雨は嫌いだ。
ぼくが死んだから。
*****
「どうして。」
突然に、行くはずだった予定を覆した露伴。
いつもは嵐だろうが雷だろうが取材だと言っては無茶をするので、今日の理由を尋ねてみれば、少しの沈黙の後に「雨だから」とぽつりと帰ってきた。
雨と言っても、起きたときは降っていなかった。先程から少し降り始めたばかりで、今なら傘がなくたってなんとかなりそうなレベル。
先の台風ではスケッチブックを抱えて増水した川を見に行くと騒いで私と喧嘩した男の台詞とは到底思えない。
「…雨は好きじゃあない。」
続いた台詞の意味が本当にわからない。大雨のときは子供みたいにはしゃいでいた癖に、なんだってこんな小雨が嫌などと。
雨以外の理由があるんじゃないかと考えるけれど、露伴はこんなところで嘘をつくタイプでもないし、どうしたって思い浮かばなかった。
けれど、露伴はどこかおかしくて。
「露伴。」
「ぼくが行かないと言ったら行かないんだ。…君に口を出す権利はないね!」
フン、と荷物を放り出す露伴は普段通りではあるけど、それは努めてそうしているように見えた。
「露伴。」
「…なんだよななこ。」
ぴくり、と眉を歪ませてこちらを見る露伴。
その仕草も声も普段と変わらないはずなのに、どうしてこうも胸がざわつくのか。彼がいなくなってしまうんじゃないかなんてこの想像は、いったいどこから生まれたのだろう。
「行かないで。」
ぎゅう、と今日も外気に触れている腰回りに抱き着く。触れた素肌の生きている暖かさにホッとした。
「…だからさっき『行かない』って、言ったじゃあないか。君の耳は飾りか?」
安心したのは露伴も同じだったらしい。
こちらを揶揄うような視線は、もうすっかり普段の岸辺露伴だった。けれど私の真意はきちんと伝わっているらしく、抱き返す手は普段よりずっと優しい。
「じゃあ今日は原稿ですか?露伴先生。」
抱きついたまま彼を見上げると、わしわしと頭を撫でられた。私が朝から洗面所で整えていたのを見ていたくせに、露伴の意地悪。
「…気分じゃあないな。」
「…それじゃあ、」
問いかけようとした言葉は露伴の唇に飲み込まれていく。
「君がぼくに付き合うって予定は変わらないんだ、なんだっていいだろう?」
相変わらずのワガママぶりでもって私の予定は露伴に一任される。
出掛けるからと普段よりもきっちり整えた髪は、先程露伴の手で残念な有様にされてしまったし、きっとメイクだって、この先の行動で崩れてしまうのだろう。現に口紅は、露伴に少しばかり移ってしまった。
「…露伴がいたら、なんでもいい…」
そっと呟くと、彼は嬉しそうに唇の端を釣り上げた。そうして赤く染まった唇を、私の首筋へと落としていく。
ベッドに引き戻される直前に見た時計は、8時30分を指していた。
*****
「…いつの間にか土砂降りだね…。」
出掛ける支度が全てダメになって、これからもう一度シャワーでも浴びてのんびりしようとベッドから起きると、外は土砂降りの雨。
「…出掛けるか。」
「はぁ!?」
雨が嫌いだから行かないとか言ってなかった!?と露伴を見れば、彼はひどくスッキリした顔で「早く支度をしろよ」なんて宣う。
このワガママな恋人に振り回されっぱなしで、時々なんで一緒にいるのかわからなくなってくる。
それでも時折、今朝みたいな顔をするもんだから、どうしたって放って置けないのだ。
「…露伴。」
「なんだよ。」
「私、ずっと露伴の側にいるから。」
見つめてきっぱりと言い切る。
露伴は鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、それから普段みたいに唇の端だけで笑った。
「…そりゃあ楽しみだな。」
そうして私達は、雨の中に出掛ける支度を始める。
*****
どこかのぼくの死に君を重ねて、
雨を忘れようと思った。
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bkm