ただ、傍にいてくれるだけで幸せだった(アス黄)
「おっと、」
「わっ!!」
大学2年生、次の講義の為にいつも通り構内を歩いていると廊下の曲がり角で誰かとぶつかった。
相手は急いでいたのか走っていたようでぶつかった拍子に後ろに倒れてしまった。
私も倒れはしなかったものの荷物をばらまいてしまった。
「あわわ…ごめんなさい〜」
「いや、こちらこそすまなかった。大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫!!それより荷物が…」
彼女も次の講義で使うのか本やノートを持っていた。
講義までの時間も残り僅か。
私達は慌てて荷物を拾った。
「…遺伝子とサッカー?」
「あ、それは…」
彼女が手にしたのは私がこっそりしている研究の為に使っている本だった。
「面白い研究をしてるやんね」
「――――、」
彼女はにこやかに笑うとハイ、と手渡してきた。
――花のように、笑う人だと思った。
「あ、あぁ…ありがとう。」
あの頃はまだセカンドステージチルドレンについてよく知られていなかった。
その為私の友人達は私の研究内容を知ると小馬鹿にしたように笑うばかりだった。
しかしこの目の前にいる彼女は同じ笑うでも全然意味の違う、心地良いものだった。
今思えば、この時にはもう彼女に恋をしていたのかもしれない。
「それじゃあ本当にごめんなさい。じゃっ!!」
「あ、あぁ…」
彼女は荷物を拾い終わると軽やかに駆けて行った。
(…見た事ない顔だったがどこの学部なのだろう…)
とは言ってもここは何千人といる大学。
学部が同じだったとしても全員の顔を覚えているかといえば答えは否。
きっと再び会うのは難しいのだろう。
そう思った矢先だった。
「あ、いたいた。アスレイさんチィーッス!!」
「ち、ちぃーっす?」
しかしなんとその翌日彼女はいきなり構内を歩いている私の目の前に現れたのだった。
「どうして…というか私の名前…」
「いやー、アスレイさんが有名人で良かったやんね。友達に聞いたら一発だったやんね。アスレイさんって凄く頭いいんやね!!」
「は、はぁ…それで何か用があったんじゃ…」
「あ、そうだった。」
なにやらはしゃいで話す彼女に私はたじたじだった。
しかし何故彼女がわざわざ私に会いに来たのかが分からない。
なのでそう促すと彼女はすっかり忘れていたようでポン、と手を叩いた。
すると彼女は肩にかけていたバックをなにやらゴソゴソと漁るとノートを取り出した。
「これを渡しにきたやんね。昨日混ざって持って帰っちゃったやんね」
「これは…」
差し出されたものを見るとそれは私のノートだった。
名前も書いてあるので何故彼女が私の名を知っていたのか納得した。
「そうか…それはわざわざすまなかった。ありがとう。」
「どういたしまして!あ、うちは菜花黄名子!1年生やんね!」
「私はアスレイ・ルーン。2年だ。」
「よろしく!」
いかにもベタな展開かもしれないがこうして私達は出逢った。
私は基本図書館にこもっていたので彼女の方から話かけてくるのが常だった。
彼女の方が年下なのに物怖じせず積極的に話かけてくるのには少し驚いたが。
私達が話すのはとりとめもない事ばかり…というか彼女が話して私が相槌をするというのが基本だった。
そんなので楽しいのかと聞いた事もあったが黄名子はあの私の好きな笑顔でアスレイさんの隣は落ち着くからいるだけで楽しいと言われてしまった。
思わず口元を手で覆ったのは言うまでもない。
「ねぇーアスレイ」
「なんだ?」
月日が経ち、所謂『お付き合い』というのを始め、いつの間にか黄名子が私を『さん』付けで呼ばなくなり、私も名字ではなく『黄名子』と呼ぶようになった。
今日は二人共午前で講義が終わったので一緒に昼食を食べた後公園に来ていた。
「アスレイはサッカーについて研究してるやんね?」
「まぁ、それだけではないが…」
「だったら一緒にサッカーやるやんね!」
「え、」
「アスレイ、いつも図書館ばっかり居て健康に悪いやんね。だからたまには身体動かさなきゃダメやんねっ!」
「いや、私は…」
「ほらっ、行こ!」
黄名子はどこから出したのかサッカーボールを手にすると、そんな小さな身体のどこにそんな力があるのかと思うくらい思いの外強い力で引っ張られた私は大人しく黄名子の後についていく他術がなかった。
――十分後、
「…アスレイって運動音痴やったんやね…」
「…私は身体を動かすより頭を動かす方が得意なんだ…」
息一つ乱れてない黄名子とは対照的にぜぃぜぃと荒い息を繰り返して膝をつくアスレイの姿があった。
「もー、大丈夫?」
「だ、大丈夫…」
「…あんまり大丈夫そうじゃないやんね…」
黄名子が運動…特にサッカーが上手いのは知っていた。
とはいえここまで上手いのは少し意外だった。
しかしそれ以上にいくら運動をしないとはいえ、たった十分で息切れする自分が情けない思いで一杯だった。
「でも、楽しかったでしょう?」
「―――、」
黄名子はいつまでも顔をあげない私に焦れたのか私の目線に合わせるようにしゃがむとふんわりと微笑んだ。
正直、なかなかボールに触れる事も出来ないし、サッカーをやっても楽しいというより疲れたという気持ちの方が大きかった。
しかし、
「まぁ…そうだな…」
そう言うだけで君が笑うから、サッカーも悪くないかもしれないと思った。
「私、と、結婚、して欲しい」
私と、生涯を共にしてくれないか。
私が自分でも分かるくらいガチガチになりながら洒落た店を予約して指輪を見せたのは黄名子が卒業した次の年だった。
本当は黄名子が卒業と同時に結婚を申し込もうと思っていたのだがなかなかタイミングが合わず、結局1年も先伸ばしにしてしまった。
「アスレイ、どもりすぎやんね」
「…うるさい」
黄名子は顔を赤く染めつつも私の挙動不審さが可笑しかったのかクスクスと笑った。
いくらなんでも一世一代のプロポーズを笑われるとは思わなかった。
「…で、返事は」
「おバカさんやんねぇ、アスレイは。断る訳、ないなんね」
「!」
黄名子は指輪を受け取ると今日一番の笑顔で言った。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします――やんね!」
この日、私は世界で一番大切な人と生涯を誓う事になった。
「――子供が、出来たやんね」
「―――え?」
そう言われたのは結婚して1年目だった。
「…アスレイ?」
不安げな顔つきで黄名子に覗き込まれた事でようやく自分が呆けていた事に気付き、私は慌てて自分の頬をつねった。
「…アスレイ、何してるやんね」
「痛い…という事は黄名子!」
「わっ、何!?」
「…夢じゃないんだな」
思わず勢いよく黄名子の腕を掴んだので驚かれたがそう、改めて聞くと黄名子は笑った。
「うん…うちのなかにアスレイと、うちの子が、いるやんね」
そう微笑む黄名子はもう母親の顔だった。
「――っやったな黄名子!」
「わっ!!」
私はあまりの嬉しさに黄名子を思い切り抱きしめた。
女の子だろうか、男の子だろうか、いやどちらでも構わない。
どちらにせよ、私と黄名子の子なのだ。
きっと可愛くていい子に違いない。
「…アスレイ、声が駄々漏れやんね」
「だって嬉しいんだ。仕方ないだろう」
「…うん」
「黄名子はどんな子がいい?」
「うーん、うちも性別はどっちでもいいけど一緒にサッカーやりたいやんね。その為には運動神経はうち似だといいやんね。でも頭はアスレイの方がいいかも。…そこはうちに似ちゃったら大変やんね」
「………」
実際の所、それは事実だった。
確かに私は運動神経がいいとは言えない。
けれどそれと同時に黄名子は頭がいいとは言えなかった。
黄名子が卒業間際になって単位が危ないと言っていたのはまだ記憶に新しい。
「でもね、ホントはそんな事どうでもいいやんね」
「……?」
「どんな子でもうちらの子供には変わらないやんね」
黄名子はそこで一旦言葉を切って私の胸にうずめていた顔をあげると笑った。
「アスレイ、いっぱいこの子の事、愛してあげようね」
「…あぁ、勿論だとも」
この日、私にとって世界で一番大切な人が二人になった。
―――――――――――
ただ、傍にいてくれるだけで幸せだった
title by 『秋桜』
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