『マイザー!聞いて!庭にね、こんなね、ふわふわのね、』
『膝から血ィでてる。あと、興奮しすぎだバカ』
『あっれえ、本当だ。それより、猫!猫がいたの!』
『猫なんてそこらへんに居るだろ』
『そこらへんって!わたしが屋敷から出れないの知ってるくせにそういうこと言うのね!』
『おう、知ってんぜ。伯父さんが過保護って話だろ』
『知ってるなら何とかしてくれてもいいと思うんだけどなぁ。ホラ、かわいいかわいい従姉妹のお願いよ?』
『オレにはかわいいかわいい従姉妹なんて想像できねえし、何より抜け出す手助けなんかしねえよ』
『いっつもそう!そうやって助けてくれないんだから!』
『お前が言うほど楽しいとこなんて外にはねえよ』
『楽しいかどうかなんてわたしが決めることよ。マイザーにもお父様にも決められることじゃないわ』
『どうだかな』
そう言って、屋敷に閉じ込められていたあの小さな女の子が。今では殺し屋なんて物騒な職を生業としている。物騒と言えば、自分が身を置いているこの世界もそうである。真っ黒だ。知っている。だって、それを選んだのは自分自身だからだ。だけど、この子は、それを知っていて足を踏み入れたのだろうか。
過保護な両親からの言いつけで屋敷の敷地内だけで暮らしていた世間知らずのお嬢様。ひっくるめて言えば上流。厳密に言えば上の下。そんな家柄のお嬢様は丁寧に育てられた。だから、両親の手を余す様なことはしないし、外面もいい。
舞踏会では年をくった男から少年まで、途切れることなく手を差し出してきてはダンスの相手を乞う。感じのいい外面をぶら下げて、相手を立てながら踊る姿をまざまざと目にして、周りの奴らは皆こいつに騙されているんだ、なんて思った事は今でも覚えている。
丁寧に育てられたからと言って、大人しくて可愛げのある性格だとは限らない。本当は好奇心に満ちていて、外の仕事を終えた使用人たちを引っ掴まえては屋敷の外の様子を聞き、皆寝静まったころにこっそりと屋敷を抜け出していたことを私は知っている。外に出向いて探検していたようだが、一度だけ周囲にばれたことがある。その当時、やんちゃをしていた私に対する恨みを持つ者と屋敷を抜け出す所にたまたま出くわしてしまい、少々怪我を負った。少しで済んだのは、私が見つけたからである。相手をボコボコにして、うっすら涙を浮かべるあの子の手を引いて屋敷に連れ帰った。事情を知った伯父さんはそれはもう怒った。怪我をさせたのは私が原因であるから、それついて謝罪をしたが、『男の子はそれくらいでいい』という意味の分からない言葉で流された。
抜け出したことのは今回だけだと主張した彼女の答えはあまり信用されず、これまでしてたんだろう、そしてこれからもするんだろう、という伯父さんの考えから護身術を学ぶことにしたらしく、暇な時間が少し減る!と嬉しそうに報告してくる顔を見てため息が出た。伯父さんも甘ければ、私だって甘かったのである。だから、船に乗る時に付いてきたこともあまり咎めることはしなかった。それが仇となって、この真っ黒な世界に足を踏み入れてしまったんだろう。後悔している。あの時の出来事がなければ、弟を失うことも、彼女を辛い目に遭わせることもなかったはずなのに。
どうして殺し屋なんてやっているのか。聞いてもいつでもはぐらかされる。きっとこの先一生教えてくれないだろう。そう思う。それでも私はきっと、ずっと聞き続けるんだろうな。
『殺し屋なんてやめなさい』一言伝えてしまえたらどんなに楽だろうか。だけど、私にそれを伝えることはできない。何十年も続けているのには絶対に何か理由があるはずなんだ。何かを叶えるためにしているはずなんだ。そうじゃなければあの子が殺し屋なんて続けるわけがない。そう思うと、その一言を口にするのにためらってしまう。だから、遠回しに『どうして殺し屋なんかやってるんだ』と訊ねることしかできないのだ。
そうやって、心配しているだけ。
昔からそうだ、本心は告げられないまま、遠回しに心配をしている。今も変わらない。
流石に、幼かったあの頃とは違うから心配しすぎなのもよくないだろう。できる限り、彼女から手を伸ばしてくれるのを待った方が良いのかもしれない。
「ねえ、マイザー?ぼうっとしちゃってどうしたの?」
「あぁ…少し物思いに耽っていました。おかえりなさい、ガンドールの事務所はどうでした?」
「楽しかったよ。前に仕事で会った、刀を使うコに会ってね、斬り合いしよう!って言われた時には困ったけれど、」
「刀?危ないですねえ」
「大丈夫よ、刃は立ってなかったもの。それにね、ラックさんが助けてくれたの」
「へえ、あの男が」
「うん。そうだ、またいつでもいらっしゃいって。ソファにいっぱい座らせてくれるらしいわ、ふふ」
「ソファ?」
「そう!すっごく素敵なソファが事務所の客室にあってね、いいなあって話をしたらいつでもおいでって」
「リアが家具に興味があるとは知りませんでしたよ」
「んー、興味があるっていうか、いいなあ、って思うものに会えただけかな」
「とことん感覚で生きてるんですねぇ」
「そういうもんだって思っちゃえばこっちのもんみたいだよ」
「?どういう意味ですか?」
「そういうもんなんだろうなって思ったら、そうなんだってラックさんが言ってた」
「……へえ」
前言撤回。本人に告げるかどうかは別として、心配することはやめられないみたいだ。
200年も生きてきて悪い虫がつくとかつかないとかそういうことを考えてもあまり意味はないが、何だか釈然としない。
久しぶりに再会して、安心していたところに思わぬところから横槍が入りそうで内心あまり穏やかじゃない。フィーロなんかに言わせたら心配しすぎだと言われるかもしれない。
でも、心配くらいしてもいいだろう。
だって君は、私の唯一の肉親。いや、それは建前か。そうだなあ、昔の言葉を借りるなら、私のかわいいかわいい従姉妹なんだからね。
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