これは、秋組が千秋楽を迎える、ほんの少し前の出来事。

「はぁ……わたしのばか……」

ガーン……と絵に描いたような顔でショックを受けてるなまえちゃんが、ふらふらと歩いていた。あんなにショックを受けてる姿、テストの結果を見て、千景さんにアフタヌーンティーに連れていってもらえないってわかった時以来だ。……あれ?結構最近……?
私の近くには公演を終えたばかりの秋組のみんなもいて、目があった臣くんに何か知ってるか聞いてみたけど、困った顔で首を振られる。

「なまえちゃん、どうしたの……?」
「い、いづみちゃぁんっ」

近寄って聞いてみれば、ふにゃ、と眉を下げて私にしがみついてきたなまえちゃんを見て、元気がないのに申し訳ないけど、つい、可愛いと思ってしまった。

「あのね、莇くんが、酢の物嫌いって……」
「ああ、今日のアフタートーク」

嫌いな食べ物ってテーマで、左京さんが莇くんの嫌いはものは酢の物だって、幼い頃の話を暴露していた。お客さんも楽しんでくれて、良かったんだけど……。

「私、今日の夜ご飯に酢の物作っちゃったよお」

どうしようと私に泣きつくなまえちゃんの悩みの理由に、なんだ、とちょっと安心した。本人にとって深刻なのはわかるけど。……こういうところ、最近ちょっと真澄くんに似てきた気がする。個人的には、仲が良いからってそこは似なくていいと思うなぁ。
それにしても、太一くんがこの間莇くんが酢の物を残しているのを見たって言ってたけど、なまえちゃんは気付かなかったんだ。いつも、かなりわかりやすく莇くんのことばっかり見てるのに。そう考えたところで、つい最近、なまえちゃんが一成くんと一緒に天馬くんが野菜を完食するよう見守る……というか見張るキャンペーンを実施していたことを思い出した。きっとそっちに一生懸命で気付かなかったんだろう。

「頑張って作っちゃったの……」としょんぼりしているなまえちゃんの頭を撫でて慰めながら、チラッと莇くんの方を振り返る。見れば、秋組全員、莇くんの方を(面白そうな顔をして)見ていた。当の本人は驚いたような、困ったような顔をしている。

「どうすんだよ、莇」

莇くんを小突いたのはリーダーの、そして多分一番面白がってる万里くんで、莇くんはそれに何かを返そうとして、口を閉じた。ふふ、ちょっと照れてるのかな、あれ。
なまえちゃんは私の腕の中で、依然として「酢の物……」とぶつぶつ言いながら凹んでる。これはかなり重症だなぁ。
煮え切らないような顔をしたまま、莇くんがこっちに歩いてくる。やっぱり、放ってはおけないもんね。

「……食べられないわけじゃねーし」
「うあっ?」

突然莇くんの声が聞こえたことに驚いたのか、なまえちゃんが真っ赤になって顔を上げた。

「えっ?莇くん!?今の聞いてたの!?」
「聞いてたっつーか、そこにいたから聞こえた」
「えぇー……」

そんな感じはあったけど、どうやらショックを受け過ぎてて、全然気付いてなかったみたい。うーん、そんな、助けを求めるように私を見られても……。

「ちゃんと、全部食うから」
「無理しないでいいよ!」
「無理じゃねぇ」

あたふたと慌てるなまえちゃんと、ぶっきらぼうながらもそれを宥める莇くん。二人の初々しい会話を見るのも、大分慣れてきた。その都度、かわいいなあって頬が緩んでしまうのは仕方がないと思う。

「……今日、酢の物以外は何作ったんだ?」
「えっとね、つづるんが炊き込みご飯の準備してくれて、私はしじみのお味噌汁と……」

いってらっしゃい、と手を離したら、なまえちゃんは話しながら莇くんの方へとちょこちょこと歩いていく。懐いたひな鳥みたいにも見える動きが可愛くて、また笑ってしまった。
そんななまえちゃんにあわせてゆっくり歩く莇くんが、それを意識してやってるのかはわからない。二人の間に微妙に空いた距離がもどかしくて、甘酸っぱい。
後ろから「俺っちもいつかは可愛い彼女と……!」と太一くんの声が聞こえて、いつも通りの光景だなって、どこか懐かしいような、愛おしい気持ちになった。

――支配人と亀吉と、二人と一羽で暮らしていた頃、支配人の料理の腕がなかなかすごいものだから、なまえちゃんはこのままだと誰も生き残れないと思って、家庭科の教科書を文字通り教科書にして家事の勉強をしたらしい。家庭科の教科書は偉大なんだと、いつか熱く語っていた。簡単だからと普段丼ものの用意が多かったなまえちゃんの得意料理が豚汁だったのも、教科書に載っていたからだそうだ。
臣くんが来て、ぐんとレパートリーが増えたなまえちゃんが、作ったものを楽しそうに、そしてちょっと誇らしそうに莇くんに報告する。綴くんとも兄妹みたいにキッチンに立っていたんだろうなって、その姿が簡単に想像できた。
料理の師匠とも呼べる臣くんの方を見たら、嬉しそうに微笑んでいて、こっちもお兄ちゃんみたいだと、微笑ましく思う。

「よかったね、なまえちゃん」

はじめ、恋をしたって聞いたそばから、その「王子様」がMANKAI寮に来た時は驚いたし色々ハラハラしたけど、今は心からそう思う。なまえちゃんにとっても、莇くんにとっても、……皆にとって、本当によかった。

「監督先生、嬉しそうッスね」
「うん。莇くんが秋組に入ってくれて良かったなって思って」
「俺っちも、あーちゃんが入ってくれて嬉しいッス!」

にっこりと笑う太一くんに続いて、臣くんが頷く。

「心強い新人だよな」
「だな」
「ああ」

何にも言わない左京さんこそ、もしかしたら一番喜んでるのかもしれない。なんて思っていたら、なまえちゃんが「臣くん!」となにやら必死な顔をして駆けて来た。

「網!」
「網?」
「網!」

何を慌てているのか、網しか言えず、大分語彙が怪しくなってるなまえちゃんは、どうやら莇くんの好物のししとうの串を上手に作れるようになりたいらしい。きちんと網で焼いて本格的なのが作りたいんだとか。
……そのうち、七輪作るとか言い出さないよね。
一瞬千景さん達に協力を仰ぐ姿が見えた気がして、頭を振って余計な想像を追い払った。

「網は使わないけど、焼くなら焼きカレーもいいよ!」
「えっ」
「えっ?」
「あ、うん……ソウダネ、オイシイ」
「なまえちゃん、なんで片言なの?」
「そりゃ公演中で伏見が忙しいからって理由で、ここ三日間カレーが続いたからだろ」

ええ?三日目のカレーなんて、ご褒美みたいなものなのに。
首を傾げた私に、なまえちゃんが声を出して笑った。その笑顔につられて笑ってしまうのは、出会ってから重ねてきた時間による、条件反射みたいなものかもしれない。私も、きっと皆も。

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