「ろはーん、こんばんはー…?」
メールで帰りに寄れと言われたものの、残業でこんな時間になってしまった22時。
岸辺邸は明かりが点いていて、多分私を待っていたであろう露伴のお陰で玄関も開いていたけど、呼び鈴を鳴らしても声を掛けても予想していた「何してたんだよ遅いじゃあないか」の声もなければ不機嫌な声の主もいない。
「上がるよー、おじゃましまーす。」
寄れと言われていたし、上がっても怒られないよね…と、心の中で言い訳をして玄関に上がる。
リビングは誰もいなくて、キッチンは電気も付いていない。
お風呂にでも入っているのかと廊下を覗いたけれど廊下の先は真っ暗で、お風呂もトイレも違うらしい。あと、露伴がいそうなところは仕事場か寝室か…。
「珍しいなぁ。」
ついつい声が漏れる。普段なら玄関までバタバタと出てきて開口一番「遅かったじゃあないか」に始まる言葉の嵐。
「そんなに忙しいのかよ。それともどこかで油売ってたんじゃあないだろうな。」
「食事は摂ったのか?ぼくが作った夕食じゃあ不満だなんて言わせないからな!」
ごちゃごちゃ言いながら私の後ろをついて回る露伴がいないと、この家はえらく広くて静かなんだなぁと気付く。
露伴の寝室までの道のりが、やけに遠い。
「ろはーん、いる?」
小さくノックしてそっとドアを開ける。寝室の中は真っ暗で、籠った熱を帯びた空気が廊下に流れ出す。どうやら彼は寝室にもいないらしい。
仕事場かぁ。もしかしてとんでもなく集中しているとかかな。だとしたら声掛けたら怒られるんじゃあないかな、なんて二の足を踏む。
けれど確認しなければ、と己に言い聞かせて、仕事場をそっとノックする。
返事はない。
名前を呼びながらそっとドアを開けると、光とエアコンで冷やされた空気が隙間から溢れ出す。しかし露伴からの返事はない。
訝しがりながら部屋に入ると、そこには作業机に突っ伏す露伴の姿。
具合でも悪くしたのかと近づいてみれば、長い睫毛は伏せられて意地悪く細められる目を覆い隠し、すやすやと規則正しい寝息が聞こえた。
仕事机でこんなに無防備に眠っている露伴なんて珍しい。明日は雹でも降るんじゃないかな。
「ろはん、起きて。」
とんとん、と肩を叩くと眉間に皺が寄る。
ん、なんて零れる吐息が色っぽい。
「露伴、起きないとちゅーしちゃうぞ。」
黙っていれば本当に綺麗だな、と思う。
たまにはいつものワガママのお返しをしてやろうかな、なんて。
眠り姫は王子様のキスで起きるものなんですよー、と耳元で囁いてから、寝ている露伴の頬にそっと口付けた。
「露伴、おきて。ね…露伴。」
ちゅ、ちゅ、と音を立てながら、首筋に、耳元に、頬に。意識が浮上しだしたようだったので、首筋にちゅう、と吸い付いた。痛みに顔を起こす露伴。目はまだとろんとして、この状況がわかっていないみたい。
「かわい…、お姫様、ねえ起きて。」
半開きの唇に自分のそれを合わせる。力の入っていない柔らかな口元に舌を差し込んで、いつも露伴がするみたいに好き放題に弄ぶ。
露伴は暫くされるままになっていたけれど、息苦しくなってきたのか、私の服をぎゅっと掴んだ。
「ッん…ぅ、…は…」
潤んだ瞳は焦点がまだ合っていなくて、しがみつく腕は白くて細くて、本当にお姫様みたいだなぁと思う。
まぁ、口を開かなければ、なんだけど。
ゆっくりと瞳が焦点を結び、数回瞬く。
腕は私を確かめるように背中を撫で、そうして露伴は自分が置かれた状態にやっと気付いたらしい。胸を押されて、唇が離れる。
「露伴、おはよ。」
唾液でてらてらと光る唇を腕で拭って、真っ赤な顔をした露伴が、恥ずかしげに私の名前を呼ぶ。
「…ななこ…ッ…」
「遅くなってごめんね。りんごほっぺの露伴せんせ。」
くすりと笑ってそう言えば、露伴は慌てて己の腕で顔を覆った。身体を捩って、私から顔を隠そうと必死の様子。余程恥ずかしいのだろうか。
「ッ…見る…なよ…」
普段の露伴からは想像もできない可愛さに、思わずぎゅうっと抱き締めた。
「露伴、大好き。」
返事はなかったけれど、白い腕がぎゅうっと私を抱き返した。
*****
どれくらいそうしていただろうか。
露伴はいつもの調子を取り戻したようで、私を突き飛ばすと不遜な様子で鼻を鳴らした。
「フン、君に寝込みを襲う趣味があったとは知らなかったな。」
「露伴が色っぽいのがいけないと思うの。」
可愛かった、なんて言ったら怒るだろうから、心の中で呟くに留める。
まだ少しだけ耳が赤くて、多分その毒舌だってただの照れ隠し。
「だいたいお姫様ってなんだよ!…ぼくは男なんだから…お姫様は、どちらかと言えば君の方だろ。」
「それじゃあ、露伴が王子様ね。」
リアリティだ!とか言って本当に白馬に乗りそうなあたり、うちの王子様は目が離せない。
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bkm