第18話


「みょうじさんとアイツをもう会わせたくないなと思って。みょうじさんが別れたがってるって西谷さんから聞いて代わりに直談判しにいきました。まあそれは正直失敗したんすけど。でも結果オーライっす」

 影山くんと二人で体育館に戻った時の、みんなの表情は忘れられない。どうやら西谷くんが事のあらましを全て喋ってしまったようだ。現在、前から事情を知っているメンバーもそうじゃない子たちからも、根掘り葉掘りきかれている最中である。今日の主役は三年の先輩たちなのに、私と影山くんの二人が部員に囲まれているというよくわからない状況になっていた。

「影山お前よくアイツ殴らなかったなー!俺だったら絶対やっちまってたわ」
「いや。まあ、そうしたかったんですけど。やっぱ殴るのは指とか怪我したら嫌なんで」
「っはは、そりゃ影山らしーぜ」

 西谷田中の漢気コンビは影山くんをえらく褒め称えた。確かに、いかにも二人が好きそうな展開ではある。呑気なことをいうが、あの場にいた私からしたら本当にヒヤヒヤものだった。あと一歩遅ければ大変なことになっていただろうに、影山くんも影山くんだ。あの状態で手を出さなかったのはもちろん褒めるべきだが、影山くんが彼を煽るようなことを言ったのは間違いない。直談判だって、私を想ってくれたがゆえの行動とは理解しても、やっぱりやることが普通じゃない。月島くんなんか話を聞いてめちゃくちゃ引いてる。私も当事者じゃなかったら、そういう反応になるだろう。

「まあ良かったじゃん。これでみょうじの悩みの種が一つ消えたわけだし」
「……大地さん、わたしこれでもけっこう傷心なんですけど」
「ん?……何かあった?」
「身体しか魅力ない、とか……いろいろ言われて」

 まあ、なんだかんだ言いながら、こうして話を聞いてもらえるのはありがたい。潔子さんと大地さんは私が彼と別れたことを知って、心底ホッとしたと言ってくれた。もともと二人にはメールや電話なりで事の顛末をきちんと報告するつもりでいたけど、そんな風に言ってくれるのなら、直接報告できて良かったと思った。
 綺麗な別れ方とは言えないが、あの様子だと彼は私の事なんてすぐに忘れるのだろう。私も彼に未練はない。ただ、最後に言われたことをかなり引きずっているようで、思い出すたび心がずんと重くなる。慰めてもらうことを期待して、大地さんについ愚痴ってしまう。自分で言っておきながら気落ちして俯いていると、大地さんの手がぽん、と頭に触れた。ああもう、それだけで泣きそう。

「っはは。よし。じゃあ俺が一発殴りに行こうかな?無事卒業もしたわけだし、ちょっと喧嘩するくらい平気だろ」
「私も賛成」
「潔子さんまで?!」

 予想外の言葉が飛んできた。思わずバッと顔を上げると、大地さんは部員を諌める時のようなこわーい笑顔を浮かべていた。珍しく潔子さんも便乗する。スガさんが外からやれやれと囃し立てて、旭さんがオロオロと三人を宥める。冗談だよ、と大地さんが笑う。
 そんな先輩たちのやり取りをみているだけで、荒んでいた心が穏やかになっていくのがわかった。これ以上落ち込んでいては、この尊い時間を無駄に消費してしまうだけだ。大好きな先輩たちと過ごせるこの時を、少しでも長く感じていたい。

 ならば、早くこの場を納めようと、ぱちん!と一つ手を打ち鳴らした。その音に、皆の視線が一気に集中する。

「……とりあえず!この話はまた、」
「それで、二人は付き合うの?」

 ──しん、と辺りが静まった、絶妙なタイミングだった。その声の主は、にこにこと良い笑顔の縁下くんである。恐ろしく静かで鮮やかな爆弾投下。この新主将、やはり侮るべからず。

「いや、それは」
「……っ影山くん!」

 そして影山くんは、やはり素直に答えようとしてしまう。──こうなればもう、先手必勝だ。影山くんが余計なことをお喋りするまえに、口を塞ぎにかかるしかない。
 がし、と影山くんの腕を掴んで、みんなの輪から少し離れたところまで連れて行った。後ろでワーワーと冷やかしの声が聞こえるが、この際もうお構いなしだ。結局、誰も追いかけてこずに見守られているのが、逆に煽られているようにも感じた。

 影山くんは大人しく着いてきてくれたが、頭に?が浮かんでいる表情だ。いくら先輩に聞かれたからって、なんでも正直に答えればいいといわけじゃない。答えにくいことや答えたくないことは適当に濁せばいいのだ。
 こほん、とわざと咳払いをする。月島くんの言った"躾"という言葉がふと頭によぎった。素直すぎる影山くんに、私は一つわからせたいことがある。

「……あのことはね、またふたりきりの時に話そう?」

 ね?と距離を詰め、小声で念押しする。恋愛のあれやそれは、当事者同士がこっそり育んでいくものだ。周りに話すのは、それが上手くいってからでもいい。少なくとも私はそう思う。
 影山くんとのこれからについては、あのあと廊下で少し話した。……それもまだ、十分でないことはわかっている。でも話すのは今じゃない。それをわかって欲しくて、ジリジリと圧を込めて真っ直ぐに影山くんを見つめた。

 すると、影山くんは口元を抑えて、何やら気まずそうに顔を背けた。

「…………ハイ」
「いや、なんで照れるの」

 なぜか顔を赤くする影山くん。照れ臭そうに鼻を指で擦る。今度はこちらが?を浮かべる番だ。影山くんのツボがよくわからない。何やら煮え切らない感じはあるが、ハイと頷いてはくれたので、了承の意味だと認識する。

「……だから今日、もし予定なかったら、いっしょに帰りたいな。……あ、でも練習するなら」
「しません!帰ります!」
「え、うん。ありがとう」

 彼氏と別れたばかりではあるが、このさい影山くんにもきちんと話をしようと思った。みんなにも知られてしまった以上、影山くんとのことは大会前に全部はっきりさせておきたい。
 今夜彼と会う予定もなくなったので影山くんがしたいというなら練習にも付き合う気でいたのだが、食い気味で返事をされたのでここは素直に頷いておいた。

「おーいそこいちゃつくなー?いちゃつくならこっちきてやれー?」
「……っ結構です!」

 いよいよスガさんにおちょくりスイッチが入った。もはや、こういう雰囲気には慣れたほうが早いなと悟る。たった今影山くんには釘を刺したつもりなので、これ以上余計なことを喋られる心配はない。……たぶん。

 まだ午後も始まったばかりだというのに、気分的にはもうクライマックスだ。私は別に落ち込んで慰めてもらうためにここに来たわけじゃないことを思い出す。本来の目的を果たさなきゃ、今日はまだ終われない。

 くるりと皆の方へ向き直り息を大きく吸い込んだ。腹に溜まった鬱憤全部、このさい吐き出してしまえ。

「みなさんお騒がせしました!!はい!もーいい加減バレーの話しましょう!湿っぽいのはいやなんで!楽しく!いきましょう!」

 主将ばりに張り切って声を出した。なんでお前が仕切るんだよ、と縁下くんが呆れた顔をしている。さっきのお返しだ、と舌を出しておいた。
 大きい声を体育館に響かせることで、体中の空気が入れ替わったような気分になった。ここはいつだって活気に満ちている。今だってそうだ。どんなに憂鬱なことがあっても、部活に来たら大好きなバレーに没頭できる。大好きな人たちと一緒に、夢中になれることがある。

「はいはい。じゃあみょうじもこう言ってることだしさ、楽しいことして忘れちまおうぜ」
「仕方ねーなー。じゃー追い出し試合はみょうじもまざんべ?みょうじが入るなら清水も混ざるってさ」
「ええ、いつのまにそんな話に?!」
「じゃあみょうじさんは俺のチームってことでいいですよね?俺のトス打ったことあるんで余裕で合わせられます」
「じゃー俺は潔子さんを守るチームの守護神ってことで。いつも潔子さんの周りを警護してるんで余裕で守りきれます」
「あ!ノヤっさんずりぃ!俺も!」

 さあバレーをやるぞ!となったら、さっきまで話していたこともそっちのけではしゃぐような人たちばかりだ。そんな空気感が大好きで、心地よくて、ずっとここにいたくなる。ああワクワクして仕方がない。

「じゃー谷地さんもやろうよ!俺おしえるから!」
「いいっいいいいよ日向!!私はスコアやる!!やったら腕もげちゃう!」
「てかみょうじさん王様のトス打ったって本当なんですか? 期待しかないんだけど」
「半笑いやめて月島くん」
「みょうじさん任せてください。俺のトスがあれば月島なんて敵じゃないっす」
「月島くんとマッチアップ?!さすがにむり!」
「はいはーい。ちゃんとチーム分けするから勝手に盛り上がるなー?」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐメンバーの意思を総無視したチーム分けがなされていくホワイトボードに、縁下主将の力技を見せつけられた。なんだかんだ上手く皆を纏めてくれる縁下くんをみて、先輩たちも嬉しそうな顔をしている。

 卒業式。終わりと始まりの日。
 私にとっても、まさに今日がその日だ。先輩たちの卒業、彼氏との別れ、二年生の終わり。そして影山くんと一歩、近づき始める日。

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