第30話


 五月二日。ゴールデンウィーク前日。待ちに待った合宿初日だ。最終日には去年と同じく、音駒高校との練習試合が組み込まれている。音駒との試合は、春高での"ゴミ捨て場の決戦"以来だ。新主将の山本猛虎くん率いる新生音駒は、一体どんなチームになっているのやら。田中くんや日向くんとも先日その話しをしていたのだが、今から楽しみで仕方がない。
 日中は普段通り授業を受け、練習終了後に皆で合宿施設へと移動する。今日から部員の皆と四泊五日の共同生活だ。マネージャーは私と仁花ちゃん、そして秋倉さんが部員とともに合宿施設に宿泊する。あとの二人は家が近いため、用事が終われば家に帰る。

 昨年のゴールデンウィーク合宿は仁花ちゃんが入部する前に行われたので、マネージャーは潔子さんと私の二人だけだった。武田先生の力もお借りしながら、部員十二名の身の回りの世話と練習のサポートを二人でやり切った。
 思い返せば、去年は本当に色々なことがあった。合宿二日目、日向くんがロードワーク中に迷子になり、皆で大捜索をした。三日目は、部員達が空腹を理由に夜中に合宿施設を無断で抜け出して、武田先生に死ぬほど怒られていた。そして四日目、潔子さんが体調を崩して早退してしまい、それをフォローしようとした田中、西谷コンビが空回り、部の洗濯機を破壊した。等々──わずか一年ほど前のことなのに、とても懐かしく感じてしまう。今となってはどれも良い思い出だ。
 インターハイ前の合宿はこれで最後になる。今回の合宿に限らず、これからは何かと"最後"が付きまとうんだなあと思うと、少しセンチメンタルな気分になった。一日一日を大事に、実りあるものにしたい。そんな思いで臨む、今回のゴールデンウィーク合宿。もちろん、楽しいことばかりではないだろう。でも、浮き足立ってしょうがない。授業中はずっと心ここにあらずで、合宿のことばかりを考えていた。

 練習に明け、練習に暮れる。そんな皆を、精一杯にサポートする。私にできるのはそれくらいだけど、合宿にかける熱意は皆と同じだ。新しいチームで強くなる。そして絶対に、勝つ。
 高校最後のインターハイまで、残り一ヶ月。



***




 午後七時半。初日の練習が終わった。これから合宿施設に移り、みんな同じご飯を食べる。これぞ、合宿の醍醐味の一つである。今日の炊事担当は仁花ちゃんと秋倉さんだ。約三十人分の食事の準備をするため、二人には少し前に合宿施設へ向かってもらっていた。今晩のメニューは、武田先生オリジナルレシピのスパイスカレーだ。先生はとても料理がお上手で、去年もたくさんお世話になった。その際にレシピを教えてもらって、私も家でたまに作ったりしている。

 合宿施設は高校の敷地内にあるため、歩いてすぐだ。体育館の片付けを終え、舞台の上に纏めていた荷物たちをよっこいしょ、と肩にかける。合宿施設に四泊ともなれば、とくに女子は荷物が多くて大変である。ホテルや旅館みたいに行き届いたアメニティなんかはない。女の子同士で共有できるものはなるべくひとつにまとめて、持ち物が少なくなるよう心掛けてはいたのだが、鞄一つには到底収まりきらなかった。

「なまえ、お前その大荷物。山籠りでもする気か?」
「うるさいなー。実質山籠りでしょ」
「ハハッ。まあ確かに」

 荷物の多さをさっそく田中くんにイジられた。田中くんはむしろその大きさのカバンによく四日分の荷物が入ったなと思う。まあ、男子部員はだいたい皆似たような感じだった。お泊まりがリュック一つで気楽なのは、なんとも羨ましい限りである。

「てか、わたしちゃんと勉強道具とかも持ってきてるんだから」
「あーそりゃムダだって。なまえはどうせバレーのことしか考えらんねえだろ。なんたって合宿だしな。バレー漬けの毎日だぜ?」
「……い、いちおう、だし」
「自信ゼロじゃねーか」

 だはは、と笑い飛ばされた。そうはいっても、勉強は勉強で大切だ。なにせ次の中間テスト後には、三年になって初の進路指導面談がある。志望校はだいたい決まっていた。判定も今の段階でそこそこで、私にしては効率よく、勉強も頑張れているつもりだ。
 私のモチベーションの源は、みんなと今まで通りに部活が出来ること。春高まで部活に残ること。ただ、それだけである。

 私の親は基本放任主義ではあるのだが、同時にものすごく現実主義なところがある。一歩私が踏み違えたら──部活が続けられなくなる可能性も、無きにしも非ずだ。二年生の時にはなかった心配事が、実はここにきて一気に浮上してきている。薄々わかってはいたことなのだが、今の今までずっと見ないフリをしてきた。しかし三年生となった今、もうそうはいかない。

 母と父のことは好きだ。私のやりたいことを、ずっとやらせてきてくれた。受験をして、合格をしたにもかかわらず、家の近所にある白鳥沢学園高校ではなく、家から遠く、偏差値の劣る烏野高校を希望して入学した時も、残念がってはいたが文句は言われなかった。
 中学で辛い思いをしてバレーを辞めたのに、また高校からバレー部、しかもマネージャーとして入部をした時も、とくに何も言わず私の意思を尊重してくれた。きっと何よりも、私のことを考えてくれる親だ。だからこそ「将来、不利な人生にならないよう、大学選びだけは慎重にやりなさい」と口酸っぱく言われていた。高校生までは子どもでいられるけど、大学生からはもう大人の仲間入りだ。就職先にも大きく影響してくる。親の言いたいことはつまり、そういうことなのだろう。

 でも、それでも。今の私にとって一番大切なものは、烏野のバレー部だ。今まで通り影山くんや他の部員との居残り練習に付き合うのだって、皆との練習時間を削るくらいなら、睡眠時間を削って勉強する方が、よっぽど良いと思っているからだ。今のところそれで上手くいっているし、親も何も言ってこない。言わずともやれるはずだ、という、無言の圧力とも取れるだろうか。

「部活も、勉強も、ちゃんとやる。やれるはず」
「ま、頑張んのはいーけどさ。お前あんま無理すんなよ」
「……田中くんは勉強とか、受験とか、不安ないの?」
「今はインターハイで勝つことしか頭にねえ!」
「……そっか。そうだよね」

 正直、田中くんが羨ましかった。
 私もそうやって言い切れるくらい、バレーのことだけで頭をいっぱいにしたい。勉強道具、やっぱり持ってこなきゃ良かったかな、なんて。気持ちが少しブレた。
 でも、卒業していった先輩たちは、皆さんこれを乗り越えてきたのだ。大地さん、潔子さん、旭さん、スガさん。インターハイで負けて、それぞれ色々な葛藤もあっただろう。でも、結局は誰一人欠けることなく春高を迎え、最後には皆さん笑顔で卒業していった。私も、そうでありたい。憧れの先輩たちのように、最後まできちんと、悔いなくやり通せるように。これからが、正念場だ。

「……さて、そろそろいこっか」

 合宿は始まったばかりだ。とりあえず、今は今できることに集中するしかない。田中くんに声を掛けて、舞台から降りようと階段の方に足を向けた。

「おー。てか、なまえそれ……」
「みょうじさん、それ俺が持ちます」

 田中くんが何か言おうとしたところに、突如、別の声が割り込んできた。

「あ、影山くん」
「貸してください」

 有無を言わさず、といった感じだ。田中くんも私も目をパチクリとさせて、影山くんの顔を見る。
 一体いつからそこに居たのだろうか。まるでこのタイミングを見計らっていたかのように、影山くんは声を掛けてきた。

「…………いいの?」
「もちろんです」
「ごめんね、ほとんど自分の荷物なのに」
「さっすが影山。みょうじ先輩贔屓」
「あ、ハイ」
「素直か!」

 一人で持てないほどの重さと量ではないのだが、影山くんの気遣いが嬉しくもあったので、ここは素直に甘えることにする。
 田中くんの煽りもツッコミにも、影山くんは全く怯まなかった。最近、影山くんがますます堂々としている気がする。二年生になったからだろうか。かくいう私も、今みたいに影山くんと自分の関係をイジられることに、だんだん慣れてきていた。二、三年は私と影山くんのアレコレを全部知っているから、というのもあるだろう。これで良いのか、悪いのか。

「……ま。影山はいつもなまえに遅くまで練習付き合ってもらってんだから、荷物持ちくらいはやって当然だよな」
「はい。一年には負けません」
「……なんの勝ち負け?」

 田中くんがふと、何かに気づいたような素振りを見せた。説き伏せるような田中くんに対する影山くんのお返事も、私には意味がよくわからなかった。田中くんの方はそれに納得したかのように、ウンウンと頷いている。いったいなんなのだ。

「言っといたほうがいいぞ、影山。なまえは多分わかってない」

 田中くんの返しに、今度は影山くんがふむ、と考えを巡らせていた。私に何か、言っておくことがあるらしい。田中くんと影山くん、二人は何の話で通じ合っているのやら。
 影山くんは何やら意を決したかのように、私の方に向き直った。じっと真剣な目で見下ろされて、私もごくりと息を呑む。

「みょうじさんは無自覚に俺の敵を作ってるんで、気をつけてほしいです」
「…………うん?」

 影山くんの敵、とは。
 言いたいことを言われたようなのだが、やっぱり意味がよくわからない。普段の影山くんよろしく、私の頭上にハテナが浮かんでいた。

「まあ、無自覚だから気をつけようがねぇんだけどな」
「あ、そう言われればそっすね」

 言いながら、影山くんはナチュラルに私の肩から荷物を攫っていった。言えば言うだけ、説明はせず。私は問わざるを得なかった。

「ねえ、影山くんの敵って誰?」
「まず、一年のリベロ」
「…………なんでリベロがセッターの敵になるの?」
「みょうじさん、アホですか」

 その直後。田中くんの大爆笑が、第二体育館に響き渡った。

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