3章
06
2月の期末テスト期間に京治くんと一緒に私の家で勉強することになった。お母さんに京治くんが来るってちゃんと言ってあったのに何故か家に帰ると誰もいなくて、スマホを見ると「ごゆっくり」とハート付きで連絡が入っていた。頼んでもない気遣いをされてなんだか恥ずかしい。もちろんそんなこと京治くんには言えなくて、精一杯平然を装って私の部屋に案内した。
「normって何だっけ」
「標準とか普通とか、そういう感じの名詞だよ」
「ありがとう」
「いいえ!」
京治くんが真面目に勉強してる横で私ばかりがいろんなことを意識してしまっている気がする。私の部屋に京治くんを招くのは初めてだ。私が普段生活をしてる場所に京治くんがいるのって、なんか変な感じ。京治くんの様子はいつもと変わらない。どうしよう、もし今後京治くんの部屋に呼ばれることがあったら、私こんなに平然としていられる自信ない。
毎日学校と部活で会えてるとはいえ、こうやって室内にふたりきりというシチュエーションはなかなかない。いつも帰り道で人目を気にしてできないことを……キスを、したいって思ってるのは私だけなのかな。手を止めてチラっと見たら視線に気づいた京治くんに「わからないとこあった?」と聞かれて「大丈夫」と繕った。「キスしたい」なんていきなり言ったら京治くんを困らせてしまうだろうか。勉強中に邪念を持って不謹慎な奴だって、思われてしまうだろうか。
「あの……!」
「ん?」
ううん、今まで私が近くで見てきた京治くんはそんなことを思うような人じゃない。京治くんだってたくさん伝えてきてくれた。京治くんばかりに委ねていたらダメだ。私だって自分の気持ちを伝えなきゃ。
「キスしたい……と、思ってるんだけど……どうでしょう……?」
「!」
思いきって口にしてみると京治くんはペンを持つ手を止めて目を丸くした。丸くなった目はやがて緩やかな弧を描いて私を受け入れてくれる。
「いいと思います」
「!」
そして大好きな顔が近づいてきて、私が望むものをくれた。京治くんに告白の返事をする時に言ってしまった、「キスしたいとかは特に思わない」という言葉は撤回しなきゃいけないなぁ。
「ごめんね、勉強しに来たのに……」
「ううん。俺はもっとすごいこと期待して来たから」
「え……」
もっとすごいことって何……聞く前に京治くんがまたグッと近づいてきた。
「……知りたい?」
「!」
初めて見る、熱が籠ったような京治くんの表情に気圧されて頷いた瞬間にまたキスをされた。さっきみたいな嬉しさがこみ上げてくるようなキスじゃなくて、体の奥深くをザワザワと刺激するようなキス。ペンを握っていた京治くんの手は今私の頬に添えられている。テーブルの端に転がったそれを横目に、私も握りしめていたペンをその場に放った。
「は、む……」
「ん……」
京治くんの舌が私の中で動いている。いつもの京治くんからは考えられない程強引でいやらしくてドキドキする。初めての感覚に戸惑いはしたけど嫌じゃない。京治くんから「好きだ」と情熱的に伝えられてるみたいだから。こういう時どうすればいいんだろう。私だって京治くんに「好き」って伝えたい。そう思って京治くんがしてくれたように、京治くんの唇を挟んでみたりした。正解かはわからないけど柔らかくて気持ちいい。
「はあ……ッ」
唇を離した京治くんは間髪入れずに私の耳元に唇を寄せた。耳たぶを甘噛みされて、京治くんの吐息を一番近いところで感じてゾクゾクした感覚が背中を走る。明らかに今までと違う雰囲気は、私に「もっとすごいこと」の意味をわからせるのに十分だった。
「け、京治くん……!」
「……ごめん」
そこまでの覚悟というか、心と体の準備ができていないのを懸念して腕に力を入れたら京治くんは謝って離れてしまった。拒んだわけじゃないのに。どうしよう、傷つけてしまったかもしれない。
「い、嫌というわけではなくて……」
「うん、わかってる。次は……俺もちゃんと準備してくるから」
「! は、はい」
誤解されてなかったとわかって安心したのと同時に、「準備」という現実的な言葉を重く受け止めた。次にこういう機会があった時は、覚悟を決める時だ。
***(赤葦視点)
『キスしたい……と、思ってるんだけど……どうでしょう……?』
先日、梢の部屋で勉強していた時に言われたことを思い出す度にたまらない気持ちになる。すごく可愛かった。以前「キスしたいって思わせる」なんて偉そうなことを言ってしまったけど、俺が画策しなくても梢はそう思ってくれたみたいだ。
梢の家に呼ばれた時点で多少期待はしていた。とは言えお母さんもいるって言ってたからそういう準備は全くせずに行ってしまった。今思えば大きなチャンスを逃してしまったのかもしれない。俺達高校生にとって室内にふたりきりというシチュエーションはなかなか訪れるものではない。次のチャンスがいつ来るかもわからないから、準備だけはちゃんとしておくべきだ。
「あれ、赤葦?」
「!?」
知り合いに見られたくないから少し離れた薬局に来たのに、よりによって黒尾さんに見つかってしまった。店の制服を着ている。部活を引退して進路も決まったからバイトを始めたんだろう。
「あ〜〜……アレか。アレ買いに来たんだろ?」
「……違います」
黒尾さんは鋭い人だから、俺がわざわざ遠い薬局を選んだ理由をすぐに察したようだ。失態だ。他の人ならうまく誤魔化せたけどこの人だけは無理だ。ニヤニヤする黒尾さんに適当に挨拶して、結局目的の物は別の薬局で買った。
***
「夜野田とエッチした?」
「……それ梢には聞かないでくださいよ。まだです」
「さすがに聞かねーよ!」
部活を引退した後も先輩たちはたまにこうやって顔を出してくれる。練習に付き合ってくれるのはありがたいけど、毎回俺と梢の進展具合を聞いてくるのはちょっと迷惑だ。
「てか赤葦AVとか見んの?」
「はい。最近勉強のために見てます」
「勉強のため!?」
避妊具はこの前用意した。あと必要なものは知識だ。初めてのことだから上手くできないのはしょうがないにしても、梢に負担をかけるようなことはあってはならない。出来ることなら、気持ちいいと感じてほしい。
「えーー!好きなAV女優の話したかったのに!」
「すみません、名前とか覚えてないです」
AVをそういう目線では見ていない。女性は全部梢に置き換えて想像していたから名前どころか顔も特別覚えていない。
「夜野田は体力なさそうだよなー」
「俺は梢のペースに合わせます」
「いやいや、いざとなったら必死だし気持ちいいし、どうなっちゃうかわかんないよ?」
「……!」
いくら勉強して頭の中で予行演習をしたところで経験に勝るものはない。果たして俺はちゃんと出来るだろうか。上手くできなくて梢に嫌な思いをさせてしまったらどうしよう。木兎さんの言葉を聞いて急に緊張してきてしまった。
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