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なんでもないひと呼吸で平穏は死する



 数日後に、チレッタはミチルを産んだ。難産だったらしい。けれど無事にチレッタが守ってきたミチルは元気に生まれてきた。そしてチレッタは、生まれてきた我が子を一目見て、幸せそうに微笑みながら石になったという。葬式は静かになされた。大魔女として生きた彼女を慕った者は多く、入れ代わり立ち代わり、知らせを聞いた魔法使いや魔女が墓参りに訪れたという。

 ドロシーやミスラも一度だけ墓参りに来た。ミスラはあんなに強かったチレッタが呆気なく死んでしまったのが信じられず、未だに死んだことに実感が湧かなかった。墓を目の前にしても、なんだか不思議な気持ちで、此処に彼女の亡骸が埋まっているとは到底思えなかった。それもそうだろう。自分の師であり、幼いころから長く付き合ってきた人だ。簡単に受け入れられはしない。呆然と墓前を見つめるミスラの手を握れば、力なくそれを握り返された。

 そうして徐々にチレッタの死が現実として透過してきたころ、唐突にそれは現れた。

 パリンッ、と手に持っていたカップが滑り落ち、散らばる。身体は傾いて、椅子から崩れ落ちて、ガタンッ、と床に手を付く。


「ッ、ドロシー!」


 突然なんの予兆も無く倒れ伏したドロシーに、ミスラは慌てて駆け寄り、蹲るその身体を支え起こした。


「ちょっと! 急にどうしたんです、苦しいんですか?」


 顔を歪めて、額に汗をにじませている。ギュっと胸を握って、背中を丸める姿はただ事ではなかった。何度も声をかけても、ドロシーは答えてくれない。両眼をギュっと瞑って、痛みに耐えるように胸を押さえるだけ。


「なんとか言ってくださいッ!」


 訳も分からない事態に、ミスラは焦りに焦っていた。何をすればいいか分からない。どうしたらいいのか分からない。答えてくれないと分からない。ミスラは腕に抱えるドロシーを揺さぶって、声をかけることしかできなかった。

 すると、ドロシーは全身の力を抜いてぐったりと身体を預けてきた。重くなった身体を支えなおしてもう一度見下ろせば、どうやら落ち着いたようで、はあはあと息を吐いて呼吸を整えていた。ひとまず安心をして、ミスラはほっと息をつく。そのとき、ギュっと胸を掴んでいたドロシーの手の力が抜けて、胸元が見えた。それを見て、ミスラはハッと息を止める。


「・・・・・・なんですか、これ」


 ぐったりとしたまま、ドロシーはミスラを見上げた。目を見張って、胸元を凝視するミスラ。その視線を追って、自分を見下ろしてみる。


「これ・・・・・・」


 焼けるような痛みを感じていた胸の中心には、百合の花が浮かんでいた。黒い百合の花の紋章は、見たことがあった。そして、それが何を示すかも、ドロシーはすぐに理解した。


「呪い? こんなの、見たことが・・・・・・」


 それを知らないミスラは、刻まれた紋章を指でなぞり、自分の記憶を漁る。呪いの類は自分の得意分野だが、刻まれた紋章のようなものは見たことがない。知らないそれに、ミスラは急いでドロシーを抱き上げ、空間を繋ぐ扉を出現させた。


「ミ、ミスラ」
「黙ってください。すぐに解呪しないと」
「いえ、これは呪いではなくて・・・・・・ミスラ!」


 扉が開いた瞬間、ミスラはそこに飛び込んで、背後でパタンと扉が閉まった。



* * *



「それで、担ぎ込まれて来たと」
「・・・・・・」


 面白げに笑うフィガロを目の前に、ドロシーは目を逸らしてそっぽを向いた。

 ミスラが空間を繋げたのは南の国の診療所、つまりフィガロのところだった。フィガロなら自分よりも長く生きていて強く知識もある。今は南の国で医者をしているのをパッと思い出して、文字通りドロシーを担ぎこんできたのだ。突然空間がつながり現れたミスラに驚いていれば「なんとかしてください」とドロシーを差し出され、フィガロも苦笑いを浮かべていた。

 そしてドロシーの身体に浮かんだ紋章に驚きながら、フィガロは呪いではないと告げた。首を傾げるミスラに「きみ、教えなかったの?」とフィガロが尋ね、ドロシーはそれに「言おうとしても、話を聞かなかったのよ」とため息を落とす。自分だけを置いてけぼりにして話す二人が気に食わなく、不機嫌に「で、何なんですか」と促せば、フィガロは紋章について説明しだした。

 百合の紋章は『賢者の魔法使い』の証だ。この世界には〈大いなる厄災〉である月が、年に一度世界に近づてくる。それを追い返し空へと戻す役目を担うのが、『賢者』と『賢者の魔法使い』だ。『賢者』は異界から召喚されたこの世界ではない人で、『賢者の魔法使い』は賢者の呼び声によって世界中の魔法使いから無作為に選び取られる。


「そんなのドロシーには無理ですよ。消せないんですか、それ」
「無理だね。魔力が衰えて消えるか、死ぬまで役割に縛られる」
「はあ? なんですか、それ」


 ミスラは苛立った様子で首を横に振るフィガロを睨みつけた。

 『賢者の魔法使い』に選ばれれば、役目を放棄することはできない。解放される条件はフィガロの言う通り、魔力が衰えて自然と紋章が消えるか、死ぬ以外に存在しない。役目から逃げれば、世界中の人間と魔法使いを敵に回すことになる。役目に選ばれれば、それから逃げることができないのが、この世界の古くからのルールだった。


「とにかく、紋章が現れたってことは、近々欠員した賢者の魔法使いが集まるってことだ」


 『賢者の魔法使い』は、各国から数名ずつ選ばれる。欠員が出るたびに、毎年補充されるのだ。今回ドロシーに紋章が現れたということは、北の国の枠に欠員が出たことを意味する。そして選ばれた者は、各国の塔から賢者がいる魔法舎へ向かうのが常だ。


「塔の場所は分かるよね?」


 確認するフィガロに頷けば、話は終わりだと言って、不満を垂れるミスラを強引に診察室から追い出した。不機嫌になりながら診療所を出て行くミスラに続いて、ドロシーも後を追う。


「あ、そうだ。ドロシー」


 部屋を出て行く手前で、わざとらしくフィガロは声をかけて足を止めさせる。ちらりと視線を向ければ、ニコリと笑って「知ってる?」とフィガロは続ける。


「オズのやつ、子供の魔法使いを拾って育ててるみたいだよ」


 一瞬、息をするのを忘れた。けれど目の前で笑顔を浮かべるフィガロを見て、深呼吸をするように、ゆっくりと息を吸い込んで吐き出し、冷静さを保つ。


「・・・・・・私には、関係無いわ」


 フィガロから視線を外し、出口に身体を向ける。そのまま歩き出して、診療所を後にする。


「・・・・・・ま、確かにそうだね」


 背後でぽつりと呟く小さな声が聞こえたが、それを無視して、ドロシーは扉を潜った。


 ――ああ、そういえば。最近の北の国は、まるで春のように暖かな気がする。

 外へ出て、空を見上げる。青空に真っ白な雲が浮かんで、のどかな生ぬるい風がふんわりと吹き付ける。穏やかで温かい南の国では、誰の感情にも天気は侵されない。誰にも支配されない空は自由で、けれど自分には、寂しかった。