世界を騒がせているかの世直し怪盗団《ザ・ファントム》。巨大な政治の元暗躍する彼らだが、実は全員青春を謳歌する学生なのである。
初夏某日。
怪盗団の中でもかなり露出の多い怪盗服を着る夢乃は、一つだけ祐介の頼みを受け入れられずにいた。
どうやら彼は、芸術家の血が騒ぐのか《キスマーク》というものに興味があるらしいのだ。
過去に1度、夢中のあまり祐介が夢乃の首元に跡を残してしまったところ、メンバー1感の鋭い(…と夢乃は思っている)春にあらあらそんな、と甘い顔をされた事がある。 それ以来《キスマーク》を懇願する祐介をあれやこれやと幾度も躱してきた。
………のだが。
夢乃は壁にかかったカレンダーと携帯に写った《金賞だった!》の文字を交互に眺めて、ぐっと心の中で拳を握った。
…。
「受賞本当におめでとう! 」
「ああ、ありがとう。今回の審査員の好みには正直合わないのではないかと感じていたが…どうやらそこが上手く噛み合ったらしい」
勝手知ったる祐介のアトリエの小さなテーブルにグラスを置く。 受賞のお祝いに買った小さなカップケーキを紙ナプキンの上に並べて木の椅子に寄りかかった。
「今回は祐介も詰めてたもんね。 祐介から数日間連絡が途絶えた時はどうしようかと思ったけど」
「ああ。お陰で納得のいく作品が完成したよ。……しかし受賞作品は総じて良い物だった!まだまだ俺も精進せねばな」
「また再来月にコンクールもあるしね」
コクリと音を立ててグラスのお茶が喉を下っていく様子を視界端で眺めて、夢乃は肩を強ばらせる。
「でね、祐介……」
「ん?」
覗き込むように背を丸める祐介の目を真っ直ぐ見ること事が出来ず、夢乃はちらりと俯きながら口を開いた。
「………暫くテスト期間で、メメントスもパレス攻略もお休みじゃない?」
「ああ、放課後は皆勉強に時間をあてるからな」
「それでね…、ほ、ほら、祐介よく言ってたじゃない? そ、その……跡を付けたいって……」
「ああ、それは勿論今でも願っている事だが…」
「………暫くの間、怪盗服になることも無いし…」
「いいのか!?」
ガタリと勢いよく立ち上がった祐介の後ろで椅子が転がる。
「い、いいです!!」
「ッ〜〜〜!!!!!」
「そ、そんなに喜ぶ………?」
「当然だろう! ふ、ふはははは!ついに許される時が来たのか…!」
天に拳を突き上げて喜びを噛み締める祐介をぼうっと眺めて、こんなに喜ぶなら対策を練った上でキスマークを許可してあげても良かったかな、なんて考えて夢乃は小さく笑った。
「いいのか?早速」
「い、今つけるの?」
「ダメなのか…?」
心做しかしゅんと肩を落とす祐介に夢乃はふるふると首を振る。そういう事情に耽ってからかと思っていたが、どうやら彼はキスマークを付ける事自体を愉しみたいらしい。
「ん、いいよ」
くいっと首を捻って祐介に向けると、彼は「ほう…」と関心なのか恍惚なのか、不思議な声を発した後「いただきます」と夢乃の白い首筋に唇を落とした。
「ん……っ ふ、ふふ、なんか、擽ったい…」
「ん、夢乃は首が弱いからな」
「あ、あははっ……っ…ぁ」
「……ふ、痛くないか?」
「…ちょっと痛い、けど、……う〜〜、なんか変な感じ…」
「………んっ、おお…ここは……」
「あ、待って、そこで喋らないで…っ」
するりとシャツの下に伸びてきた指にピクリと夢乃の肩が跳ねる。
「ちょっと」
「………」
「祐介…!」
「すまない」
ギラギラと目を輝かせながら熱い息を吐く祐介への静止は虚しく、微かに熱を帯びたしなやかな指が臍の当たりを撫でたその時───ピコン、とスマホの通知が光った。
「れ、蓮!もしかしたら蓮から怪盗グループへの緊急連絡かもしれないからっ!」
「…いくら蓮とはいえ、この状況で他の男の名前を耳にするとは………」
「そんなこといいから…携帯携帯………」
神のご慈悲か、と夢乃は渋々力を緩めた祐介の元を離れてテーブルの上の携帯を手に取る。
光る液晶を見つめて動かなくなる夢乃を不思議そうに眺めて彼は「どうした?」と首を傾げた。
「…蓮だった」
「ほう。急用か?………いや、まさか個人連絡じゃあるまいな!?」
「ちがうちがう、怪盗団のグループだよ。君にも届いてるはずだけど………鳴った?」
「いや、夢乃と居る時は電源を落としている。君を通して皆には連絡出来るし、何より充電の節約になるからな」
「喜ぶべきなのかあきれるべきなのか…」
「蓮は何と?」
「ああ、えっと…『テスト期間中悪い、緊急連絡』…だって、多分今続きを入力してるみたい」
ピコンと送信された文字を読み上げながら夢乃はまた通知音を鳴らす携帯の液晶を覗き込む。
「『大至急解決しないといけない用事が出来た。一刻も早いシャドウ討伐が必要で、行けるメンバーは今日から、明日からは全員でメメントス攻略に取り掛かりたい』………って」
読み上げ終えると、口をぽっかりと開けたまま後ろの祐介へ視線を戻した。どうしよう、と目で訴えると彼は夢乃とは正反対に勝ち誇ったように顔を輝かせる。
「どうする事もないだろう、何一つ恥じるような事は無いのだからな」
「は、恥ずかしいでしょ…!私の怪盗服知ってるよね!?」
「俺のせいだと言えばいい」
「それは皆わかりきってることだと思うよ…!」
体より数倍大きなキャンパスの横、壁にかけられた姿見の前へ駆け寄ると、鏡越しに映る想像を超えたキスマークに夢乃は目を丸くした。
「こ、こんなに、いっぱい………」
「ふふふ、なんと神秘的で絶景なことか…。これぞ絵にも描けぬ美しさというものか…」
くつくつと笑みを浮かべて鎖骨の跡を撫でる祐介の隣、じいと鏡の中の自身を見つめて思いを廻らす。
「お風呂はいってマッサージすれば少しは薄くなるかな…」
「なっ…! 俺の跡がものの数日で消えてたまるか!」
「き、消えてくれないと困る…!」
「………ふむ。俺の残した跡に懊悩する夢乃もなかなか良いものだな」
「呑気だね君は…」
抱きしめられる温もりに愛を感じながらボヤくと、ぎゅうと骨張った腕が力を増して身体に巻きついた。 幸福で胸がいっぱいだ、とでも言うような表情に、夢乃は自身の胸の中で育っていた心配や不安、羞恥の心が次第に晴れゆくのを感じゆっくり目を閉じた。
「………キスしてもいいか?」
「…私も言おうと思ってた」
…。
後日、双葉曰く認知のパワーとやらで夢乃の怪盗服が冬服仕様の露出度控えめなものに変化していた───その事に大変歓喜した夢乃であったが、それがきっかけで当面暫く元の怪盗服が見られなくなってしまったと杏は悲しそうに語る。