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涙の海でぼくに溺れて



 白銀の世界に、意味も無く佇んでいた。城を出て雪に覆われた真っ白な世界に、ときどき包まれたくなる。

 今日は、雪が降っていない。曇り空ではあるが比較的天気は良く、雲から顔をのぞかせた太陽の光に反射して、白銀の世界がきらきらと輝く。ふと視線を逸らすと、雪に覆われずに姿を出した岩場を見つけた。その隅には緑色の草が生えていてゆらゆらと揺れているが、花は咲いていなかった。落胆するようにわずかに目を伏せたその時、自分以外の気配が背後に突如現れたのを感じとる。


「あなたがオズですか」


 首を動かして背後を見れば、赤い髪の長身の男が立っていた。首に手を添えて怠そうにしながら、緑色の瞳で見定めるように見つめてくる。またか、とうんざりとした。


「だとしたら、なんだ」


 身体ごとその男と向き合って、その瞳を見つめ返す。

 ひゅう、と冷たい風が吹いた。分厚い雲は再び太陽を覆いつくして、また天気が悪くなる。


「そうですか」


 単調で端的な返答を、目の前の男は呟いた。少し考えこむように視線をさまよわせて、また見つめる。おもむろに男が片手を差し出すと、そこに魔力が溜まり、頭蓋骨の水晶が現れた。


「じゃあ、殺します」


 視線が交差する。
 一層強く、冷たい風が吹き荒れた。


「《アルシム》」
「《ヴォクスノク》」


 次の瞬間には呪文が放たれ、凄まじい魔力が渦巻いた。爆発的な魔力がぶつかり合い、辺りは強風が包み込む。木々は揺れ、雪は散り、大地は地響きを起こした。何度も呪文が唱えられ、強力な魔力を帯びた魔法が放たれる。普通の魔法使いなら、その魔法が放たれた時点で石となっていただろう。しかし、絶大的な魔力を誇る彼らは、その程度で石になりはしない。ドゴンッ、と凄まじい音が響く。辺りの大地は抉れ、ひび割れを起こしていた。

 長い間、彼らの攻防戦は続いた。どちらも引けを取らなかったが、あと一歩手が届かないミスラが先に身体をよろめかせ、真正面からオズの攻撃を受け止めることになった。血飛沫が跳ね、咳き込んだ口から血を吐き出した。オズの魔法を受けたミスラは、強く地面に打ち付けられ、雪の上に力なく転がる。咄嗟に防御を張ったため、衝撃は多少なりとも防ぐことができた。 

 ボロボロの身体で、初めて敗北を突きつけられたミスラは、朦朧とする意識のなか、ぼんやりと空を見上げた。すると、杖を携えたオズが傍らへ来て、こちらを見下ろしてくる。無言のまま、オズはゆっくりと杖を持ち上げる。その温度のない冷たい眼差しを、ミスラはじっと眺めていた。

 ――ああ、あの人と同じ瞳の色だ。


「――ドロシー」


 目を見張って、動きを止めた。懐かしい響きだった。長いこと口にしていなかった響きだった。無意識に小さく動いた唇から放たれた言葉に、オズは頭を真っ白にさせる。


「《アルシム》」


 その僅かな隙をついて、ミスラが呪文を唱える。咄嗟に攻撃は防いだが、距離を取った隙に、ミスラは空間を繋げた扉を作って、そのまま姿を消してしまう。放たれた魔法を振り払って、待て、呼び止めようとしたときには、もうなにも無かった。

 ひとり残されたなか、オズは呆然と立ち尽くす。なぜ、あの男が彼女の名前を知っているのか。なぜ、あの男が彼女の名前を呟いたのか。自分ではわからない。知る由も、知る権利も、自分にはなかった。


「――ドロシー」


 数百年ぶりに発せられた音は、風にかき消されて、跡形も無く溶けた。



* * *



 ガタン、と崩れ落ちる物音が響いた。重いものが崩れる物音がした次には、バタン、と勢いよく閉められる扉の音がする。その音に振り向いた時には、空間が繋げられた扉は姿を消していて、床に倒れ込んだミスラだけが残っていた。


「ッ、ミスラ!」


 血の匂いが鼻をかすめる。ミスラの身体はボロボロで、身体のいたるところに擦り傷や打撲を作っていた。額からも血を流して、口の端にも赤い血痕が付いている。苦しそうに息を荒げ、床に身体を倒すミスラ。ミスラが此処まで傷だらけになって帰ってきたのは初めてだ。


「酷い傷・・・・・・誰が」
「ゴホッ・・・・・・オズ、ですよ・・・・・・」


 治癒魔法を施していた指が固まった。ドロシーは傷口に注いでいた視線を上げ、ミスラを見下ろす。


「俺よりも強いなんて、ムカつきます」


 きゅっと眉根を寄せて、不愉快さを隠さずに言い放つミスラ。


「絶対、次は殺してみせます」


 そう宣言する姿は、まるで拗ねた子供のよう。駄々をこねてそれに拘る子供と同じだった。

 昔に、強い魔法使いになると言ったから。貴方はきっと強い魔法使いになると、そう言ったから。強い魔法使いにならなくていいのに。傷だらけにならないで欲しいのに。オズを倒すなんてやめて欲しいのに。干渉され続けた彼をそっとしておいて欲しいのに。いろんな感情がぐちゃぐちゃになって、自分でも分からなくなって、気付いたら笑みをこぼしていた。


「・・・・・・なんです」


 小さく笑みを零したドロシーを、ミスラはムッと唇を尖らせて睨むように見上げた。すると、おもむろに細い腕が伸ばされた。手は頬に触れて、指で優しく撫でる。指先が流れた血で汚れて、白い肌にそれはよく映えた。嬉しいとも悲しいともいえない表情を浮かべて笑むドロシーが印象的で、ミスラは苛立っていたことを忘れて、それを見つめていた。


「・・・・・・困った子。本当、放っておけなくて・・・・・・貴方をひとりにできないわ」


 額をくっつけて、泣き出してしまいそうな声音で、ドロシーは呟く。瞼を下ろすドロシーをすぐそばで見つめ返しながら、ミスラは静かに口を開いた。


「これからも一緒にいるでしょう?」


 ハッと瞼を開いて、見上げるミスラを視界に入れた。注がれた眼差しは、素直で、正直で、そこには嘘偽りは無くて、どこまでも真っ直ぐで。思わず涙を零してしまいそうになるのを我慢して、顔を隠すように、両腕でミスラを抱きしめた。