どうしても消えない光
北の国の最果てに、一つの城があった。
パチパチと火花を散らして、暖炉の炎が燃えていた。大きな暖炉で燃え上がる炎は部屋の冷たい空気を温めていたが、静寂に包まれたこの部屋では、その暖かさも分からない。静けさに染まるなか、響くのは火花と窓が震える音だけ。外は強い風が吹きつけていて、雪が舞っている。それを叩きつけられて、窓はガタガタと震えていた。吹雪のせいで、窓の外はよく見えない。分かるのは、窓の隙間から流れる冷気だけだった。
椅子に座って、背もたれに身体を委ねて、ぼんやりと外を眺めていた。
凍える寒さと、視界を覆う雪。頼れるのは、繋がれた手だけだった。
ふと、ポケットに手を忍ばせた。指に固いものが触れ、それをそっと救い上げる。手を開けば、赤い飾りがついた首飾りが、そこにあった。赤い水晶の中には、真っ白な花が閉じ込められている。枯れず、消えず、時を止めたまま、美しい姿で花は水晶の中で咲き続けていた。
「うわ。懐かしいね、それ」
視線を上げれば、無断で部屋に入ってきたフィガロが手の中を見下ろしていた。フィガロは驚いたように目を丸くして首飾りを眺め、最後は懐かしむように目元をやわらげた。
「まだ持ってたんだ」
「・・・・・・」
捨てたのかと思った、と続けるフィガロに答えることは無く、無言のまま首飾りを見下ろす。こんなことをしても、意味は無い。瞼を下ろして、目を逸らすように、再びポケットの中にそれを押し込む。ガタガタ、と一層強く風が叩きつけられ、激しく窓が音を立てた。
フィガロはそれを眺めたあと、気分を切り返すようにパチンと手を叩いて、テーブルいっぱいに地図を広げた。
「それじゃ、作戦会議でも始めようか、オズ」
ニコリと笑って投げかけるフィガロに、オズは頷く代わりに瞼を下ろした。
* * *
今年一番に冷え込んだ、凍える寒い日。
それは、唐突に訪れた。
「――え・・・・・・うそ・・・・・・」
チレッタから告げられた言葉に、ドロシーとした。目を大きく見開いて、零れ落ちるように言葉を呟く。目の前のチレッタも、信じられない、と言いたげな様子で、難しい表情を浮かべている。
「ホワイト様が・・・・・・」
ホワイトが死んだ、と告げられた。
北の国の双子の魔法使い。博識で、魔力も強く、古くから生きる彼らを崇め、敬愛し、恐れる者は多い。オズ以外に、彼らを傷つけられる者はいないだろう。そんな双子の片割れが、死んだ。「あたしも信じられないわ」チレッタの話によれば、双子同士で三日三晩殺し合ったという。原因は分からない。兄弟喧嘩の発展の末かもしれない。それでも、いつも一緒に居てお互いを信頼し合っていたあの双子が殺し合いをするなんて、にわかには信じられなかった。
「そのせいなのか、オズの動きもピタリと止まったわ」
チレッタはそう続けた。ホワイトが死んだのは、数日前。その時から、今まで頻繁に動いていたオズの動向が突然止まったという。おそらく、ホワイトが死んだのを感じ取ったのだろう。同じ北の国に居るのなら、オズのような魔法使いなら、きっと遠くにいる相手の存在も分かるのだろう。加えて双子は有名で、魔力も強い。感知は簡単だ。
――ああ、そう。まだ、貴方のなかにも、あの日々は残っていたのね。双子に拾われて、暖かい食事とベッドを与えられた。魔法の扱いを教え、生き方を教えてくれた。師弟の関係で行われた『家族ごっこ』のお遊戯。それでも、楽しかった。それが、今も貴方のなかにある。だから、ここ数日、ずっと天気が悪い。ずっと寒い日が続いている。
「・・・・・・ドロシー?」
少し様子のおかしいドロシーに気づき、チレッタは慎重に名前を呼んだ。
「――私が死んでも、オズは止まってくれたかしら」
――馬鹿なことを言っていると、自覚していた。でも少しだけ、期待していた。
卑屈に自嘲を浮かべるドロシー。最初、何を言っているのか理解できなかった。しかし言葉を理解すると、頭に血が上った。「あんた! なに言って・・・・・・」大声を上げて、馬鹿なことを言うな、と掴みかかる勢いで、チレッタは怒鳴りつけた。しかし、その言葉も途中で遮られた。
「――なんです、それ」
酷く冷え切った温度のない声が、空気を切り裂いた。
チレッタもドロシーもその声に押し黙って、じっと見つめることしかできない。赤い髪から覗く緑色の眼光は鋭く、こちらを捉える。まるで鋭利な刃物を喉元に付きつけられているような気分だった。コツン、とミスラが一歩を踏み出す。思わず、足を引いた。
「なんですか、それ」
「ミスラ」
「ふざけないでください」
大きな手が伸びて、グッと胸倉を掴まれた。息が苦しい。強い力で上へ持ち上げられ、必然的につま先立ちになる。ミスラは強引に引き寄せたドロシーに顔を寄せ、上から覗き込んだ。ちりちりと、瞳の奥が燃えていた。
「そんなに、その人がいいんですか」
ぽつりと呟かれた言葉に、目を丸くした。目の前に広がるミスラの表情は歪んでいて、きゅっと眉根を寄せている。怒っているようにも、泣きそうな様にも見えた表情を、ドロシーはただただ見つめていた。
「そんなことで死ぬくらいなら、俺があなたを殺してやります」
強く、強く、言い放たれた。一際強く掴まれた手に力がこもって、息が苦しくなるとともに、ドロシーは言葉を失くした。そんなドロシーに嫌気がさしたのか、ミスラはグッと唇を噛んで、乱暴に胸倉から手を離す。そのまま踵を返して、家を出て行くミスラを見送ることしかできない。
バタン、と壊れてしまいそうなほど強く扉が閉められる。ふらついた足元を庇うようにテーブルに手をついて、息を整えるドロシー。静まり返った部屋に、チレッタの声はよく響いた。
「ドロシー」
「わかってる。わかってるわ・・・・・・」
背後のチレッタに振り返らず、同じ言葉を繰り返す。分かっている。チレッタが何を言いたいのかも、全部、全部分かっている。
背中を丸めたその身体は、いつもに増して弱々しく、小さかった。
家を飛び出したミスラは小舟の上にいた。ロープで繋いだ小舟に乗り込み、じっと湖の向こうを眺める。すると、背後からザクザクと雪の上を歩く足音がした。足音は徐々にこちらに向かってきて、すぐ後ろでピタリと止まる。
「俺は悪くありません」
「わかってるわよ」
チレッタだ。ミスラは振り返らずに言い放った。苛立ちが収まらず、口調が刺々しくなる。チレッタはそれ以上なにも言うことは無く、ただ黙っている。湖を眺めているのか、自分を見つめているのか、背後を振り返らないミスラには分からない。流れる沈黙が、さらに募らせる。
「・・・・・・オズは、ドロシーの何なんです」
ムカつく。腹が立つ。不愉快。そんな感情が腹の中に渦巻く。オズの存在一つで心を見だすドロシー。ぼんやりと空を眺めることが増えたドロシー。チレッタの話に耳を傾けるドロシー。そのすべてに腹が立つ。
チレッタは背中を向けるミスラに視線を向けた。子供みたいに拗ねる姿を見つめ、一瞬ためらったのちに、チレッタは口を開く。
「ずっと一緒に居たんですって」
静かに告げられた声に、ミスラは背後を振り返った。チレッタを見上げるが、彼女は湖の遠くを見つめていて、物思いにふけているようだった。
「でも、ある日突然・・・・・・居なくなってしまったみたい」
ふいに、ドロシーと出会った時のことを思い出した。
「行く当てがないの、私」
そう言って、寂し気に笑顔を浮かべていたドロシー。ひとりでは寂しくはないか、と彼女は尋ねたが、今になってチレッタの言葉を考えると、それは自分に言っているようにも思えた。
――ああ・・・・・・そうか。
今まで分からなかったことが、明確に理解できたような気がした。今まで不審に思っていたことが、明確に見えてきたような気がした。ひとり寒い雪のなかに佇む彼女は、いつも吹雪のなかにいて、視界がそれに覆われてはっきりと見えなかったが、ようやく視界が晴れて、彼女の輪郭を捉えることができた気がした。
「何百年かけても癒えない傷はあるわ、ミスラ」
――俺の知らないドロシーの過去があるだけで、おかしくなりそうだった。
* * *
日が沈んだ頃、チレッタはまた来ると言い残して帰って行った。それを見送り、ドロシーとミスラは家の中へと入る。お互い会話をするような気分でもなく、晩食も無言のまま食べた。ときおりドロシーが気にしてこちらを伺ってきたが、それに応えられる内心ではなく、ミスラは気づかぬふりをして無言で食事を食べ、そのまま自室へと引きこもった。
何をする気力もなく、ごろんとベッドの上に寝転がる。何かを考えようとすれば、チレッタの言葉とドロシーが浮かんできて、それを振り払おうと何も考えないようにぼんやりと天井を見つめた。しかし、頭の隅でそれらが想起され、ミスラはため息を落とした。
「ミスラ」
扉のノックと共に、ドロシーの声が聞こえた。けれど、今は顔を見たくない。ミスラは扉に背を向けて、ベッドに寝転がる。もう一度、ミスラ、と呼ぶ声がして、入ってもいいかしら、と扉越しに尋ねられる。それに応えることはせず無視をすれば、ドロシーは扉越しにぽつぽつと話し始めた。
「ミスラ、さっきはごめんなさい。もう二度と言わないわ」
扉で隔てた向こうから語りかけてくるドロシーの声を背中越しに聞きながら、ミスラは眉をひそめた。この人は、本当にわかって謝っているのだろうか。いや、きっと分かってない。分かっていない。自嘲してあんな言葉を口にしたドロシーを思い出しながら、ミスラは抱え込んだ枕に顔を押し付ける。
すると扉の向こうで、ごめんなさい、とひどく小さな声でもう一度言葉を呟かれた。小さな声は悲しげで、沈んだ声色にハッとさせられる。ああ、違う、そうじゃない。これではあの人と同じだ。そんなことがしたかったわけじゃない。踵を返した足跡を聞き、ミスラは慌てて魔法で扉を開けた。
開いた扉に気づいて足を止めたドロシーは、おそるおそるドアノブを掴んでミスラの部屋を覗く。ミスラはベッドの上で枕を抱えながらこちらに背を向けている。ベッドの傍まで来て、何度目かの名前を呼ぶが、やはり反応は示してくれない。ごめんなさい、ともう一度言葉を重ねて、後ろ髪を引かれる思いで足先を扉へと向けた。
「ドロシー」
ベッドに目を向ければ、こちらに振り向いた緑色の瞳と目が合う。そっと差し出された手を握れば、優しい力で引き寄せられた。繋がった手に擦り寄るように、ミスラは唇で手の甲をなぞり、指を絡めて握り込み、手のひらに顔を押し付ける。
ほっと安心したように息を吐いたドロシーを、柔くて細い手のぬくもりを感じながら、ミスラは盗み見るように見上げた。真っ赤な瞳を細めて、微笑みを向けるドロシー。その瞳には、今は自分しか映っていない。
――早く忘れてしまえばいいのに。
請うように、願うように、ミスラは瞼を下ろした。