができたりしたら誘うのをやめようと思うのだけれど、まだ仗助ちゃんにその気配はない。
*****
「ななこちゃん、俺さぁ、まだじゅーろくなんだけど。」
「黙ってたら大丈夫。あ、お酒は駄目だからね。」
今日は個人経営の小さな居酒屋さん。といっても内装はおしゃれで、イタリアンをベースにした創作料理が売りなので、ご飯を目当てにくる人も多いらしい。個室に通されて、向かい合って座る。
「何食べるー?あ、とりあえずビールとウーロン茶かな。」
「んー、何にすっかなー。あ、コレ食べたい!」
適当に注文を済ませると、すぐにグラスが2つ。お疲れさま、とカチリと合わせて、黄金色の液体を喉に流し込む。
「っはー…美味し。悪魔的だなー。」
「…オッサンかよ。」
家に帰って靴を脱ぐ瞬間みたいな、開放感。
一人じゃ寂しいけど、他人に気を使いたくない。そんな一瞬に、仗助ちゃんはぴったりだ。自然であったかくって、まるでお日様みたいだなと思う。
「仗助ちゃんにもそのうちわかるよぉ。」
「あんまわかりたくねーけどなぁ。」
気持ち良く酔っ払っていく私を、苦笑しながら眺めている仗助ちゃん。
会社の話、仕事の話、嬉しかったこと嫌だったことしんどかったこと。ほとんど私が話して、仗助ちゃんはにこにこ頷いて。
そうしているうちに、目の前に運ばれてきた料理の殆どは、仗助ちゃんのお腹に収まった。これでまた背が伸びるんだろうな、うらやましい。
「…ななこちゃん、飲み過ぎじゃねー?」
ふらふらとトイレから帰ってきた私に、仗助ちゃんが言う。心配そうに眉を寄せる姿は、お小言を言う朋子ママにそっくりだ。
「だいじょーぶ、ちゃんとあるけるし、きもちわるくもないよ!」
そう言うと、仗助ちゃんの隣に座る。
4人掛けのテーブルのはずなのに、仗助ちゃんが大きいせいか少し狭い。
「…ななこちゃんはさ、他の奴にもこうなの?」
「…ん?なにが?」
仗助ちゃんを見上げると、彼は困ったような顔で私を見ていた。昔はよくこんな顔してたなぁ、なんて。
「…無防備すぎじゃねーの?なぁ。」
「…あぁ、そんなのじょーすけちゃんだからだよ。だからさあ、いつまでこーやってごはんにつきあってくれるかしんぱいなんだ。」
ずっと一緒になんていられないのだろう。こんなにカッコ良く成長してしまった幼馴染は、外を歩く度に黄色い声に囲まれているんだから。
「…ななこちゃん?」
今日は飲み過ぎたかもしれない。
仗助ちゃんの顔が、いつもと違って見えるなんて。
「彼女、できたらおしえてね?そしたらさそうのやめるから。」
「…できないっスよ。俺、好きな子いるから。」
衝撃的な台詞に目の前がぐらりと揺れた。
そりゃあ高校生にもなったら好きな子の一人や二人いるだろうけど、私の可愛い仗助ちゃんが離れていくみたいで寂しい。
「…仗助ちゃんならきっとうまくいくよ。」
好きな子がいるのに、私に付き合わせたら悪いよね。誰かに見られても困るし。
今日が最後にできるかな。心の準備、できてないのに。
「…だめっスよ…俺なんて眼中になくて。」
そう言って苦笑いする。
そんなに綺麗な顔をして、何を言い出すのか。仗助ちゃんなら、どんな美人だってイチコロだと思うのに。
「…そんなことないよ。仗助ちゃんはかっこいいもん!」
見た目もさることながら、一番かっこいいのはその中身だ。甘え上手で、人たらしで、私が知っている誰よりも優しい。
「…じゃあさ、ななこちゃんは…好きな奴いる?」
「…え?わたし?…わたしはいないなぁ。」
仗助ちゃんの瞳に安堵と落胆の色。確かに、二十歳も越えて好きな相手の一人もいないのは、残念な女以外の何者でもないと思うけど。
「……俺、ホント脈なしなんだよなー…」
暫く何か言いたげに視線を彷徨わせた後、彼はそう言って溜息をついた。
「仗助ちゃんのミリョクがわかんないなんて、ダメだね。」
慰めるように肩を抱くと、そのまま引っ張られて抱き締められた。
「…ホント、だめっスよ、ななこちゃんは。」
「…わたしは、仗助ちゃんのかっこいいとこ、いっぱいしってるよ?」
ダメじゃないよ。ちゃんと、仗助ちゃんに彼女ができたら邪魔にならないようにしようと思ってるし、仕事だって頑張ってる。
「でも子供扱いしかしねーじゃん。俺いい加減に『仗助ちゃん』って呼ばれんの嫌なんだけど。」
『嫌なんだけど』って言葉だけが、酔って無防備になった心に刺さる。
「…え、…」
見上げた仗助ちゃんが、どんどん歪んでいく。頬に涙が伝って初めて、自分が泣いてることに気づいた。
「…え、あ!ごめんななこちゃん!…泣かないで、」
「…じょーすけちゃんは、わたしに、よばれるの、いやだった?」
「違ッ、ちがうって!…ちょっとななこちゃん酔いすぎ!…俺の話、ちゃんと聞いて。」
仗助ちゃんはひどく慌てた様子で私の肩を掴む。強い力で押さえ込まれて、驚く。
「…じょーすけちゃん。」
「あのね、俺、ななこちゃんのこと、好きなの。」
掴んだ手の力を緩めて、仗助ちゃんは少しだけ頬を赤くして、宥めるようにゆっくり言葉を紡ぐ。
「だから、さ…仗助ちゃん、って…弟みたいに呼ぶんじゃなくて、…恋人みたいに、呼んで欲しーんス。」
「…え、っと…」
頭がくらくらする。
恋人みたいに呼んで、なんて、恋人でもないのに。
「…仗助…」
うまく動かない唇でゆっくり名前を呼べば、仗助ちゃんはびっくりしたように目を見開いて、私を見つめた。
「…でも…酔っ払いに言っても、どーせ覚えてないんスよね。」
自嘲気味にそう言うと、優しく頭をぽんぽんと叩く。大きな手が気持ち良くて、思わず胸に飛び込んだ。
「…ほんとに、わたしのこと、すき?」
「…あぁ、マジだぜ。」
いつもの間延びした喋り方じゃないと、まるで別の男の人みたい。
それとも、ただ私が酔ってるせいなのかな。
「…うれしい…けど…」
これは本当に恋なんだろうか。
私はたぶん、恋をしたことがないのだ。
「けど、なに?俺じゃダメ?」
「ううん、あのね…」
酔った頭で言葉を探す。仗助ちゃんは少しだけ不安そうにしながらも、急かさず私の話を聞いてくれた。
クラスの子が騒ぐ憧れの男子にも、テレビで話題のアイドルにも、ときめいたことがないってこと。
いつも心の真ん中にお日様みたいな仗助ちゃんがいて、どんなに皆が誰かをステキだと騒いでも、「仗助ちゃんの方が」と、私の心は動かなかったんだ。
だから恋っていうのがどんなものか、わからないのーーー。
私の言葉が終わりに近付くにつれ、仗助ちゃんの頬が赤くなる。
「あのさ、ななこちゃん。…俺が言うのはおかしーかもだけど、、、それ、最ッ高の口説き文句…だと思うっス…」
お酒を飲んでいないはずの仗助ちゃんは、私よりも真っ赤になっていて、なんだか笑える。
「えー、なんで…?」
「もー…ななこちゃんの酔っ払い。」
くすくすと笑っていると、仗助ちゃんの顔が近付いて、ちゅっと音を立ててほっぺにキスをした。
「…え、いま、じょーすけちゃん…ちゅーした?」
「…唇が、良かったんスけどね。」
酔っ払いだから、忘れられても困るし。
そう言って、不満げに唇を尖らせる。
途端に心臓が、ドキドキと鳴った。
仗助ちゃんが唇で、私のスイッチを押しちゃったんじゃあないかってくらい、急に。
このドキドキは、お酒のせいなんかじゃない。確かめたくて、仗助ちゃんを見つめた。
「こんど…おさけのんでないときに、もっかい、して。」
「…アンタはもー…」
仗助ちゃんは赤い顔のまま頭を抱えて、それからそっと、私の髪を撫でた。
「…りょーかいっス。今度は、素面のときにお返しさせてもらうから。」
あぁ、やっぱり仗助ちゃんはカッコいいなぁ。なんて思ったけど、酔いが覚めてから教えてあげよう。
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bkm