1章
11
「……」
春高、東京都予選の会場で偶然拾った物を手にして佐久早は眉を顰めていた。
(アホかよ……)
その手にあるのはピンクのパスケース。以前駅の改札で拾ったものと全く同じものだった。おそらく落とし主も同じ人物だろう。となるとこの短期間で同じ過ちをしたことになる。落とし主の危機感の無さに呆れると同時に、2回もそれを拾ってしまった自分の運にも嫌気がさした。
「あれ、それってもしかして……」
「……事務室に届けてくる」
「梟谷の子だろ?顔もわかってるし直接手渡せばいいじゃん!」
以前と同じピンクのパスケースを手に持つ佐久早を古森が見つけた。ふたりとも電車で夜野田の顔を見ていて梟谷の男子バレー部マネージャーだということもわかっている。直接手渡そうと思えば出来るはずだ。
「あ! おーい佐久早ーー!!」
「?」
佐久早が渋っていると梟谷の木兎が大きく手を振って近づいてきた。
「え、木兎さんと知り合い?」
「知らない」
「さっきの試合すごかったなー!俺達当たるとしたら決勝戦かー!」
「……」
木兎は佐久早に対してやけにフレンドリーに接しているがふたりに面識はない。これが木兎の通常運転なのである。コミュニケーションが得意ではない佐久早とは相容れないテンションだ。
「ちわー。梟谷に黒髪のマネージャーさんいます?」
「ん? 夜野田のこと知ってんの?」
「木兎さん見つけた……!」
「おー夜野田!友達いるぞー!」
「え?」
そこにちょうど現れたのはパスケースの持ち主、夜野田だった。木兎から友達と言われたふたりに夜野田は見覚えがなくて首を傾げた。
「これ落としませんでした?」
「え……あっ私のです!」
佐久早の代わりに古森がピンクのパスケースを夜野田に手渡すと、夜野田は両手でそれを受け取った。夜野田のもので間違いなかったようだ。
「でも、何で私のだってわかったんですか?」
「前にも駅で落としたでしょ?その時もこいつが拾ったんすよ」
「そうだったんですか!ありがとうございます」
「……別に」
「ずっとお礼を言いたくて……会えて嬉しいです」
「……」
拾ってくれたのが佐久早だとわかると夜野田は深々と頭を下げた。こうなるのが嫌だったから直接手渡したくなかったのに、と佐久早は溜息をついた。
「あれ、今何時?」
「13時です……あ、そろそろ行かなきゃ!」
「よーし戻るぞー!」
「あのっ、本当にありがとうございました!」
木兎に引っ張られながら最後までお礼の言葉を述べる夜野田を佐久早はぼんやりと見送った。おそらくもう言葉を交わすことはないだろう。試合前に変なしこりが残らなくてよかった。昨日から膝の調子が悪いと言っていた佐久早だったが、その日の試合はストレートで勝ち抜いた。
***(夢主視点)
クリスマスも年越しも家族と過ごして、年が明けるとすぐに春高の全国大会が始まった。去年、観客として訪れたこの場所に梟谷のマネージャーとして足を踏み入れていると思うとなんだか感慨深い。
「よーし……全部勝つぞーー!」
全部勝つ……木兎さんがよく言っている言葉。一応私もスポーツをやっていたから、それがどれだけ難しいことかわかる。木兎さん程の人がいても実際に全部勝てているわけじゃない。それでも木兎さんの言葉はいつだって私達を前向きにしてくれる。
「あれ、木兎さんお財布持ってどこ行くんですか?」
「Tシャツ買いに行く!夜野田も来る?」
「へー、行きたいです!」
1回戦を無事に突破しお昼ご飯を食べた後、木兎さんが財布を持って立ち上がったから声をかけた。そういえば木兎さんはよくバレーにちなんだTシャツを着ている。ここで買ったTシャツだったのか。少し興味があるから一緒に連れていってもらうことにした。
「ん〜〜今年はどれにしよっかなー」
「たくさんありますね」
建物の一角になかなか広いスペースが設けられていて、所狭しとTシャツが並んでいた。バレーボールの絵のTシャツや文字のみのTシャツ、カラーバリエーションも豊富だ。女性サイズもあるみたい。
「おおお夜野田アレ見て!アレ良くない!?」
「エースの心得……?」
木兎さんが目を輝かせて見ているのはエースの心得3カ条が背中に達筆で書かれたTシャツだった。ひとつひとつ読んでいくととてもかっこいいことが書かれていた。
「まさしく木兎さんって感じですね!」
「えっほんと?俺ってそんなエース??」
「はい」
「よーしあれ買ってくる!」
お世辞とかじゃなくて、本当に素直に木兎さんのことだと思った。意気揚々とTシャツを手にする木兎さんを見送って、私もいいTシャツがないかと隅々まで物色する。そして見つけてしまったのだ。とてつもなく可愛いTシャツを。
***(赤葦視点)
「赤葦くん早く早く!」
「……」
昼飯の後寝ていたら夜野田に叩き起こされた。何でも俺に見せたいものがあるらしい。正直めんどくさいとは思うけどこうも小学生みたいに無邪気にされたら邪険には扱えない。結局俺は夜野田に甘いな。
「赤葦くんにピッタリなTシャツ見つけたんだ!」
連れてこられたのは物販スペース。バレーにちなんだ雑貨とかTシャツとかが売られていて、木兎さんの変なTシャツはここで買ってるんだと前に教えてもらった。俺にピッタリなTシャツって何だろう。よくわからない言葉が書かれたTシャツは着たくない。
「これ!すごく可愛い!」
「……」
夜野田が見せてきたのは背中に「セッター犬」の文字と犬の絵が描かれたTシャツだった。うん……まあ、木兎さんのTシャツよりはマシだけど夜野田は何をもってこれが俺に似合うと思ったんだろうか。
「もしかして猫派だった?」
「ううん。じゃあコレ買おうかな」
「本当?絶対似合うよ」
「夜野田のやつ俺が選んでもいい?」
「え! 選んでくれるの?」
そこまで夜野田が勧めてくるなら買ってみよう。練習着にそこまでこだわりはないし。夜野田にもぴったりなTシャツを選んであげたい。隅々まで見ていくとマネージャー向けのTシャツをいくつか見つけた。
「……これは?」
「や、やだよ!いい、キーホルダー買う」
でかでかと「激辛マネージャー」と書かれたTシャツを提案してやったら断られた。
***(夢主視点)
今年の春高は残念ながらベスト4の成績で終わった。敗けてしまって悔しい気持ちはもちろんあるんだろうけど、終わった後みんなはもう前を向いていた。すごいなあ。私も気持ちを入れ替えてる頑張らなきゃ。
春高を終えて3年生は引退。1日の休息を挟んで、今日が新体制での初めての部活になる。
「てことで、主将は木兎。副主将は赤葦だ」
「よろしくお願いします」
「ヘイヘイヘーイ!お前らついてこいよー!?」
新しい主将の木兎さんと副主将の赤葦くんに拍手を送る。春高の予選が始まる少し前にこの事は聞いていた。年下である赤葦くんが副主将を任されることは、友人として私も誇らしく思った。
「赤葦くんおめでとう!」
「……何で夜野田が嬉しそうなんだよ」
「そりゃ嬉しいよ。お母さんにも自慢しちゃったもん」
「何それ恥ずかしい」
部活のこと、特に木兎さんと赤葦くんのことは親によく話している。この前お母さんも応援に来てくれて、素人ながらにみんなのプレーに感動していた。今ではすっかり木兎さんのファンだ。
「でも、あまり気負わないでね」
「?」
「私に手伝えることがあったら何でも言って」
「あ、うん」
すごい先輩がたくさんいる中で副主将を任されるのは名誉なことだけど、真面目な赤葦くんが頑張りすぎちゃわないか少し心配だ。
「私には、弱音吐いてもいいからね」
「!」
「頼りないかもしれないけど、赤葦くんの力になりたいの」
「……」
普段からあまり人を頼らない赤葦くんの支えに、少しでもなれたらいいなと思う。そんな気持ちを素直に伝えたらなんだか思いのほかクサい台詞になってしまって顔が熱くなった。
「ありがとう。夜野田がいてくれると頼もしいよ」
「ほ、本当に思ってる?」
「うん」
赤葦くんはそんな私の言葉を馬鹿にすることなく受け止めてくれた。先輩達と一緒に過ごせるのはあと1年……悔いがないように私にやれることは全部やろう。マネージャーとして、胸を張ってみんなと同じ舞台に立ちたいと思った。
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