あの頃となんら変わらぬ
「へえ、魔法舎ってこんなところなんですね」
魔法舎のエレベーターから降り立ったミスラは、辺りを見渡してそんなことを呟いた。後から付いてきたドロシーがエレベーターから降りると、背後で扉がパタリと閉まる。
ドロシーが『賢者の魔法使い』に選ばれてから数年後、ミスラも『賢者の魔法使い』に選出された。ミスラの身体に百合の紋章が浮かんだと聞いた時は、驚いたものだ。まさかスノウやホワイトに続きミスラまで『賢者の魔法使い』になるなんて、世界は広いと言うが、案外狭いものだと思った。
選出されたミスラは顔合わせのために魔法舎へ出向かわなければならなく、面倒くさがるミスラを連れて、二人は魔法舎へと来ていた。周りを見渡してみるが、他の人たちの姿は見えない。どうやら早く着き過ぎてしまったみたいだ。
「ドロシー、もう帰っていいですか」
「ダメよ。顔合わせもしてないじゃない」
来たばかりだと言うのに、すでに帰ろうとするミスラを咎める。魔法舎には新たな賢者と、それに付き添っているスノウとホワイトがいるはずだ。顔合わせも済ませずに帰ってしまえば、双子に怒られてしまう。それだけは避けたい、とドロシーは胸の内で呟く。
「面倒だなあ・・・・・・あ、あれなんですか」
ぼやきながら視線を辺りに逸らす。そして何か気になるものを見つけたのか、ミスラはそれに向かってすたすたと歩いて行ってしまう。そのまま魔法舎の中へと入っていった自由気ままなミスラに、ドロシーはひとり中庭に残ってため息を一つ落とした。
魔法舎の中庭には噴水があって、花や木々が栽培されている花壇もある。生暖かい風が肌を撫でて、耳をくすぐる噴水の水飛沫が心地好い。穏やかな気候とのんびりとした空気は、南の国と似ている。北の国とは大違いの環境に、ドロシーは身と心を委ねていた。
「――ドロシー」
その声に、まるで世界に亀裂が入ったかのような感覚が走って、辺りの音の一切をかき消した。
心臓がドキリと鼓動を打った。息が止まって、指先から体温が奪われていくのを感じる。
――ああ、そんなはずはない。此処に居るわけがない。
有り得ない、ありえない、と何度も自分に言い聞かせた。けれど、間違えるはずも無かったのだ。どう考えても、この声は、あの人のものであった。
「――オ、ズ」
そこに立っていたのは、紛れもない――オズだった。
名前を紡ぐために放たれた声は震えて、上手く言葉を発せなかった。千年以上姿を見ることの無かったオズは、何一つ変わっておらず、あの頃の姿のまま、そこに立っていた。いざ彼を目の前にして、どうすれば良いのか分からなくなる。何を言えば良いのか、分からない。何かに絡めとられたかのように足が縫い付けられ、石のように身体が固まる。
「なぜ・・・・・・おまえが・・・・・・」
わずかに、オズの声も震えていた。
なんて表情をするのだろう。まるで泣き出しそうな、悲しむような顔。真っ赤な瞳は、絶望に歪んでいて、悲観に満ち満ちている。
オズはわずかに視線を下ろした。そしてドロシーの胸の中心に百合の紋章が刻まれているのを見て、その瞳を大きく見開く。何もかもが終わったのだと、言っているようだった。オズは何かを言おうとして、口を開いた。そのまま突き動かされるように一歩足を踏み出す。けれどオズが何かを紡ぐ前に、オズがドロシーに触れる前に、それは遮断された。
突然視界が真っ白になった。瞬きをして、顔をあげてみれば、いつの間にか目の前にミスラが立っていた。守るように片腕を伸ばされて、ミスラの大きな背中に隠される。
ミスラは緑色の瞳を細めて、オズを睨みつけていた。眉を吊り上げて、無言で制する。それを受けたオズは、一歩踏み出した足を引いた。身じろいで、ミスラに守られているドロシーを見て、開いていた口を閉じる。そして項垂れるように瞼を伏せ立ち尽くしたオズの姿は、ミスラに苛立ちを募らせた。
「行きますよ、ドロシー」
「あ・・・・・・」
舌打ちをして、ミスラは強引にドロシーの手首を掴んだ。そのまま力づくで引っ張って、オズの前から一刻も早く立ち去ろうとする。
腕を引かれたドロシーは、力に従って転びそうになりながらミスラに連れて行かれる。後ろ髪を引かれる思いで、ドロシーは足を動かしながら背後を振り返った。小さく、ひとり立ち尽くすオズの姿が、目に焼き付いて、離れなかった。