馬鹿騒ぎ
67 取っておいてねチップと疑問
地下道を歩いて来れた距離ならそう遠くはないはず。そう踏んでタクシーを適当に走らせた。時折話しかけてくる運転手の英語がここら一帯のシカゴ訛りの英語じゃないことに何だか疑問に思い、聞いてもいない家族のことをつらつら喋る運転手に尋ねようとすると、昨日見た覚えのある通りに差し掛かった。

「ここ……」
「この先を左に曲がったところにありますよ。結構いるんですよね、あの古本屋に行きたいってお客さん。いつもは強面のお兄さんたちだけどね」

わざわざあんな古ぼけた店にタクシーを使ってまで出向く客がいるのは確かに不自然か。それに、強面のお兄さんがこぞって古本に没頭する様なんてそうそう思い描ける光景じゃない。

「おっと…これ以上進んだら料金メーターが上がってしまいますね。何ならここらでストップ致しますよお客様」

そんなすぐに上がるだろうか。これまた疑問に思いながらも、道の端に寄せて停まったタクシーの運転手の気遣いを受け入れて料金を払う。アパートから少しは上がっていたものの、そこまで高くもない値段に首を傾げる。何だってそこまで気を遣うんだろう。見た目が子供だからだろうか。領収書を受け取り、チップを運転席と助手席の間に置くと、運転手が一度目をぱちくりさせてから軽く笑った。


「さすが手馴れていらっしゃいますなあ」
「え?」
「おっと、失敬。……それでは、ごゆっくり」


タクシーから出ようとした時に運転手が何か呟いた。振り向くと、帽子を深く被り直している運転手が笑っていた。ごゆっくり、か。本屋に行くのだから営業文句としては不自然じゃない。ただ、タクシーに乗ってから頭の隅に何かがずっと引っかかっている。なんだろう。

僕を降ろしてから、タクシーはそのまま道を直進していった。それを眺めつつ歩き出す。僕が子供だからあんな反応だったんだろうか。ぼんやり考えながら歩いて、古本屋があるらしい角を曲がる。そう言えば、僕はこの辺りに古本屋がどこかにある、ということしか知らなかったから、具体的にこの古本屋だと断定していなかった。だけど運転手の中での古本屋はこの店一択だった。この街には古本屋は一つしかないんだったらそれは当然だろう。

店の看板を見つけ、ほっとしたその時、ふと運転手の言葉を思い出して足をとめた。『結構いるんですよね、あの古本屋に行きたいってお客さん。』あれ、この店は紹介制ではなかっただろうか。そして、紹介されたのなら鍵を渡されて、地下道を介して情報屋としてのラリサさんと接触するんじゃないのか。リアの口振りだと、NYのDD社に比べて小規模で、秘密裏に営んでいる印象だったけど……。まあ、いいや。ラリサさん本人に尋ねればいいことだ。もし、仮にもしも面倒事に巻き込まれているのだとしたらリアに謝らないといけないかもしれない。だって一人でふらついて勝手に詮索しようとした罰みたいなものだろうからさ。





「まあ、いらっしゃいチェスワフ」
「こんにちは、ラリサさん」

紙とインクの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、お目当てのラリサさんのもとへ向かっていった。


「お話かね。ちょうどいい、お茶にしようか」

ラリサさんはよっこらせ、と曲がった腰を持ち上げて店の入り口へゆっくり向かった。店の取っ手に『CLOSE』の看板をぶら提げると、にっこり笑った。

「なあに、心配いらんさ。本当の用事があるモンは下から来るからねぇ」




鼻歌交じりに紅茶を用意するラリサさんの手伝いをしながら、さっきのタクシーの運転手のことを彼女に話してみた。すると、最初はふんふん鼻を鳴らして聞いているのか聞いていないのか分からなかったラリサさんが豪快に笑い始めた。

「ひゃっはっは、そりゃあからかわれたねぇ。あいつも目敏いもんだ!」
「あいつ?」
「ちょっとした組織の子供さ。大方、リアがシカゴに来たもんだから追っかけてきただけだろうねぇ。大丈夫、きっとチェスワフには何も害はないよ」
「僕には、ってリアに何かあったら、」
「大丈夫さ。きっと、動向を探るだけであの子にはまだ何もしやしない。あの子もわかってるだろうよ」
「それならいいけど…子供って言っても成人はしてる体つきだった気がするんだ」
「あぁ、それは1個体だからねぇ。元が子供って事さね」
「…1固体…?」
「それよりも、チェスワフはこんな老婆とただお茶をしにきたわけじゃあないんだろう?」

ラリサさんは、紅茶を一口飲んで一息つくと、皺だらけの自身の手の甲を撫ぜながら首を傾げた。わかっている。伊達に情報を扱ってるわけじゃないってことだろう。輝くつぶらな双眸に見つめられて、ごくりと唾を飲んだ。聞きに行こうと思った時はあんなに足が軽かったのに、今じゃ尻込みするほど口を開くのが重い。


「……リアのことだろうねぇ」

そう納得するようにうんうん頷いてクッキーをかじり、残りをソーサーの隅にちょこんと置いた。

「言っておくけどねぇ、わたしゃあそこまであの子のことは知らないよ。知っていることと言えばあの子と出会ってからのこの80年くらいのことさね。不死者にとっての80年なんて短いものだろう?」
「長い、と思わなくなるくらい確かに生きてはきたけど、それは全ての長さだから体感時間が短くなったわけじゃないんだよラリサさん」
「ほう…不死者と実際に会って話をしたのはリアとチェスワフしかいないからねえ、やっぱりどうしても情報が偏るようだ」
「リアは短いって言ってたの?」
「あれは…短いというよりも、抜け落ちたと例えるのが適当かねぇ。そう感じるような時期があったといつだったか話してくれたよ。それがいつの頃の話かはわたしゃ知らないがね」
「……ラリサさんはどうやってリアと知り合ったの」
「拾ったんだ」
「拾った?えっ、そんな、犬猫を飼うような、」
「犬猫も同然だったよあの時は。服も髪も泥や血まみれ、最初は浮浪者かと思って驚いたもんさ。そうそう、今でこそうちのファミリーで利用しているそこの地下道でね」



さて、昔話になるけどいいかね?ああ、それと、すこし血なまぐさいからお気をつけておくれよ。なぁに、全部終わったことさ。

そう言ってラリサさんは、また手を一撫で
して微笑んだ。
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