でんせつ紹介


ALL*アジア*イスラム*ヨーロッパ・アメリカ*古代オリエント・エジプト*周りの人

ゴール朝(サハル Sahar)
【イスラム】

「主君のそういうところ、嫌いです」


1148〜1215年
ガズナ朝の弱体化に乗じてアフガニスタンに建国したイスラム王朝。
インドをつつき倒して、インドのイスラームによる支配の基礎を築いた。分裂し、ホラズム朝に滅ぼされるも、領土のうちのインドの側は奴隷王朝(デリー=スルタン朝)として独立する。

ガズナ朝の部下だった。無口。

コーカンド=ハン
【イスラム】

「ワタシたちってとっても仲がいいの」


1710ころ〜1876年
首都:コーカンド
ブハラ、ヒヴァとそろってティムール帝国を倒し、そろってソ連に併合されるウズベク3ハン国のうちのひとり。

かつて3ハン国でホラズム朝だった。3国3様全く違うことを言うのでどれが本当のことなのかわからない。
ホラズム時代はブハラ=ハンとともに軍事っぽいことをしていた。

カラ=ハン朝(ファラフ Farah)
【イスラム】

「負けないよ〜!ワタシだって、ちょー強いよ!」


940ころ〜1132年
サーマーン朝を滅ぼしたトルコ系のイスラーム王朝。中央アジアのテュルク化、イスラム化に大きな役割を果たす。
カラ=キタイ(西遼)に滅ぼされる。

とても大雑把な性格。ほやっ、としてるようで抜け目ない。あなたの領土も狙われているかも・・・・。ガズナ朝のカリムとはアム川の因縁がある。
突厥やウイグルと面識があるようだ。

ガズナ朝(カリム Karim)
【イスラム】

「先生、僕独立します!」


962〜1186年
建国:アルプテギン
もとはサーマーン朝の部下だったが独立。インドのイスラーム化への足がかりを作った。
11C半にセルジューク朝のもとに下り、ゴール朝に滅ぼされる。

サーマーン朝を先生と呼んで師事した。

オスマン帝国
【イスラム】

「どうも〜社長さん、元気したはります?オスマンです〜毎度おおきに」


1299〜1922年
建国:オスマン1世(オスマン=ベイ)
アジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる大帝国。
ビザンツ帝国やマムルーク朝を倒し、ヨーロッパにまで圧力をかけた。
お調子者で、神聖ローマ帝国に勝利したことに調子に乗っていたらティムール帝国にぼこぼこにされた。

嫌なことがあると現実逃避のため、すぐにチューリップ畑に行こうとする。
大砲など近代風のものが大好き。趣味は園芸。

イドリース朝(ジャリル Jalil)
【イスラム】

「俺がアリーの子孫だ!」


789〜926年
首都:フェス
第四代カリフ、アリーの子孫がモロッコで建国。
史上初のシーア派イスラム王朝。
アッバース朝に反抗するも弾圧を受け、モロッコへ逃亡。反抗していた頃の威勢をバグダードへ置いてきたらしく、逃亡後はしおらしくしていた。
ファーティマ朝に滅ぼされる。

アイユーブ朝(マンスール)
【イスラム】

「やぁ、よく来たね。ようこそカイロへ」


1169〜1250年
首都:カイロ
建国:サラーフ=アッディーン(サラディン)
エジプトからシリアまでを支配し、度重なる十字軍を防いだ。だいたいがザンギー朝とかの恩恵だったりする。運がいい。
アイユーブ朝のスルタンは個人的に神聖ローマ帝国の皇帝と友好関係にあったらしい。

お酒で一度大失敗したことから、それ以来飲酒はしていない。

セルジューク朝(ウダイイ)
【イスラム】

「ガキが、だらんてなこと言うな」


1038〜1157年
トルコ系スンナ派王朝。
1055年にトゥグリル=ベクはバグダードに入城、ブワイフ朝を追放してアッバース朝カリフからスルタン(日本で言う将軍)に任命され、アッバース朝東方領土の大半を支配。
アナトリア地方への侵入により、十字軍派遣の原因となった。

アッバース朝(アクラム Akram)
【イスラム】

「理想の達成には、犠牲がつきものなのですよ」


750〜1258年
首都:バグダード
建国:アブー=アルアッバース
有名なアラビアンナイトの舞台となったのはこの国。イスラム帝国とも呼ばれ、全ムスリムの平等を目指した。
政治はイラン人に、軍事は主にトルコ系の軍人奴隷(マムルーク)に任せていた。
13世紀のモンゴルの隆盛により滅亡。しかし、王朝滅亡後もカリフはマムルーク朝に匿われた。
ハールーン=アッラシードの治世が最盛期。

ウマイヤ朝*後ウマイヤ朝
【イスラム】

「僕的には〜、貢納してくれると嬉しいんだけどね?」


<ウマイヤ朝>
661〜750年
首都:ダマスクス 建国:ムアーウィア
今の西北インドからスペインまで支配し、イスラム王朝の中でも広大な領土を獲得した。
732年のトゥール=ポワティエ間の戦いでフランク王国に敗れ、それまで拡大していたイスラム勢力の北限はピレネー山脈となる。
アラブ人の優越した社会だったので、別名をアラブ帝国ともいう。
最盛期は8世紀初めのワリード1世治世期。

<後ウマイヤ朝>
756〜1031年
首都:コルドバ 建国:アブド=アッラフマーン1世
イベリア半島のイスラム王朝。西カリフ国。
アッバース朝の反乱によりダマスクスを追われ、生き残ったウマイヤ家の一族のひとりがイベリア半島で再度建国し、のちにカリフを名乗った。
アラブの灌漑技術を用いて農業生産を向上させた。
11世紀以降、内紛によって衰退。


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