星に願いを(ヒロ玲)


ある日の放課後の事だった。
日直だった玲名は日誌を職員室に届けて下駄箱に向かおうとしていた。
するとその途中にある音楽室からピアノの音が聞こえてきた。

(上手いな…綺麗な音だ。…誰が弾いているのだろう)

ピアノとは無縁だった玲名でも素直に上手いと思えた。
それ程までに綺麗な音を奏でる演奏だったのだ。
演奏者に興味を持った玲名は廊下から窓越しに音楽室を覗いた。

しかし演奏者の顔を見た途端玲名の目は大きく見開いた。

「ヒロ…ト?」

決して大きな声ではなかったのだがそれでもヒロトはん?、と手を止めると廊下にいる玲名に気が付いた。

「あれ、玲名じゃないか」

出来れば見なかった事にしてこのまま帰ろうかとも思ったが顔をほころばせるヒロトと見ると仕方ないとばかりに音楽室の扉を開けヒロトの方へ近寄った。
「こんな所で何してる。サッカー部はどうした」
「今日は顧問もキャプテンの円堂くんも休みだし、昨日の雨でグランドがぬかるんでるから休み。だからこのまま帰ろうかと思ったんだけどたまたま音楽室の前を通ったから久々にちょっと…ね。玲名こそどうしたの?」
「日誌を届けに職員室に少し寄っただけだ。そしたらピアノの音が聞こえて……誰が弾いているのかと思えばお前だったとはな。…不覚にも上手いと思った自分が恨めしい」
玲名はチッ、と舌打ちをして眉をしかめながら悪態をついた。
「…そのいかにも忌々しいっていう表情止めてくれないかな。一応俺だって結構傷付くんだからね?」
「フン、貴様がそんなタマか。…お前、ピアノ弾けたんだな」
「酷いなぁ。…ちゃんと弾けるのはこの曲だけだよ。玲名はこの曲覚えてる?」
「…あぁ」

ヒロトが奏でた曲はヒロトや玲名だけでなく、お日さま園の皆にとって思い入れのあるものだった。

「姉さん、俺達がまだ小さい頃寝付けない俺達に子守唄を唄おうとしてたけど姉さん凄く音痴でさ。代わりにピアノよく弾いてくれたよね、しかもオリジナルの。」
「あぁ…」
ヒロトはクスクスと笑い、玲名もさっきよりは穏やかな表情になっていた。
「俺、あの曲凄く好きでさ、少しずつ姉さんに教わってたんだ。…『吉良ヒロト』はピアノとは無縁の人だったから父さんの前で弾く事はなかったけどね…」
ヒロトは今はもう側にいない父の事を思い出しているのか遠い目をしながらピアノを優しく撫でた。
しかし玲名はヒロトが『吉良ヒロト』の話をするのが気にくわなかったのかバシッとヒロトの頭を叩いた。
「った!!何するんだよ玲名」
「うるさい。」
ヒロトは何故叩かれたのかわからないまま若干涙目で叩かれた所を擦っていた。
しかし玲名はそんなヒロトを意に介さないまま近くにある椅子に座りヒロトに背を向け窓の外を見ながら手を机の上で立てて顎をついた。
「え、ちょ、玲名?どうしたの?帰らないの?」
急に椅子に座ったまま微動だにしない玲名を不思議に思ってヒロトは玲名に声をかけるが返答はなかった。
しかし暫くすると小さな声が玲名の口から零れた。
「…あの曲」
「え?」
「あの曲、もう一度弾いてくれないか」
「え…」
「確かにお前はいつもヘラヘラしてて、本心は誰にも見せないで、肝心な事は全て自分で抱えこんで、なんでも器用にこなす気にくわない奴だが―……」
「ち、ちょっと玲名?」
いきなり自分の事を罵倒し始めた玲名に戸惑いながら声をかけるがそれでも玲名の言葉は続いた。
「あの曲は―お前のピアノは…好ましく思っている。だからもう一度だけでいい。弾いてくれないか?」
玲名の急な頼みに少し驚いたヒロトだったが玲名が毛嫌いしているはずの自分を―自分のピアノを好きだと言ってくれた。
それだけで玲名の要望に応えるには十分だった。

「貴女の仰せのままに。」

ピアノが、ヒロトの手が音を奏で始めた。
特定の人に聞かせているせいだろうか。
さっきよりも美しい音を奏でた。
一つ一つの音が広がりを持ち、心に染み渡る。
ヒロトが奏でる演奏は心地よくて、優しくて、けれどどうしようもなく…切なかった。

最後のフレーズを弾き終えた。

「ふぅ…どうだった玲名…って、玲名?」
感想を聞こうとヒロトが顔を上げて玲名を見た。
しかしそこには机に突っ伏している玲名の姿があった。
近付くとすぅ、すぅ、と寝息の音が聞こえた。
「弾けって言った本人が寝ちゃうなんて酷いなぁ」
苦笑しながらもこのままだと玲名が風邪を引きそうだと思ったヒロトは自分が着ていたブレザーを玲名の背中にかけた。


―そういえば、

そういえば、最近玲名は悩んでいるようだった。
俺達は高校卒業後、園を出る事になっている。
今は高2の半ばだから後園で過ごせるのは1年半だ。
園を出たら俺達はどうなるのだろう。
天涯孤独の俺達にとって頼れる人は園にいる人以外いない。
当然、不安になる人も多い。
玲名もその一人だった。
最近またバイトを増やしたようだ。
姉さんもいつか体を壊すんじゃないかって心配していた。
寝ている時でさえ眉間にシワがよっている。

ヒロトは優しく玲名の頬を撫でた。


―あの曲は、

姉さんが作曲したあの曲は俺達が夢見が悪くてぐずると弾いてくれたものだった。
どんなに嫌な夢でもあの曲を聞けば安らかに眠る事が出来た。

だからどうか、

(どうか、今見ている君の夢が君にとって優しいものでありますように)

ヒロトは軽いリップ音を立てて玲名の額に口付けた。
ヒロトは微笑んで玲名の髪を優しく撫でると玲名の隣で目を閉じた。


大切な、強くて優しい、この女の子の幸せを願いながら。

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