第5話


「なまえ、はやく行こ!」

 四限のチャイムが鳴るのとほぼ同時、斜め前の席に座っている百合に腕をグイと引かれた。今からお昼なのに一体どこへいくのかと問えば「食堂!」とすごい笑顔で言ってきた。
 すごい笑顔なのが気になるし、百合も私もお昼はいつもお弁当を持参している。食堂なんてめったに使うことがない。しかも、百合の手にはしっかりいつものお弁当包みが握られている。お昼を忘れたとかでもなさそうだ。
 じゃあなんで、と怪訝な顔をすると、百合はあっさりその企みを白状した。

「あと、ついでに一年生の教室チラ見!」
「やっぱりね!」

 ついで、なんてよく言うよ。どうせそっちの方がメインのくせに。私はぐ、と足に力を込めながら意地でも立ち上がってたまるかと身構えた。バレー部のみんなにもさんざんからかわれているのに、これ以上影山くんとのことで周りに騒がれたくない。余計に意識してしまうような気がするし、なにより、今は影山くんに会いたくない。昨日のことがあったばかりなので、その、とにかく小っ恥ずかしいのだ。

「茶化さないでってさっきも言った!」
「べつにそういうつもりじゃないよ。どんな子かちゃんと知りたいだけ!それにノヤくんいわくすごいらしいじゃん!」
「……すごいって、なにが?」
「あんたのことめちゃくちゃ好きなんでしょ? コントロール抜群のサーブホームランしちゃうくらいに!あと絶対彼氏倒します宣言したとか!」
「……なんかいろいろと、語弊があるとおもうけど」

 彼氏倒しますってなんだ。一体なにで戦うというのか。噂話というのはどんどん飛躍していくのものだが、今回の件はあながち間違いではないところがアレである。完全否定出来ないのがなんか悔しい。

「……てかさ。あたしたち親友なのに、内緒なの?今まで恋バナいっぱいしてきたじゃん。今回だって相談とかのりたいよ」
「……あ、うん」
「仮にもしあんたがその影山クンに迷惑してんなら、あたしがガツンと言ってあげるしさ」
「それは、その」

 しゅん、とあからさまに落ち込まれるとこちらが怯んでしまう。さっきまで茶化す気満々だったくせに、急にしおらしくなった。……まあ絶対にわざとなんだけれど、百合のこの顔に私はめっぽう弱い。本人も知っててやってるに違いないのだけれど、弱いものは弱いんだから仕方がない。
 確かに百合には今の彼氏の時もその前の彼氏の時も色々と助けてもらったし、今回の件も相談にのってもらえるのなら、むしろ有難いのかもしれない。それに、彼女いわく一年の教室を"チラ見"するだけだ。最近の影山くんは日向くんに付き合って昼に自主練をしていることも多いと聞くし、行って会えない可能性も十分にある。

 あと。影山くんに迷惑しているとか、そんなのは絶対にない。とりあえず今の段階では、ないと言い切れる。色んな人にからかわれるけど実害は別にないし、恥ずかしいのを我慢するくらいだ。

「……もう。いちおう言っておくけど、影山くんに会えても絶対に話しかけたりしないでね」
「……あら。あらあら? なまえちゃんってばさっそくヤキモチ?未来の彼氏を独り占め?」
「ちがう!」

 ほらね、やっぱりわざとだ!

***


 烏野高校の食堂は学舎とは少し離れた場所にある。結局、百合に唆された私は教室から弁当箱を持参して、食堂の机でお昼を食べていた。一年生の教室が食堂から一番近いところにあるので、食堂の数量限定人気メニューなどは軒並み一年生が獲得していたりする。ちなみに私はまだ一度も食べたことがない。
 百合がわたしのご機嫌取りに揚げたてのドーナツを奢ってくれたので、遠慮なくむしゃむしゃと頬張っていた。揚げたてというだけでお店で買うよりふつうに美味しい。しかも学生に優しいお値段だ。このドーナツも普段は割とすぐに売り切れてしまうので、今日はきっと運が良い。からかわれて臍を曲げていた私の機嫌がすっかり戻りつつあることを悟ったのか、百合が頬杖をつきながらニヤニヤと見つめてくる。彼女の興味はドーナツにあらず、だ。

「で、なまえちゃんの影山クンは一年何組なのかなぁ〜?」

 声のトーンがめちゃめちゃ高い。彼女も大概わかりやすい性格をしていると思う。ドーナツを二口か三口で食べきったのを見て、その勢いに少し引いた。これはもう、今日の運の良さを活かして影山くんに出会わないことを祈るしかない。

「わたしのじゃないけどね。確か三組だよ」
「三組かー。知ってる後輩いないなぁ」
「……百合、あのさ。見るだけ、だからね」
「もー。わかってるってばぁ」

 語尾にハートマークでもついていそうなテンションで返されても、まるで信用できない。こうなったら私もなるべく時間を稼ぐためにちまちまドーナツを食べていたら、三分の一ほど残っていたそれをまんまと百合に奪われた。あっという間に、百合のお腹に収まってしまう。そのあまりの仕打ちに、ワナワナと手が震えた。

「食べんの異様に遅いから、お腹いっぱいなんじゃないかと思ってさ? ほら、観念しなさい」
「うう……ひどい、ひどすぎる。人でなしだ……」
「時間は有限なの!今はドーナツより影山くん優先!」

「……あの、俺がどうかしたんすか」

 うう、と手のひらで顔を覆って泣き真似をしていたら、何やら背後から聞き覚えのある声がした。……うん?と首を捻って振り返ると、そこにはぐんぐんヨーグルを片手に立つ……あ、やばい。終わった。


「か、かかかか、かげ、かげやまくん」
「え……?うそ!うそ!ほんとに?!あの影山くん?!」


 運が良いなんて軽率な発言をしたことを後悔する。いや、これはある意味、豪運か。教室に行って会えるかどうかの話だったというのに、まさか本人からやってくるだなんて思わない。一体いつからそこに居たのか。私たちの会話をどこから聞いていたのか。いや、それよりまずいのが、一瞬で百合にバレたことだ。
 私が動揺している隙に百合が椅子から立ち上がり、影山くんの着ている学ランの裾をきゅ、と握る。やばい、影山くんが捕まった。

「影山飛雄なら、俺ですけど」
「なまえの後輩で、バレー部一年生の影山くんだよね?!」
「え……ああ、ハイ。つか、みょうじさん、壊れたロボみたいになってますけど」
「ああ、いいのいいのすぐ戻るから。それにしてもねー? へーえ。ふーん。はーん。なるほどねー?こんな噂通りのイケメンがねー」
「あの、近いっす」

 上から下までじろじろと舐め回すような視線をおくる百合と、されるがままになっている影山くん。タチが悪いにもほどがある。「背高いよね、身長いくつ?」「181っす」「どこ中出身?」「北川第一」「バレーはいつからやってるの?」「小2のときから」なんてナンパみたいなやりとりが延々と続く。やばい、やばい。そろそろ止めないと、

「ちなみになまえのどんなとこが好……」
「……っ!待って!」

 間一髪のところで立ち上がり、影山くんの手を引いて距離を取った。こうなった百合の暴走を止めるのはもはや不可能だ。さっき念押ししたばかりなのに、スッカリさっぱり忘れている。いや、もとよりその気がなかったのだ。だいたい影山くんご本人を目の前に、百合が好奇心を抑えられるはずがない。悪気がないのが逆に恐ろしい。

「影山くんごめんね。この子ちょっと危ないひとだから、早く教室に戻ったほうがいいよ。ね? 行こう」
「えっ? あ……ハイ」
「なまえちゃん? わたしをケダモノ扱いしないでくれる?」
「変わらないでしょ。影山くん引いてるじゃん!」
「あの、俺は別に」

 異様に興奮した女の子に勢いよく迫られて、影山くんが不憫でならなかった。それよりも、このままここにいたら百合がどう口を滑らせるかわからない。今のは本当に危なかった。
 影山くんを隠すように前に立ち、百合に向けて思い切り首を振る。頼むからこれ以上はだめですお願いします黙って下さいと恨みがましく見つめると、ぴこん、と効果音が聞こえそうなほど華麗なウィンクが飛んできた。……わあイヤな予感。

「ん、おっけ!とりあえず目的は達成したし。あたし先に教室に戻るから」
「……へ? ち、ちょっと待って」
「そのまま午後の授業サボってデートでもどう? 先生には適当に言っとくからさー!」
「っ百合!」

 短いスカートを翻し、百合はあっという間に去っていった。やけに引き際が良いなと思った途端、この捨て台詞である。百合のペースに持っていかれてしまうのはいつものことだけれど、この事後処理を私だけでやれというのは、あまりにも酷だ。お弁当箱も忘れて帰ってるし。

「あの。あのひと、みょうじさんの」
「親友なの……悪い子じゃないの……いつもあんな感じなの……」
「いや、なんか色々聞かれただけなんで。俺は全然平気っす」

 スン、としたいつもの表情を見て、私はひとまずホッとした。本当に平気そうでよかった。百合のあの去り際の捨て台詞も深く考えていないことを祈る。授業サボってデートって何を言ってるんだ。そんなの彼氏ともしたことない。

「それより、何か俺に用があったんじゃ」
「あ、いや……その、大したことじゃ」
「あと……その、手、」

 ぼそ、と呟かれた言葉から影山くんの表情が一変。ものすごく悩ましそうに眉を寄せて、視線を下に向けている。そこには影山くんの手を上から思い切り握りしめている私の手があって、思わずヒッ、と飛びのいてしまった。
 無意識にずっと捕まえていた。影山くんの手を、鷲掴みに。

「……ご、ごめ!わたし」
「いや、俺は」

 慌てふためくわたしに、影山くんは何かいいたそうに口をもごもごさせている。しかし、私のメンタルは百合のせいで粉々だ。影山くんに構っている余裕はもうない。

「ほんとにごめんね!……か、影山くんの顔見に来ただけなの! 百合のこともごめんね!じゃあまた部活で!」

 ぽんぽんぽん、と頭に浮かんだ言葉だけ告げて、逃げるように食堂の出入り口に向かって走った。それを聞いた影山くんが、どんな反応をしていたかは見ていない。
「顔見に来ただけ」ってすごい口説き文句だね。って、出入り口の影でこっそり私たちの様子を伺っていたらしい百合に、教室で大爆笑された。許すまじ。

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