第19話


「なあなあお前どっち派?」
「みょうじさんはさー!なんかふわっとした感じなのに色気があるよな。なんかいい匂いするし髪とか超サラサラだしよー」
「あー確かに!やっぱ年上の魅力ってやつ?でもおれはやっぱ谷地さん派かなー。小動物みたいでめっちゃ可愛いし!」
「わかる!つーかやっぱ可愛い女マネいる部活って最高だよなー。しかも二人!やっぱ俺サッカー部やめてバレー部にしよっかな」
「ぶは!お前それ完全に下心じゃ──」


───バコンッ!!!
空気を割り裂くような轟音。


「ああ、悪い」


 冷え切った声に、賑やかだった体育館が静まり返る。先ほどの轟音の正体は、影山くんの殺人サーブが軌道を大幅に外れて体育館の扉を叩いた音だ。部活見学に来ていた一年生の輪と輪の間を縫うように貫いたジャンプサーブは、あたりの空気を一瞬にして凍らせた。

 さて。今の何をどうミスしたらそんなところにボールがいくのか。影山くんの実力を良く知っているこちらからすれば、明からさまにわざとだとわかるその行いは、とても見過ごせるものではない。

「……あのー、影山くーん」
「いや、今のはアイツが正しい」

 そばで一部始終を眺めていた田中くんが「良くやった」とばかりに頷いている。正しい正しくないとかそういうことではなく、新入生たちを無闇やたらに怖がらせてほしくないというのが私の思いだ。たとえ見学者が体育館から溢れるほど集まったとしても、そしてその大半が「全国出場の強豪バレー部」「天才イケメンセッター」とかいう文言に惹かれたミーハー心溢れる騒がしい一年生たちだとしてもだ。

 二年の時に新入部員集めに苦労した身としては、しつこく勧誘しなくてもこれだけ新入生が集まってくれるというのはこの上なく喜ばしいことなのだが、どうやらこの状況を好ましく思わない部員もいるらしい。影山くんはその筆頭だ。
 部活見学として設けている時間帯はいつも機嫌が悪い。いつもあんな風に轟音を響かせるサーブミスをしてしまう。さあどうしたものか。

「まあ、入り口がどうあれ、興味をもってくれることが大事だと思うんだけどなぁ」
「バレーにはな。でもあそこにいる連中が見てんのは主にお前とやっちゃんだろーが」
「……うーん?そう?」
「いい加減自覚しろよ」
「……ていうかどう見ても影山くん目当ての女の子の方が多いよ。あそこにいる子たちみーんなマネ希望だって」
「いやいや、そりゃあ、中には俺目当ての子も」
「田中くん、自覚して」

 田中くんは四つ這いで拳を床に打ちつけた。言い返す言葉もないらしい。あまりに辛辣すぎたかもしれないと少し反省した。

 でも実際そうだ。純粋にバレーが好きで来てくれている子、バレーをやりたくて憧れて来てくれている子が、この中に何人居るだろうか。視線や表情を観察していれば何となくわかる。マネージャー希望で来た女の子のほとんどは影山くんの一挙手一投足を見逃すまいと視線を走らせているし、男子グループの一部はやたらと”女子マネージャー”に興味があるらしい。気づかないフリをしても、何度も何度も視線を感じればそうもしてられない。それでも、自らそれを戒めるほど自惚れるわけにもいかなかった。

「あんだけ見られりゃ自分も相当ストレスだろうに、それより何よりなまえのことだもんなー、影山は」
「ねー西谷くん。わかってるならあれ何とかして」
「いや無理。俺も影山派だし。つーか不純な動機のやつが多く入ったって意味ねえだろ? どうせ辞めんならある程度のふるいも必要だって」
「……あれ。珍しく真面目なことを言うね」
「まあ女子マネージャーはいくらいても嬉しいけどな!」
「みんな影山くん目当てだけどね」

 田中くんに並び、西谷くんは四つ這いで拳を床に打ちつけた。言い返す言葉はやはりないらしい。

「それなら解決方法が一つあるけど」
「あ、縁下くん」
「影山とみょうじがさっさと付き合っちゃえば結構な数が絞られるんじゃない?」
「縁下くん?!」

 爆弾を投下することに全く躊躇いがないことで定評のある縁下主将の登場だ。縁下くんとはこの部活見学までに新入生の勧誘方法なども含めて何度も打ち合わせをしてきたが、こうなることは正直想定外である。実際目にして改めて、春高全国出場という事の大きさやメディアの力がどのようなものかを思い知らされた。主将である縁下くんが感じるであろうプレッシャーは計り知れない。そのせいでここ最近はずっとピリピリしているように見えたが、気軽に爆弾投下ができるくらいにはメンタルも回復してきたのだろうか。

 影山くんとは卒業式のあれやこれやを経て、やっと今の状態に落ち着いた。落ち着いた、というのは私の気持ちの話だ。実際のところ、私はまだ影山くんからの告白の返事をしていない。……ということになっている。

 卒業式の日の後、影山くんとは結局少しだけ居残り練習をした。片付けを終えて二人で帰っている最中、私は今の正直な胸の内を晒した。
 影山くんに恋愛感情が芽生え始めているのは事実だけど、まだはっきり「好き」とは言えない。彼氏と別れたばかりで影山くんとすぐにお付き合いをするというのも気が引ける。そう、本人に伝えた。
 影山くんは少し考えるような素振りを見せてから「それはフラれたってことじゃないですよね」と言い、加えて「それは保留ってことでいいんですよね」と食い気味に言った。その時の影山くんの勢いと迫力に押されて私はコクリと小さく頷いた。
 つまり関係性は以前となにも変わっていないが、私は影山くんに惹かれつつあることは認め、それを知った上で影山くんは今のまま、まだ私を好きでいてくれる。そういうことに落ち着いた。誰が何と言おうと、それで一旦は落ち着いたのである。

「ていうかみょうじは平気なの?影山目当ての女の子があんなにたくさんいるのに」

 唐突に縁下くんからふられた質問に、私は目を丸くした。
 
「え?だって影山くんは女の子よりバレーが好きだもん」
「……おお」
「実際影山くん、女の子たちには見向きもしないし」
「……まあそうだな」
「だから別に気にならないかな」

 先ほどの縁下くんの質問の意図は、つまり私が女の子たちに嫉妬するかという事なのだろうが、そもそもそのような考えには至らない。影山くんが部活中に女の子にうつつを抜かすような事はありえないと断言できる。
 影山くんが誰にも邪魔されることなく、大好きなバレーに打ち込めるのならそれで良い。あの女の子たちは、そもそも影山くんのフィールドに乗ってすらいない存在だ。だから何も気にならない、というのが本音だ。

「女は強いな」
「ああ、強い」

 ようやく立ち上がった田中西谷コンビが、今度は何故か遠くの方を見つめている。私は何かおかしなことを言っただろうか。
 よくわからない二人は放置して、私は縁下くんを連れて影山くんを呼びつけた。先ほどの行為を軽く注意すれば影山くんは素直に頭を下げた。西谷くんの言うように確かに"ふるい"は必要だとしても、やり方は考えなきゃいけない。バレー部は恐ろしいところだと悪評が回り、新入生部員が全く来ないという最悪のケースもなくはないからだ。

 新入生の入部から始まり、五月には恒例のゴールデンウィーク合宿。六月にはインターハイ予選。あっという間に時は過ぎてしまうのに、やることはまだまだ山積みで、つい物思いに耽る。
 
「ってか影山はさー、あの女の子たちの視線気になんないの?」
「みょうじさん目当ての男にしか目いかねえっす」
「……はぁ。これでまだ付き合ってねえんだもんな」
「?」


***



 新入生の見学時間が過ぎた後は、いつも通りの練習が行われた。ようやく見慣れてきた風景も新入生が入部することによりまたガラリと変わるのかと思うと、楽しみ半分、不安が半分という感じだった。
 去年は一年生が四人しか入らなかったが、各試合で皆が素晴らしい成果を上げているというのは、かなり恵まれたケースだろう。四人が四人とも主力メンバーと言っても良い。皆これからもっと上手くなって、頼もしくなっていくのだろう。
 しかし、今年はどうなることやら。入部届は既に何十枚と集まっているが、バレー経験者はせいぜいその半分といったところ。去年までは全部員合わせても十数名という少人数であったからこそ、全員が同じ時間、同じ練習メニューをこなし、体育館も部室も皆平等に使えるのが当たり前の日常だった。
 沢山の部員が集まるのはもちろん良いことに違いないが、人数が増えれば増えるほど、個々の練習内容や実力差というものが際立ってくるのも事実。いわゆる"強豪校"というのは大抵そういうものだが、烏野は今まだ発展途上という段階だ。これからの活動体制もまだまだ手探りで、運営については今後部員全員で話し合っていかなければならない。去年とはまるで違う状況に、ここ最近は頭を悩ませるばかりだ。

「部員はまだいいとして、問題はマネージャーなんだよね。入ってもらうにしてもせいぜい二、三人かなって感じだけど……仁花ちゃんどう思う?」
「わ、わたしもそう思うんですけど……本当に、すごい数の応募ですね」
「うん。これはほんとに予想以上」

 今日の練習を終え、集まってストレッチを始める部員たちの声をBGMに、舞台の床にずらりと並べた入部届を仁花ちゃんと一緒に眺めた。履歴書みたいに顔写真があるわけじゃないから、どの入部届がいつ部活見学にきてくれていた子のものかも正直あまり覚えていない。

「流石に全員入ってもらうのはキャパオーバーですよね……」
「だね。……まあ、ある程度選考基準みたいなのが必要かなあ。私は軽くバレー知識のテストでもしてみようかなぁと考えてはいるんだけど、実際は仁花ちゃんにおまかせしようかなと」
「……え?!え?!わたしにですか?」
「私も次で引退だしね。仁花ちゃんが今後一緒にやりやすい子の方が良いかなーって思うの」
「ハッ……い、いんたい……」

 引退。その一言に、仁花ちゃんは今にも死にそうな顔をした。私も潔子さんに同じことを言われたことがあるからその気持ちはよくわかる。それでも、私には仁花ちゃんという素晴らしい後輩が居てくれた。当時も今も本当に助かっているからこそ、仁花ちゃんにも同じように後輩と仲良く頑張ってほしいと思っている。だからこそ、新マネージャーの勧誘は私にとっても最重要事項だ。

「どんな子がいいかなー。今日見た感じは派手目な子が多い気がしたけど、仁花ちゃんはギャル好き?」
「好っ……好きとかというよりは、あまり関わってこなかったジャンルの方というか何というか……」
「あははっ、だよね!私も真面目で元気なギャルは大好きだけど、性格キツそうな子はちょっと近寄りがたいかも」
「いや俺はギャルも大いにありだと思う」
「俺もー!!つーかチアとか欲しくね?!ぜってー部員の士気あがるって」
「いや、ふたりには聞いてないです」

 仁花ちゃんと真剣に話していたのに、またややこしい二人がやって来た。クールダウンはちゃんと終えたらしい。
 この田中西谷コンビは女の子が自分たちの試合を見ているだけで勝手にテンションが上がりコンディションが爆上がりするタイプなので、多分、女子マネージャーが増えてくれた方が良い影響にはなるんだろう。ただ、今よりもっとうるさくなるし鬱陶しくなる。それだけは本当に間違いない。そしてマネージャーは案外重労働も多いので、かよわい女の子ばかり集まるよりも、元運動部とかむしろ男子マネが入ってくれた方が良いのかもしれない。

「つーかこれ全員マネ希望かよ?!下手したら部員と同じくらいいんじゃねえの」
「うーん。嬉しいんだけどちょっと困ってて。二人も何か良い案だしてよ」
「じゃあさじゃあさ!余った女子たちはバレー部専属のチア部にしたらいいんじゃね?」
「ノヤっさんそれナイスアイディア!」
「ふたりに聞いたわたしがバカだった」

 勝手に盛り上がり出した二人はいつものように放置して、並べていた入部届を整理する。しっかり悩むにせよ、もたもたしている暇はない。希望した部活に入れないとなれば、その子の今後にも大きな影響が出てしまう。先生とも相談しながら早急に決めなければと思いつつ、やっぱり仁花ちゃんの意見を最優先したい。

「じゃあ仁花ちゃん、こんな子だったらいいなーみたいな希望はある?」
「あ、わ、わたしはやっぱりまだまだバレーの知識に疎いところがあるので、……その、なまえ先輩みたいにバレーのこと沢山知ってる子のほうが良いかなって」
「あーなるほど。つまりコイツみたいなバレー馬鹿がいいってことか」
「田中くん?」
「じゃあまず経験者優遇だよなー。……お、この子とかいんじゃね?元女バレじゃん!出身校は……北川第一?!」
「え?」

 偶然目に入ったのか、一枚の入部届を取り上げた西谷くんの手元を覗く。そこに書かれているのは、名前とクラスと応募動機、そして前の部活動と出身校。最後の行には確かに「北川第一」と書かれている。部員募集とは違い、マネージャー募集の入部届は出身校まできちんと目を通していなかったから、気づかなかった。

「え、じゃあ、この子影山くんの」
「おーい影山!お前ちょっとこっち来いよ」

 北川第一というワードが出て、さっそく西谷くんが影山くんを舞台まで呼びつけた。ネットを緩めていた影山くんがそれに気づいて、こちらに走り寄ってくる。

「なぁーこの子、お前知ってるか?マネ希望らしいんだけど」

 ひら、と西谷くんが影山くんに入部届を見せた。それが影山くんの目に入った瞬間、なぜか緊張の糸のようなものが張り詰めた。

「……ああ。なんか見たことある奴いるなーと思ったら、やっぱこいつだったんすね」
「お?なんか親しげ?」
「お互いセッターやってたんで。まあ」

 どうやら本当に影山くんの後輩の女の子らしい。北川第一出身。しかもバレー経験者なら、マネージャーとしてはきっとこの上ない人材だろう。仁花ちゃんは目をキラキラさせて、まわりの皆も沸いている。もちろん、私も嬉しいと思っている。

「影山はどんなマネがいいと思う?」
「はぁ。別に誰でもいいです」
「あーはいはい。影山くんの推しマネはみょうじ先輩ですものね」
「うっす」

 田中くんの悪ノリも、影山くんの当たり前みたいな反応も全部耳に入ってきているはずなのに、私は気がそぞろだった。

 ──じゃあ、その子にお願いしてみる?
 仁花ちゃんに言うべき言葉は思いついていたのに、声に出せなかったのはどうしてだろう。

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