1章
06
(研磨視点)
「夜野田ちゃんの連絡先聞いといたから」
「……そう」
長期合宿の最終日にはバーベキューをやるのが恒例らしい。お腹いっぱいになって隅で休んでいた俺に、クロが肉と一緒に持ってきたのはどうでもいい情報だった。別にクロが夜野田さんと連絡先の交換をしていようが俺には関係のないことなのに。
「後で研磨にも教えてやるよ」
「個人情報の流出よくない」
「もちろん許可とってから。次ハンカチ持ってくるんだろ?」
「……」
合宿中クロが夜野田さんに絡んでるのは知っていた。予選会場での話を夜野田さんからも聞いたんだろう。知ってるくせに。クロが何を期待してるかはなんとなくわかるけど、本当そういうのいらない。変な期待かけないでほしい。第一、夜野田さんにとっても迷惑でしょ。
「夜野田ちゃんクソ真面目で可愛いじゃん」
確かに練習中視界に入る夜野田さんは常に一生懸命でよく働いていたような気がする。「クソ真面目」という少し馬鹿にした表現はなかなかしっくりきた。真面目すぎて損しそうな性格だと思う。
「……」
なんとなく目を泳がせた先に夜野田さんがいた。近くには木兎さんと赤葦もいて、木兎さんは夜野田さんのお皿に次々と肉を乗せている。断ればいいのに。夜野田さんのお皿の上に積み上げられた肉は明らかに女子の食べる量ではない。
「黒尾ーー肉ちょーだい!」
その様子をぼんやり見ていたら木兎さんがこっちに走ってきた。テンションが上がっている木兎さんに絡まれるのは嫌だ。俺は木兎さんの意識がクロに向いているうちに素早くその場を離れた。
「研磨くん、お肉食べる?」
「……じゃあちょっとだけ」
近くを通ったら夜野田さんに声をかけられた。事の経緯を見ていたし、実際に山盛りの肉が乗せられたお皿を目にしたらさすがに無視なんてできなかった。微力ながら3枚程、肉を貰った。
「俺も貰おうか?」
「ありがとう」
俺に続いて赤葦も夜野田さんのお皿からごっそりと肉を奪っていく。自分の分もそこそこあるのに。赤葦はまあまあの大食漢らしい。
「赤葦くんそんなたくさん食べられる?」
「まあ……食べないと筋肉つかないし」
「確かに4月より体がっしりしてきたよね」
「そう?」
「うん」
とりあえず肉を食べきるまではこの場を動くわけにはいかない。黙々と口を動かしながらふたりの会話をぼんやりと聞いていた。
「ねえ、腕の筋肉触ってもいい?」
「え……別にいいけど」
「おおー」
夜野田さんが赤葦の腕の筋肉をツンツンと触り始めた。俺はいったい何を見せられているんだ。もしかしてこのふたり、付き合ってるんだろうかと遅ればせながら思った。だとしたら俺がこの場にいるのはすごく邪魔なのでは。
「おふたり付き合ってんの?」
「いえ」
俺が心の中に秘めた疑問はクロの口からあっさり出てきた。そしてその質問に対して赤葦は照れるわけでも焦るわけでもなく、平然と否定した。夜野田さんは肉を噛み切るのに苦戦している。クロと一緒にいたはずの木兎さんはもう別の人と楽しそうに話していた。
「じゃあ俺の筋肉も触っとく?」
「いえ! 結構です!!」
「そこまで力強く拒否しなくても……」
筋肉フェチで誰彼構わず触りたがるわけではないらしい。夜野田さんの力強い否定からは申し訳なさが伝わってきた。合宿中少し観察してみたけど、夜野田さんは真面目な人だと思う。いつもキビキビ動いていたし、自分の仕事が終わると必ず先輩の手伝いをしたり新しい仕事をもらったりしていた。先輩に対しては低姿勢。俺なんかよりずっと体育会系な気質だと思う。
「拒否というわけでは……!あ、私の筋肉触りますか? テニスやってたから右腕だけマッチョです!」
「いやいや、遠慮しときますよ」
何を思ったのか、夜野田さんは自分の右腕を差し出してきた。特に深い意味はなく善意で言ってくれてるんだろうけど、普通に考えて女子の腕を触るなんて抵抗がある。
「マッチョねえ……」
「ほんとだよ!ほら、触って!」
「……まあ、うん、本当だ」
「でしょー?」
抵抗が無い男がここにいた。赤葦はいつもと変わらないテンションで夜野田さんの腕を触った。ちなみに夜野田さんの腕は見た感じ「マッチョ」と称する程ではない。
「筋肉って放っとくと贅肉になるらしいよ」
「え!?」
赤葦が意地の悪い情報を口にしたところで自分の分の肉を食べ終わり、気付かれないようにこの場を後にした。付き合っていないにしてもこのふたりの関係性は、ただの部員とマネージャーだとは言えないような気がする。まあ、俺からしたら別に何でもいいんだけど。
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