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夜の名残を抱きしめながら



 ドロシーとミスラは北の国にある塔へ来ていた。


「本当に行くんですか」


 自然に囲まれたなかぽつりと一つそびえたつ塔を目の前にして、ミスラは不満げにドロシーの背中に言い放った。塔へ向かう足を止めて振り向いてみれば、拗ねた子供のような顔をするミスラが立っている。


「駄々をこねないで、ミスラ。私は大丈夫だから」


 このやり取りは、フィガロのところへ連れてこられてからずっと続けている。南の国から帰ってきたあとも、ミスラは「行かなくていいじゃないですか」と何度も言ってきた。それに対して、そういうわけには行かない、と首を横に降れば、ミスラはムッと唇を尖らせて「死にに行くのと同じじゃないですか、行く必要ないです」と言って、また振り出しに戻る。ミスラが心配してそう言ってくれるのは嬉しいが、選ばれてしまっては仕方が無い。どう足掻いても変えられない、と子供に言い聞かせるように説明すれば、そのたびミスラは聞き分けが無い子のように文句を連ねて、行かなくていい、と続けるのだ。


 困ったように笑えば、ミスラは唇を尖らせたままそっぽを向く。


「・・・・・・いつ帰ってくるんですか」
「さあ。顔を合わせて、挨拶を済ませれば、すぐに帰れると思うけれど」


 数日前に〈大いなる厄災〉が去ったばかりだ。次の厄災まであと一年猶予がある。賢者の魔法使いは〈大いなる厄災〉を空へ返す役目を担っているだけで、縛られるのは一年に一度のその日だけ。それ以外は自由だ。新たな仲間を含め、顔合わせを済ませれば、その日まではなにも無いだろう。


「俺も行きます」


 正確にいつに帰れるかは分からない、と言えば、ミスラは何度目かの言葉を口にした。そしてドロシーも首を横に振る。


「ダメよ。言ったでしょう、賢者に選ばれた魔法使いしか行けないの」


 付いて行こうとするミスラを咎めれば、納得がいかないと睨みつけられる。頬を膨らませて眉間にしわを寄せるミスラに、それでもドロシーはダメだと言って首を横に振る。

 いくら睨みつけて訴えても、困ったように笑うだけで頷いてくれないドロシーに、ミスラははあ、とため息をついて、これ以上駄々をこねるのを諦めた。それでも、ミスラの不安は拭えない。今までドロシーと離れたことがなかった。離れていても、安全な家のなかにドロシーは居たし、遠くへ行くときは必ず自分がいた。けれど今回は付いてはいけない。自分の知らない場所に、ドロシーがひとりで遠くに行ってしまう。どんな魔法使いが集まってくるかもわからないのに。庇護しなければならないドロシーをひとりで行かせることが、ミスラには耐え難かった。


「《アルシム》」


 手を伸ばして頬に触れる。そのまま耳を撫でて、呪文を唱えた。魔力が一点に凝縮されて、形を作っていく。自分の魔力を溜め込んで物体となったそれを、ミスラは指で持ち上げて、名残惜しそうに腕を引いた。

 チャリ、と耳元で金属の音が鳴った。耳元に手を伸ばせば、冷たいものが指に触れる。視界の端に、揺れる紫色の何かが見えた。


「お守りです。守護魔法と、あなたの位置が俺に分かるように。それくらいなら許されるでしょう」


 それが、ミスラにとってのせめてもの妥協案だった。自分が行けないのなら、せめて守護魔法を。なにかあったときに、すぐに居場所が分かるものを。納得はしないがそれだけは許して欲しい、と伝えるように、ミスラは控えめに視線を落とした。

 そのとき、ミスラの片耳に飾られた紫色の水晶が揺れた。視界の端で揺れたそれと同じ色に、ドロシーは胸が温かくなった。


「ありがとう、ミスラ」


 素直に、嬉しかった。

 喜ぶドロシーを目の前に、ミスラはくすぐったい気持ちになって、なんだか居心地が悪くなる。けれど笑顔を浮かべるドロシーを見るのは悪くは無く、気が付けばつられるようにミスラも表情を綻ばせていた。


「それじゃあ、行ってきます、ミスラ」
「はい。すぐに帰ってきてくださいね、ドロシー」


 ドロシーはひとりで塔に向かって歩いて行く。その後姿を見つめ、ドロシーが見えなくなったあとも、ミスラはしばらくの間その場に留まり続け、そびえたつ塔を見上げていた。



* * *



 中央の国にある魔法舎へ行けば、新しい賢者と選ばれた魔法使いたちが集まっていた。とは言っても、北の魔法使いは姿を現すことは無かった。居たのは、数百年前に賢者の魔法使いに選ばれたスノウとホワイトだけ。

 ホワイトは死んだあと、スノウの魔力によって幽霊として繋ぎ止められたと聞いていたが、実際に顔を合わせるのは今回が初めてだった。もう死んでいるのに、まるで生きているようにホワイトは、あの屋敷に居たころから何も変わっていない。双子は、久しぶりじゃのう、と懐かしそうに微笑んで、選ばれたドロシーを魔法舎へ受け入れた。

 不在の北の魔法使いは、オーエンとブラッドリーだと聞いた。北の国に居る以上、彼らの名前を耳にしたことはあるが、実際に顔を見たことは無い。時々、ミスラの口から彼らの名前が出てくるのを聞く程度だった。何にせよ、彼らのような強い魔法使いが、弱い自分に関わることは無いだろう。

 顔合わせをして、挨拶を済ませれば、大抵の魔法使いたちは帰って行った。残ったのは主に南と中央の国の魔法使いで、まだこの世界に来たばかりの賢者の身を案じていた。古参の双子も、ここ最近は毎回賢者に付き添っているらしく、今は魔法舎で賢者と居ると言う。ドロシーもどうじゃ、とホワイトに誘われたが、それを断って早々に家に帰ることにした。見送ってくれたときのミスラを思い出して、無意識に口角が上がる。ドロシーは双子に見送られながら、魔法舎のエレベーターに乗り込み、北の国へと戻った。

 次に顔を合わせるのは、〈大いなる厄災〉が迫ってきたときだろう。その日まで約一年間ある。まだまだ先のことだ。けれど、変化に乏しい北の国での暮らしでは、あっという間に時間が過ぎ去っていき、気付けば〈大いなる厄災〉は目の前に迫っていた。







 木々が揺れ、大地が唸る。動物たちは遠吠えを上げ、精霊たちは息をひそめる。
 ぞわぞわとした感覚が全身を襲い、身の毛がよだつ。

 空には大きな月が浮かんでいる。不気味に夜を灯す赤い月は、この世界にとっては厄災そのもので、世界を滅ぼす恐ろしいもの。けれど怪しく輝くそれは、言葉を失ってしまうほど美しい。

 ミスラはソファに寝転がって天井を見上げていた。眠ろうにも、辺りが騒がしくて眠れない。それ以上に、どうしようもない不安がぐるぐると渦巻いて、眠ることなんてできなかった。

 ドロシーは出掛けている。今日が〈大いなる厄災〉が迫ってくる日だから、異界から呼ばれた賢者と賢者の魔法使いは、空に浮かぶ月に向かって集結しているはずだ。それ以外の人間や魔法使いは、きっと家でじっとして、身体を小さく丸めているだろう。

 風が吹き荒れて、窓がガタガタと揺れる。

 ドロシーはきっと、無事のはずだ。彼女に渡した守護魔法は、まだ発動していない。遠くても、自分の魔力が籠ったそれの存在を感じる。万が一守護魔法が発動し壊れれば、瞬時にそれを感知できるようにもしてある。まだそれは来ていない。だから大丈夫だ、とミスラは自分に言い聞かせた。

 どれくらい時間が経っただろうか。時間の感覚が分からない。落ち着かない気持ちのなか、ミスラはひとり夜を過ごす。ふと窓から外を見てみると、辺りのざわざわとした空気は去っていた。外は落ち着きを取り戻し、静寂が支配している。空を見てみれば、大きな月は空高くに登って、小さくなっていた。〈大いなる厄災〉の襲来が終わったのだと理解したそのとき、ドサリと大きな物音が部屋に響いた。


「うっ、ゲホッ・・・・・・!」
「ドロシーッ!」


 ミスラは弾かれるようにソファから立ち上がって、倒れ伏すドロシーに駆け寄った。

 咳き込むドロシーの身体はボロボロで、服に血が滲んでいた。顔や腕や足など、身体のあちこちに傷を作って、赤い線から雫が垂れている。こんなにも傷らだけになったドロシーの姿を初めて見るのは、初めてだった。


「《アルシム》!」


 急いで腕の中に支えたドロシーに治癒魔法をかけた。けれど上手くいかない。何度も呪文を唱えて魔力を注いでも、思うように傷は治らなかった。


「ミ、スラ・・・・・・」
「喋らないで」


 ミスラは焦っていた。心が乱れ、上手く魔法が扱えていないことに気づけないほど、ミスラは目の前の状況しか見えていなかった。

 早く傷を治さないと。ドロシーは弱いから、すぐに死んでしまう。魔力も弱いから、俺が補わないと。こういうとき、まずどうすれば良いんだっけ。身体が冷えてる。体温が低い。温めないと凍死してしまうかも。


「ミスラ」


 でもその前に、傷を塞がないと。傷がいっぱいだ。どれくらい出血したら、死ぬんだっけ。どれくらい血を流してるだろう。早く止血しないと。打撲や骨折はどうだろう。見た目だけじゃわからない。早く治さないと。早く、はやく・・・・・・。


「ミスラ」
「ッ!!」


 ぐい、と両頬を手で包まれて強引に顔を向かされた。真っ赤な瞳と目が合って、それに釘付けになった。


「大丈夫。致命傷は負ってない。石になるような傷は負ってないわ、ミスラ」
「・・・・・・」


 頬を指で撫でれば、ドロシーは微笑んでそう言った。その言葉に導かれるようにもう一度ドロシーの身体を見下ろせば、確かに重傷は負っていない。擦り傷多いだけで、死に至るような傷は一切なかった。は、と安堵の息を吐き、忘れていた呼吸を思い出す。全身から力が抜けて、どっとした疲れが襲ってきた。


「・・・・・・早く回復してください。俺じゃあ治せません」
「だから言ったでしょう。治癒魔法、ちゃんと練習しなきゃって」


 死なない程度に自分の傷を治せればいいと思っていて、ドロシーが怪我をすることなんて一度も考えたことがなかった。ドロシーの言う通り、しっかりと習っておけばよかったとミスラは僅かに後悔する。

 擦り寄るように額をコツンとくっつければ、ドロシーもほっと息をついて瞼を下ろした。


「・・・・・・疲れたわ。少し、眠らせて・・・・・・」


 かなり魔力を消耗している。それもそうだろう。弱い魔女のくせに、世界のために〈大いなる厄災〉と戦って、こうして生きて帰ってきたのだから。消耗しないはずがない。

 ドロシーは身体の力を抜いてミスラに委ねると、そのまま泥のように眠って、寝息を立て始めた。

 自分の腕の中で眠るドロシーを見下ろし、ミスラはそっとドロシーの身体に手を這わせた。胸の中心に浮かんだ、百合の紋章。それを指なぞる。これさえ無ければ、こんな傷を負うこともなかったのに。上下に揺れる胸に、ゆっくりと手を添えれば、胸の下でドクドクと脈打つ鼓動を肌で感じる。生きて帰ってきたのだという事実を噛み締め、ミスラはグッとドロシーを抱き寄せた。