でんせつ紹介


ALL*アジア*イスラム*ヨーロッパ・アメリカ*古代オリエント・エジプト*周りの人

チャガタイ=ハン(ソヨル)
【アジア】

「ひとりは嫌だよ。お父さんも、言ってた。」


1227〜14世紀後半
都:アルマリク

モンゴル帝国の子孫がつくった4ハン国のうちの一番最後にできた国。
もともとはチンギスの第2子チャガタイの領土だったが、のちに国として独立する。
しかしやがて分裂し、西からティムール帝国が出現する。

キプチャク=ハン(ブルグドゥ)
【アジア】

「お前はいつもそう。そうやって、僕を追い越して行くんだ。」


1243〜1502年
都:サライ
建国:バトゥ

モンゴル帝国の子孫がつくった4ハン国のうちのひとつ。
イスラム文化とトルコ人に同化した。
イル=ハン国とは兄弟にも関わらず仲が悪く、ときどきつつき合いのケンカをしていた。一方イスラム国家との仲は比較的順調で、マムルーク朝と友情の盟約を結んでいた。
14世紀が最盛期。1380年にモスクワ大公国との抗争に負け、衰退する。

オゴタイ=ハン(バガン)
【アジア】

「僕は父上の意思に従う。それしかできることはない。」


1226頃〜1310年
都:エミール
建国:オゴタイ

モンゴル帝国の子孫のつくる4ハン国のうちのひとつ。
内紛でごちゃごちゃしていたため、存在が疑問視されている。
ハイドゥの代にキプチャク、チャガタイ両ハン国とともに元に反抗するも失敗に終わる。
最終的にはキプチャクと元に領土を分割される。

ウイグル
【アジア】

「さようなら、狼の子。もう貴方の支配は受けない」


トルコ系遊牧民族。
突厥の支配のもとにいたが、8世紀に可汗を名乗り、王国を建てる。
安史の乱では唐を手助けするなど、1世紀にわたり勢力をふるうが、災害や内紛、キルギスの侵入によって崩壊する。
最盛期は国際警察のような役割を果たした。商人気質。

イル=ハン国(ナチン)
【アジア】

「親父様の力を見せつけてやるんだ!世界中にな!」


1258〜1353年
首都:タブリーズ
建国:フレグ

アッバース朝を滅ぼし、イランを支配した。
マムルーク朝やキプチャク=ハン国と睨み合ってたりする。キリスト教国との友好関係をもって両国と対峙した。
ガザン=ハンの時が最盛期で、イスラム教が国教となる。
内紛によって衰退し、ティムール帝国に併合される。

スキタイ
【アジア】

「ん・・・・」


教科書の遊牧民族の項目で一番最初に載ってる民族。
前7Cにカスピ海におこり、前6Cから王国を建設した。
黒海周辺のギリシア植民市とも交流があった。戦いも強く、特にアケメネス朝ペルシア帝国はスキタイ攻略に随分と悩まされたそうだ。
前3C半にサルマタイ人に追われて王国が崩壊するが、スキタイの文化はほかの遊牧民族に大きく影響した。

【アジア】

「ボクら友だちだもんね!」


1271〜1368年
首都:大都(北京)
フビライ=ハンによって中国風の名前に改名されたモンゴル帝国の正統後継者。
あの有名な元寇を仕掛けてきた国。13世紀の暴れん坊。高麗(朝鮮)、ビルマ(ミャンマー)のパガン朝、シンガサリ朝(ジャワ)などを相次いで服属させた。元強い。
同じモンゴル帝国の子孫でも、イル=ハン国とは比較的仲が良かったようだ。

科挙とか難しくてよくわからないけど、とりあえず馬と弓でなんとかなるよね!
モンゴルの兄弟たちには改名後は「ダイオン」って呼ばれてる。

【アジア】

「よーっし!オレたちの冒険は、まだまだこれからだ!」


前11Cごろ〜前256年
首都:鎬京→洛邑(前770年に遷都)
渭水盆地から発展し、武力を誇っていた殷を倒して建国。
この時代に中国では封建制度が確立したが、血縁関係を基礎とする点で西欧や日本の封建制とは違う。(一族などを支配地に諸侯として配置し、土地と農民を世襲的に支配させた)

冒険好きでほとんど外に出歩いていることと、そのための出費がかさむことで、首都防衛をまかされている春秋・戦国には怒られてばかりいる。
いつも派手な格好をしているのは派手好きだから。

漢*後漢
【アジア】

「あんたほんと・・・・なんでそうなっちゃうわけ」


前202〜後8*25〜220
首都:長安→洛陽 建国:劉邦*劉秀
中国古代史上政治的、文化的に一番すごかった時期。途中新に政権をとられちゃうけど、奪還して前漢、後漢にわかれる。
秦の持っていた知識を利用して内政をうまくとりしきっていた。
匈奴とは踏んだり蹴ったり殴ったりする仲で、匈奴と聞いただけでじんましんが出るくらいに嫌ってた時もある。お互いにボコり合って共倒れするところだったらしい。
ローマ帝国とも交流があった。

黄河文明*夏
【アジア】

「私、ずっと前からいましたよ?」


中国最古の王朝といわれていた夏王朝は最近の発掘により、本当にあったらしいという見方になりつつあるそうだ。夏王朝の首都は二里頭。
周辺国からの影が薄いが、中国内部では「えっ、あの人が伝説の夏王朝!?」「ご利益ご利益!」みたいな感じで崇め奉られ、政治に利用されてきた。結構「我こそが夏王朝の末裔である」って主張する王朝が多いよ!

怒ると伝説の龍の化身の力がどうとか言ってまがまがしい力を発揮するという噂……。


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