第6話


「それ即ち愛と同義である。と俺は思う」
「だーよーねぇ。おめでとうなまえ」
「西谷くん百合まじでうるさい」

 午後からは体育の授業だ。お隣の三組と合同で授業が行われ、本日の種目は恐怖の持久走。とはいえ、真面目にやる気はさらさらない。歩くのとほぼ同じペースくらいでだらだらのんびり走っていると、戦犯二名に両サイドを挟まれてしまうという事案が発生した。迂闊だった。
 体育の授業は男女別れて行うことが常だが、使う場所が限られる持久走だけは例外だ。しかも今日は外周。先生たちの目が離れる分、私みたいに手を抜く生徒も多い。そんななか、西谷くんは既にラスト一周というところまできており、私や百合とは周回違いになっていた。男女の差があるとはいえ、小柄なくせに相変わらずのスタミナおばけだ。喋っていても全く息切れしてないし、もはや同じ人類とは思えない域に達している。

 百合は西谷くんに出会うや否や、お昼の出来事を話し始めた。事の顛末を聞いた西谷くんにも、同じように爆笑された。そして冒頭のセリフである。
 というかこの二人、いつのまにこんなに仲良くなったんだろう。一年のときは三人とも同じクラスで、わたし経由で百合と西谷くんは話すようになったけど、今は四組と三組でクラスも離れている。連絡を頻繁にとり合っているような感じでもない。まあとにかくウマがあう、というやつだろうか。
 ただ、この二人が揃うと毎回イジられ役がわたしに回ってくるので、すごく逃げたい気持ちになる。あと二人が両隣にいるとほんとにうるさい。せっかく上手くサボれてたのに悪目立ちするから嫌だ。百合もスタミナあるんだから二人で勝手に行けばいいのに。

「まさか影山とそこまで進んでるとはなー。心配して損したぜ」
「いやなにも進んでませんけども」
「えーいいじゃん。てか影山くんのなにがだめ? かっこいいし背高いし真面目そうだしいい子そう。しかもバレーも馬鹿みたいに強いんでしょ?あんたバレー大好きだし相性的にはピッタリじゃない?」
「そ、それは……否定、できないけども」

 西谷くんはともかく百合が影山くんを認知してしまったことで、予想していた通り猛烈なプッシュを喰らう羽目になっていた。百合の見立て通り、影山くんにダメなところがないのは事実だが、問題はまずそこじゃない。私が悩んでいる理由を二人はわかっているはずなのに、知らぬ存ぜぬを貫くとはいかがなものか。

「影山最近調子いい感じだしよー。なまえとも上手くいったらもう誰も止められなくなりそうだな!」
「……いやいや。そんなこと影山くんのコンディションに影響するわけないじゃん」
「そーか? まあ少なくとも影山にとってはいい傾向だろ。やっとなまえを意識させられたんだし。このくそ鈍ちゃんをさ」
「……っ意識なんかしてない!」
「はいウソ」

 百合が即否定してきたので、背中をばし、と叩いた。けらけらと笑ってすごく余裕そう。持久走より、この二人の相手をしている方がよっぽどしんどい。息切れする。西谷くんは喋ってないで早く先に行って欲しい。そろそろゴールの正門前が見えてくる頃だ。

「だって、あんたがそんなにムキになんのめずらしいじゃん」
「ああ確かに! いつもはからかっても"あーはいはい"って適当に流すのにな」
「影山くんすごいいいと思うけどなー!喋った時のあの全く動じない感じ、なんか大物っぽい」
「そうそうすげえ度胸のある奴だぜ!なんたって俺の後輩だしな!」
「将来も有望そう。あたし今のうちにサインもらっとこかな」

 まさに褒めちぎりである。そう思うなら私じゃなくて本人に言えばいい。それにそんなにタイプなら、百合がどうにかしたらいいんじゃ……と頭によぎったことは口に出さないでおく。なんかもっとめんどくさいことになりそうだから。


 それにしても、だ。この二人。あまりにもわざとらしいというか、なんというか。相手が影山くんとはいえ、妙にテンションが上がりすぎている気がしないでもない。ただ単にからかうだけでなく、本気で私と影山くんをくっつけようとしているように思う。
 今までこんなことはなかった。西谷くんも百合も、必要以上に私の恋愛事情に絡んでくるなんて。私が自分からなにか言わない限り、そっと見守ってくれていたはず。
 ならば、考えられる理由はもうアレしかない。

「わたし、別れる気ないもん」

 勝手に盛り上がる二人には悪いが、ここはハッキリと言わせてもらう。変に期待させても嫌だし、私が少しでも口を滑らせようものなら、あれよあれよという間に影山くんまで伝わりそうだ。
 影山くんに好きだと言われて、確かに、彼を意識をするようになった。影山くんは大事な後輩だし、部活仲間だし、私には勿体ないくらい素敵な男の子だと思う。でも、付き合うかどうかというのは全く別の話だ。私には他に好きな人ひとがいて、しかもその人とお付き合いしている。今その事実がある限り、影山くんとの関係性が変わることはない。


「……まだ、アイツにこだわってんのかよ」


 静かに、でも熱の籠った声だった。
 さきほどまで上機嫌に話していた西谷くんが、思い切り眉を顰めている。賑やかな空気が一変。百合も「え?」という顔で固まっている。西谷くんの反応を見て、ああやっぱりな、と確信した。
 噛み締めるように吐き出した"アイツ"には恨みつらみが込められていて、西谷くんこそまだ相当根に持ってるな、と悠長なことを考える。

「お前がまだあんなクソ野郎と付き合ってるなんて」
「っノヤくん!」

 場の空気が良くないことを察したのか、百合が声を張って西谷くんを嗜めた。クソ野郎とは随分な言い草だが、似たようなことを何度も言われたことがあるのでいまさらべつに動じない。
 気づけば皆足を止めていた。まばらに通り過ぎていく他の生徒の好奇な視線を受け流しつつ、西谷くんのギラギラと尖った視線と対峙する。熱いというか、なんというか。なんでこう、私の周りには真っ直ぐすぎるひとが多いんだろう。嫌いじゃない、ただ、苦手なだけだ。目を逸らして、逃げたくなる。私はそんな風になれないから。
 
「……まあ、あの人のことは置いといてさ。わたしだって別に褒められるような人間じゃないし。それにもう、西谷くんに心配してもらうことは何もないよ」

 曖昧に笑って、そう返すのが精一杯だ。西谷くんが私と彼氏のことを気にかけてくれる理由もわかっている。今まで言わなかっただけで、まだあの日のことを忘れていないんだろう。西谷くんとあの人の確執は、ごく一部の人間しか知らない。百合にも詳しいことは言ってない。だけど、あの人はもうすぐこの学校からいなくなるから、この確執も自然に消えていくものだと思っている。私にとってはそれだけのこと、なのに。

「俺はお前のことが心底好きだし、だから心配もする。当たり前だ」
「…………え、あ……はい」
「……え、何? ノヤくんここで愛の告白?」

 この際、百合は無視しておくとして。
 西谷くんの歯に衣着せぬ物言いには、どうにもこうにも怯んでしまう。好意にも悪意にも全く裏がない。だからこそ、彼の気持ちを無碍には出来ない。ちゃんと聞かなきゃ、って気分にさせられる。
 
「影山のことを応援してーのはもちろんあるけど、それ以上に俺はお前があの男といるってのが心底気に食わねえ! あの日からずっとな」
「……うん」

 あの日からずっと、か。でも、今の今まで黙っていたのは、私の気持ちを汲んでくれたからに違いない。ただ、思いがけず西谷くんの本音をぶち撒けられる羽目になり、事態は何やら混沌としはじめた。
 西谷くんはつまり「もう遠慮はしねえ」と、そう宣言してきているわけだ。影山くんという男の子を武器に、私と彼氏の関係をぶち壊すと。彼氏倒すってつまり、西谷くん自身の言葉だったのか。

「俺だけじゃねえ。龍も、大地さんも、潔子さんも。みんなそう思ってる」

 並べられた名前を聞いて、何やら思っていた以上に深刻なことになっているなあ、と他人事のように思った。つまりみーんな影山くんの仲間なのか。そりゃそうだよね。私なんかよりよっぽど影山くんの方が信頼できるし、応援したくなる気持ちもわかる。
 そんな捻くれた考え方をしている時点で、やっぱり私ってどうしようもない。

「俺が今言ったこと、胸に刻んどけ!」

 熱い決め台詞とともにビシ、と指を差されたのち、西谷くんはゴール目掛けて走り去っていった。百メートル走並みの速さだった。相変わらず、嵐のような男だ。お陰で私の心も荒れ狂っている。胸に刻んどけどころか、もはやズタズタですが。

「ねえ、今のなに? あんたの彼とノヤくんて、なにがあったの」
「……別に。大したことじゃないよ」

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