第31話


 過去も含め、二度も影山くんにアホと言われてしまった。何となく悔しくて、ちゃんと理由を聞いたら「別に分からないままで良いです。意識されるのも嫌なんで」と返されてしまった。影山くんがムスッと口を尖らせていたので、あまり深掘りしない方がいい案件かと思い、気にはなるがそこで会話を終わらせた。

 結局、私の荷物は影山くんが全部持ってくれた。お陰様で、私はまったくの手ぶらになっていた。いや、この図は少しおかしい気がする。

「影山くん、やっぱりなんかもつよ……?」
「いいです。余裕で持てます」

 荷物を頑なに譲ろうとしない影山くんの横顔に、プライドのようなものをひしひしと感じた。多少の強引さはあれど、素直にありがたくもある。そもそも影山くんのこの行動は、私に対する好意からくるものだとちゃんと理解しているし、ならばしかと受け止めたいとも思う。
 最近になって知ったことだが、ストレートな愛情表現は、まあずいぶんと心地がいい。もちろん、多少気恥ずかしさはあるものの、影山くんがくれる優しさを、そんな事で無碍にはしたくない。こういった小さなことの積み重ねが、揺るぎない愛を芯から育んでいくのだろう。影山くんは今、私の恋心を目一杯育ててくれている真最中だ。

「影山くん、やさしいね」
「いや。俺はみょうじさんが好きなんで」
「…………あ、あ、あのさ。いつも思うけど、なんでそんなに、はっきり言えるの?」

 また、不意打ちをくらう。
 どき、と心臓が縮んだ。最近の影山くんは本当に、隙あらば、という感じだ。ただ、影山くんの「好き」に安心している自分がいるのは確かで、少し申し訳ない気持ちにもなる。早く応えたい気持ちは山々だが、私はまだ、あと一歩踏み出せずにいる。
 影山くんは足を止めることなく、また、私の方を見るわけでもなく、普段通りの感じであっさりと言葉を返した。

「みょうじさんに教えてっていわれたんで。忘れないように」 

 ──ああ、そうか。
 まだ、律儀にそんなことを覚えてくれているのか。一度は影山くんを突き放そうとして、結局、影山くんの真っ直ぐな気持ちに絆された日の話だ。
 淡々と述べる表情はいつもと変わらなく見えるのに、穏やかな声色に心が強く揺さぶられる。私は今、影山くんへの気持ちに固い蓋をして、それを開けるのを待ち構えているような状態だ。この想いをもっともっと色の濃いものに育んで、蓋を開けるその瞬間を、今か今だろうかと見極めている。
 でも、影山くんから想いを重ねられるたび、蓋を開く主導権を彼の方に握られてしまいそうな、そんな感覚に陥っていた。自分の意図せぬタイミングで蓋が開けられ、想いが溢れてしまったら。その時は自分が自分でいられなくなってしまいそうで、怖くもある。今度こそ、恋愛で失敗したくないという気持ちがそうさせるのだろうか。慎重になりすぎて、細かいことばかりが頭に浮かぶ。そして、気づけばそれを口に出していた。

「……あのさ、もしもの話ね」
「はい」
「も、もし……わたしと、付き合ったとして、影山くんはその……どうしたいの?」

 ぼんやりとした聞き方になったが、中身はとても具体的なことだ。影山くんには伝わらなかったようで、頭にハテナを浮かべている。私は言葉を続けた。

「たとえばね、どこか行きたいとか、私にこれしてほしい、とか、手繋いだり、キスしたり、とか……その、他にもさ、いろいろあるじゃん?」
「……っ」

 最後の方はごにょごにょと濁した。影山くんは急にピタリと動きを止め、口元をバッと手で覆い隠し、動揺をあらわにする。その反応を見ると、私が言わんとしていることはちゃんと伝わったらしい。
 影山くんには、一体どんなビジョンが見えているのか。私の方は、実はあまり想像できていない。影山くんと付き合ったとて、正直、今とあまり変わらない距離感でいる気さえしている。簡単なスキンシップはまあ良いとして、問題は、それ以上のことだ。高校生ならプラトニックな恋愛も考えられなくはないが、私の方は男性経験が割とある……というか、付き合ってきたのが年上の男の人ばかりなので、百合なんかに話すとびっくりされるような事もやってきていたりする。
 でも今後──影山くんとそういうことをするかもしれないと考えたら、怯んでしまう自分がいるのも事実だった。多分、私が影山くんを好きな理由の頂点に位置するのが「バレーをしている姿」というのに関係しているのだと思う。いわば憧れのようなものを抱いていたりするわけで、その、とにかく、彼とキスやセックスなどをする姿が、まるで想像できないのだ。もし仮に、影山くんにそういったことを求められた場合、今の私はちゃんと応えられるのか。そういう不安もあって、今のうちから影山くんの心づもりを知っておきたいという気持ちがあった。

「……あの、影山くん?」
「いや、……俺は、その……いや、でもこれは」

 影山くんはずいぶん戸惑っているみたいだ。眉間に皺を刻み、なにやら深い思考に陥っている。ブツブツと何かを唱えている。さすがにいきなり攻めすぎたかと、私は話を切ろうとした。でも、影山くんは一呼吸おいて、私の方を見た。

「……やっぱ一番は、みょうじさんには、俺のバレーを一番近くでずっと見ていて欲しい、っすね」

 じ、とまっすぐ見下ろされ、途切れ途切れに伝えられる。その言葉に、私は心の底からホッとしていた。私と影山くんの一番は、ちゃんと同じところにある。影山くんはやっぱり、本人の意図せぬ所で私の一番欲しい言葉をくれる。ひとつ、またひとつと、蓋が緩んでいく気がした。

「あと、さっき言ってたことは全部したいです」
「え、ぜ、ぜんぶ」
「はい。全部したいです。してくれますか?」

 ホッとしたのも束の間、あっさりと爆弾を落とされて、今度は私が動揺する番だった。自分から質問しておいてなんだが、いざ「したいです」なんて、こうもハッキリと返されるとは思っていなかった。
 自分で想像するときは平気だったのに、いざ影山くん本人からその気があると伝えられると、一気に羞恥心が込み上げた。顔が熱い。胸が苦しい。うまく答えられなくて、えっと、と口籠もる。

「みょうじさん。俺、いちおう男です」

 当たり前のことを言っているし、キザな言い方でもなんでもないのに、影山くんに、女の本能的なものを揺すぶられる。そんな風に言われると、意識しちゃってたまらない。

「バレーも勿論っすけど、みょうじさんにだってすげえ興味あります」

 不器用ながらに、言葉を選んでくれているのがわかる。だからこそ、素直な気持ちがひしひしと伝わってくる。

「もっと深く知りたい。触れたい。俺がそう思う人間は、みょうじさんだけです」

 どうしてこうも、彼の想いは私を惹きつけてやまないのだろう。告白されてからずいぶん経った今も、ずっと変わらず私を追い続けてくれる。今のだって何度目かの告白みたいなものだ。そんな一途な人相手に、誠実に向き合わないのは罪すぎる。
 ごく、と静かに息を呑む。いよいよ、蓋が開きかけていた。影山くんならきっと、私と同じだけの愛情で、包んでくれる──たった今、潔子さんがくれた言葉を思い出した。

 蓋を開けるタイミング、もう、ここかもしれない。沸き立つ気持ちに押されるがまま、私は口を開いていた。

「影山くん、わたしも、」

 言いかけた瞬間、ピロリン! と元気よく携帯が鳴った。二人の間に気まずい沈黙が流れる。最悪だ。こんな電子音一つに、決意の瞬間を邪魔されるなんて。これは私のメールの着信音だ。メールの送り主は誰だろう。一生恨むかもしれない。
 メールを確認すると、さっきまで私と影山くんの後ろをついて来ていた田中くんだった。いつの間にか先を越されていたのだが、私と影山くんが並んで歩いている様子を写メで隠し撮りされており「彼氏に全部荷物持たせる彼女の図」とバレー部の三年宛に一斉送信されていた。

「…………全く、田中くんって人はさぁ、ほんと」
「あ、俺にもきてたっす」
「え?!」
「あ、いや。『早く来ないとメシなくなるぞ!』って。日向から」
「……ああ、なんだ」

 そういえば、時間のことをすっかり忘れていた。今頃仁花ちゃんと秋倉さんが二人でせっせと食事の配膳を頑張っている頃だろう。優先すべきは間違いなくそちらだ。私は影山くんに「急ごう!」と声をかけた。影山くんは少し不満そうな顔をしながらも頷いて、二人でタッタと小走りで施設に向かった。


 合宿施設に着くと大体の人数がそろっており、食堂ではやはり配膳が始まっていた。全員が一緒に食べ始めるのは人数的にも難しいので、ある程度人数が揃っているテーブルには先に食べ初めておいてねと声をかけた。

「仁花ちゃん秋倉さん! 遅くなってごめんね。荷物置いて来たらあと私やるから、落ち着いたら先ご飯食べてね」
「あっ、なまえ先輩おつかれさまです!ぜんぜん、ゆっくりで大丈夫なので!」

 厨房を覗くと、二人がせっせとカレー鍋を回していた。とてもいい匂いが施設のロビーまで漂っていたので、さすが武田先生のレシピだと深く頷く。配膳も時間ぴったりで、段取りよく準備をしてくれたらしい。仁花ちゃんは普段から料理をすると聞いていたのでとくに心配はしていなかったが、秋倉さんの方は大丈夫だっただろうか。相変わらず愛想なく会釈を返されただけで、様子がよく分からない。

「秋倉さんもごめんね。初日からこんなにたくさん、大変だったでしょ?」
「……いえ。大丈夫です」
「…………そっか。じゃあ、またすぐ来るね」

 重ねて声を掛けてみたが、やっぱりクールなお返事だ。……まあ、仕方ない。これ以上忙しいところを邪魔しても悪いので、とくに気にすることもなく、急いでロビーの方に戻って行った。影山くんにまだ荷物を持たせたままなのだ。

「……影山くんお待たせ! 荷物ほんとにありがとうね。わたし部屋まで持って行くから、影山くんは先にご飯いってきて」
「いえ。みょうじさんが嫌じゃなければ部屋の前までもって行きます」
「……え、そう?」

 まあ、ここまで持たせておいて今更かなとも思ったので、素直に甘えることにした。今回女子が使わせてもらう部屋は二階の奥にある。部屋に鍵などは付いていないので、この合宿中に男子が二階に上がるのは原則禁止されているのだが、今は私も一緒にいるので問題はなかろう。

「おーいなまえ。くれぐれも部屋でしけこむんじゃねえぞ」
「……っそれ以上からかうなら、田中くんだけご飯抜きだから!あのメールも!」
「ワハハ!そうされる前に先食ってやんよ」

 二階へ続く階段を上る直前、ニヤニヤ顔でこちらに寄ってきた田中くんにコッソリ耳打ちをされた。おっさんみたいなセクハラ発言である。突拍子もなさすぎて頬がほんのりと熱くなり、それさえもからかわれた。しかも、何で私にそれを言うのか。そんな風にからかわれるなら普通、男の影山くんの方だろう。……それも絶対やめて欲しいけど。

「なにをからかわれたんですか?」
「……ものすごく、しょうもないこと」
「みょうじさん、顔赤いです」
「みないでください」

 部員たち、主に三年生からの煽り具合が最近激しさを増してきている。さっさとくっつけという圧をものすごく感じる。プレッシャーというほどでは無いが、いちいち心臓に悪い。
 本人は知らないだろうけど、さっきは田中くんのメールに邪魔されたのだ。でも、つまりはまだその時じゃない、という神のお達しなのかもしれない。私はわりとスピリチュアルなものを信じるタチなので、今回はそういうことだと割り切ることにした。多分、その機はまたおとずれるはず。
 
「カレー、楽しみっすね」
「うん。……あ、荷物のお礼に、こっそり温玉乗せたげる」
「え、マジですか」
「みんなには秘密ね」

 影山くんは目をキラッキラと輝かせた。温玉一つでそんなにも喜んでもらえるなら、私だって贔屓もしてしまう。

- ナノ -